〔週俳11月の俳句を読む〕
冬眠の前
山田露結
黒葡萄奥また奥へ続く部屋 笹木くろえ
一読、映画「ツィゴイネルワイゼン」(鈴木清順監督)に出てくるような怪しげな洋館を連想してしまうのは「黒葡萄」の効果だろう。「奥また奥へ続く部屋」の不可解な情景をいっそうシュールなものにしている。
行く秋の椅子の脚から椅子の生ゆ
通常なら「椅子から椅子の脚の生ゆ」と発想してしまいそうなところを「椅子の脚から椅子の生ゆ」とひっくり返した。木製の椅子なのだろう。木の幹から枝が伸び分かれて木を形作っているように椅子は脚から椅子の形に成ったという独断である。「行く秋」の季語によって椅子の姿がまるで葉を落とした裸木であるかのようにさびしく描写されている。
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色鳥や回転ドアへ息とめて 山下彩乃
回転ドアというとホテルとかしゃれたオフィスビルだろうか。
「息とめて」の軽い緊張感に季語「色鳥」の斡旋が心地よい。
誰か特別な人との待ち合わせなのだろうか、それとも。
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木枯し一号ぱらりと塩を振る 田中朋子
「塩を振る」の主語は「木枯し一号」ではないだろうが、文脈としてそういう意味にも読めてしまうことが結果として効果的に働いているように思う。
木枯しが巻き上げた砂埃のイメージと調理場で塩を振る作中主体のしぐさが、情景として一句に中に同時に立ち上がっている。
ルポライター音立ててゆく落葉道
「落葉」→「音」というのはわりと連想しやすいパターンのようにも思われる。
しかし、ここで「音」を立てているのは「ルポライター」である。
私は「ルポライター」の登場する俳句を見たのはおそらくはじめてである。
何か事件を追っているのか。ルポライターがガサガサガサッと足早に過ぎてゆくときの乾いた落葉の「音」が鮮明に聞こえてくる。
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伊達眼鏡はずし勤労感謝の日 菊池麻美
はずしたのが「伊達眼鏡」であるところに微量の「皮肉」を感じる。
近頃はファッションのために伊達眼鏡をする人が増えているという話も聞いたことがあるが、眼鏡をかける必要のない人ための眼鏡には「勤労感謝の日」はふさわしくないのである。
革ソファより底冷を吸い上げる
冬の日に革のソファに座った瞬間のヒヤッとするあの感触にはまさにこの「吸い上げる」の表現がぴったりである。裏を返せば革のソファは人の体温を「吸い下げ」?ているとも言えるだろうか。
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冬眠の前にさびしくなつておく 宮本佳世乃
人は「冬眠」はしないから、この「冬眠」はむしろ心理的な「冬眠」を指すのだろう。これから本格的な冬を迎えようとする頃、ちょうど街にクリスマスのイルミネーションが灯り出す時期になると毎年かならず胸をしめつけられるような、言うに言われない感情に襲われるのは私だけだろうか。人恋しい季節である。
「さびしくなっておく」は本格的な冬(さびしさ本番?)の到来を前に充分にさびしくなっておくことで「さびしさ」に慣れておこうという心理なのだろうか。むろん、さびしさに慣れるということほど「さびしい」ことはない。
掲句は、あらかじめ「さびしくなっておく」という不合理を提示することによって「冬眠」の二文字をよりメランコリックなものとして読者に印象付けている。
■笹木くろえ 流星嵐 10句 ≫読む
■豊里友行 祖母眠る 10句 ≫読む
■菊池麻美 神去月 10句 ≫読む
■山下彩乃 野 蛮 10句 ≫読む
■田中朋子 ビル風10句 ≫読む
■宮本佳世乃 カナリア10句 ≫読む
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2011-12-04
〔週俳11月の俳句を読む〕山田露結
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