〔週俳11月の俳句を読む〕
遠回しに絶縁宣言
岡本飛び地
消えてゐるテレビの中の秋日和 笹木くろえ
この句を読むに当たり、ちょっとした謎解きがあった。
テレビに限らず、こちらが明るくてあちらが暗いときのガラスは、暗闇の中にこちらの世界を映す。
しかし、いくらくっきり世界を映しても、鏡のように色までは映してはくれない。
消えたテレビに映る室内は、暗くて無機質だ。
果たして、消えているテレビの中に秋日和は感じられるのだろうか?
居間の中に秋日和を象徴的に現すものがあるだろうか。
思いつかない。
何が映っていれば秋日和が感じられるだろうか。
晴れた秋空はどうだろうか。
消えたテレビが秋空を映しているなら、そのテレビは外にあり、斜め上を向いているはずだ。
謎は解けた。
このテレビがあるのは、粗大ごみ置き場だ。
今年は夏にアナログ放送が終了した。
もう不要になったテレビがたくさん捨てられたはずだ。
これからスクラップにされるテレビが最後に秋日和をその中に映したとしたら、
秋空のさわやかさはと対照的に、少し切ない。
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小春日やわたくしたちは互いに素 菊池麻美
相対性理論という名前のバンドがいる。
軽快なリズムに乗せて、言葉遊びに満ちた歌詞を、ウィスパーボイスで歌う。
彼らの曲に「ルネサンス」という曲がある。
歌詞の中では、分子と分母が仲違いしたり、偶数と奇数がお友達だったりしている。
(歌詞はこちら)
比喩の仕方が逆だけど、この句を読んですぐルネサンスを連想した。
しかも、小春日のほどよい暖かさが、相対性理論の曲の雰囲気によく合っている。
しかし、ルネサンスと切り離して読むと一転、遠回しに絶縁宣言をしているように読める。
共有や共感できることが一切ありませんよ、と。
小春日、意外と肌寒い。
互いに素とさえ言える関係にもなると「互いに素ですね」と言っても
「タガイニソって何?ことわざ?どこかの国の料理?」などと返されて意思疎通ができなさそう。
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色鳥や回転ドアへ息とめて 山下彩乃
回転ドアは普通のドアや引き戸と違い、中の空気を外に逃がさないのだとか。
息を止めて回転ドアへと進むのは、建物と自分の二重に空気を閉じ込めようとする行為。
あるいは、建物の中の空気を自分の中に閉じ込め、外に出そうとしているのかもしれない。
回転ドアを通れない色鳥のために、自分を器にして空気を外に運んできたのかもしれない。
雪降れば遠くなるなり電波塔 山下彩乃
数ヶ月振りに帰省しても、まるで毎日実家で過ごしていたような感覚になる。
一方、帰省中に思い出す東京は、夢の中のように不確かな景色になる。
この電波塔は東京タワー。
雪が降っているのは帰省先の地元。
遠くなったのは距離だけではない。
我ながら、この解釈は気に入っている。
単に電波等のあたりに雪が降っていると読むよりおもしろいと思う。
しかし、こういう解釈ができたのは、作者である彩乃さんが山形出身で東京在住の方だと知っているから。
本当は、作品は作品だけで読みたいところだけど、
たまには、作者の存在が作品をおもしろくするきっかけになるのかもな、なんて思った。
■笹木くろえ 流星嵐 10句 ≫読む
■豊里友行 祖母眠る 10句 ≫読む
■菊池麻美 神去月 10句 ≫読む
■山下彩乃 野 蛮 10句 ≫読む
■田中朋子 ビル風10句 ≫読む
■宮本佳世乃 カナリア10句 ≫読む
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2011-12-11
〔週俳11月の俳句を読む〕岡本飛び地
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