2011-12-11

〔週俳11月の俳句を読む〕川嶋一美

〔週俳11月の俳句を読む〕
生きること、さびしいこと

川嶋一美


数珠玉と思ふなかなか実を付けぬ   笹木くろえ

数珠玉は水辺などの湿地に普通に見かける植物。その実は、一粒一粒色合いが微妙に違い、ネックレスや腕輪など遊びによく使われる。女の子なら誰しも作った事があるはず。
数珠玉を見かけた作者も嘗て遊んだころを懐かしんでいるのだろう。「なかなか実を付けぬ」に、待ち遠しくてならない気持がよく表れている。思いも時間経過も、共にいい感じに詠まれている。


骨拾う珊瑚の欠片と星屑   豊里友行

「珊瑚の欠片と星屑」、収骨の際骨を拾いながら直観的にそう感じたのか。壮大だ。
人もまた自然界の一部であることを思う。もともと作者自身が持っている死生観の表出かもしれない。大切な人から受ける生前の影響力も然ることながら、その死から受ける影響というものも計り知れない。人は何処から来て何処へ行くのか、というようなことも感じさせてくれる作品。


絨毯を矢印果てるところまで   菊池麻美

ミュージアムに行った時、私など展示物に見入っているから、どんな絨毯が敷きつめてあるのかあまり意識したことはない。絨毯が敷きつめてあることすら覚えていない。絵画などの邪魔になるから多分色合いは考慮されていると思うが、踏み心地が余程良い絨毯だったのだろう。「矢印果てるところまで」とは当然と言えば当然だが、異空間から突き放されたような気分に「絨毯」をもってきたのが面白い。


日向ぼこ均等にしてよタルトの赤いやつ   山下彩乃

タルトというと、カステラを渦巻き状にしたものを思うが、生地の上にクリームや果物を乗せて焼いたお菓子もあるらしい。いずれにせよカフェでの出来事(?)が発端。小春日和のテラス、ゆったりとした気分の中に現れた不均等で正体不明の「赤いやつ」。ほっこりしたい気持が台無し!という感じか。何しろ「日向ぼこ」に始まって「赤いやつ」でケリをつけるこの作品のインパクトに度肝を抜かれた。


けいと玉妹分として愛す   田中朋子

毛糸玉を妹分とする詠みだろうと思う。ユニークだ。毛糸玉の風合いや色合い、それなりの形(セーター、帽子、手袋など)に仕上がる忠実さを思うと、頷けなくもない喩えだ。冬という季節を心身ともに温めてくれるものとしても、納得させられる。作者の内在するものが言葉によって表わされるわけだが、少しの孤独感が見て取れる気もする。「けいと」とのひらかな表記に少し違和を感じるが、それもまた孤独感に結びついているのかと。


冬眠の前にさびしくなつておく   宮本佳世乃

「冬眠」がさびしい状態であるとする前提がある。さびしさに順応する準備をしておこうというのだ。例えば蛇。穴惑いという季語があるが、あれは「さびしくなつておく」ための儀式なのかしら。この作品、動物に擬えた作者自身の心理を述べているような感じがある。冬眠することもその前に食べておくことも生きることに纏わること。生きることはさびしいことを繰り返すこと。だからこの世に生を受けて生きるということは、その前に「さびしくなつておく」ことから始まるのかもしれない。



笹木くろえ 流星嵐 10句 ≫読む
豊里友行 祖母眠る 10句 ≫読む
菊池麻美 神去月 10句 ≫読む
山下彩乃 野 蛮 10句 ≫読む
田中朋子 ビル風10句 ≫読む
宮本佳世乃 カナリア10句 ≫読む

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