空蝉の部屋 飯島晴子を読む
〔 2 〕
小林苑を
『里』2011年3月号より転載
ベトナム動乱キャベツ一望着々巻く 『蕨手』
今日の朝刊一面のトップ見出しは「リビア首都デモ数千人」、トリポリを埋め尽くす市民の写真が掲載されている。
エジプトでのデモの情報が新聞やテレビと言うマスメディアよりも早くインターネットを流れることを体験し、この中東での「動乱」がインターネットを通じた呼びかけで始まったことを思い、歴史が動いているのを感じる。
同時に、その渦中にいながら、遠い異国にある私の、あるいは多くの人々の日常はそれぞれの問題を抱えたり、日々の出来事を楽しんだりして過ぎているのだと、その距離に人間の営みというものを思う。
揚句は <泉の底に一本の匙夏了る>ではじまる第一句集『蕨手』収録。この句集をもって俳人・飯島晴子が誕生した。
よく知られているように、『蕨手』をまとめるに当って、晴子はそれ以前の句をすべて捨てた。藤田湘子は「序」でこう述べている。
( 泉の底の句は )『鷹』創刊の年、39年10月号に発表されたものである。飯島さんはこの句以前に五、六年の作句歴があって、その期間にも、私の記憶ではかなりの水準に達した作品があると思うのだが、それらをすべて捨てた。そういうきっぱりした決断力が、飯島さんの身上であり、またある意味で、晴子俳句を解明する手がかりになるのではないか。※1
昭和39年、つまり西暦1964年である。’60年代、日本は高度経済成長の只中にあり、農村から都市へと人が流出していた。そして、なにより米ソ冷戦を象徴するベトナム戦争の時代であった。
この句が書かれた’64年以降、ベトナム「動乱」はさらに泥沼化する。’65年10月、今朝と同じように新聞の一面トップに、米国の北爆のニュースがデカデカと載っていたのを思い出す。
揚句は、私にとって、あの頃の気分が甦る一句でもある。
進学を控えた高校三年のとき、突然、懇談会というような名目で二十名くらいだったかが呼び出された。生徒会長とか、新聞部の部長とか、なんというか代表者会議の趣きだった。
その時期、クラブにも属さず、成績不良の怠惰な生徒だった私が集められた理由もわからないまま行くと、学院長が中央に座っていた。所謂、小学校から大学までの一貫教育校だったのだ。
学院長は「ベトナム戦争をどう思うか」と私たちに問いかけ、一人ひとりが答えさせられた。それを思想チェックだと感じて反発し、その大学への進学を止めた。いまから思えば若さゆえの無思慮だったかもしれない。
'67年の羽田闘争、翌年の米原子力空母エンタープライズ入港反対デモ、国際反戦デー、東大安田講堂への機動隊による学生排除。学生運動の波は日本だけではなく欧米でも激化していた頃である。中国では文化大革命、チェコへのソ連進軍(プラハの春)、そんな時代の空気が世界を覆っていた。
閑話休題。
晴子が「ベトナム動乱」の一語に込めた思いはなんだったろうか。晴子自身はこう語る。
『キャベツ一望着々巻く』が先に出来て、それにどうして『ベトナム動乱』がついたのかは思い出せない」けれど、「人間とか戦争とか歴史とかに就いての思いが、漠然とではあるが一つの形を持った様に思えた。人間の歴史に魅力を感じるのは、巨大なエネルギーの流れが、それがそこにあるというままのかたちで在るからだと思う。善とか悪とか、何々主義で割切るという様なことは別の仕事で、そういうことを云えば歴史の美しさは損われる。※2
人間の歴史の大きなうねりに対して、目の前にはキャベツ畑が広がり、キャベツはそんなことなどとは関係なく「着々」と育っている。それは小さな時間の経緯でありながら、より大きな自然の時間でもある。
「キャベツ一望着々巻く」の七・六音の字余りや響きの強さが「動乱」という激しい語に堂々と釣り合って、そのことを教えてくれる。
だから、この句は時事句ではない。言ってみればキャベツの句であり、時事句にある立場性とは無縁だ。その上で、いま現在の「ベトナム動乱」が、過去から未来へと綿々と続いて行く人間の歴史の途上にあることを思うとき、その熱を詩的な語彙として置くのである。
最近、話題になった句に、関悦史の < 人類に空爆のある雑煮かな ※3> がある。この句からは、晴子の「歴史の美しさ」とは真逆とも言える人間の愚かさを強く感じる。空爆という愚行に「雑煮」という祝祭のひとこま(一椀)を配すことで、滑稽・俳味が与えられている句だ。
どちらも私の好きな句、どちらも技巧の句であり、目新しい措辞による鮮度の高い句である。
どんな句を面白いと思うかは、人によって違うだろうが、六十年代から時を隔てたいまも、揚句はいきいきと私に迫ってくる。そして、キャベツは着々巻いている。
人類に空爆のない日は来るのだろうか。
※1『蕨手―序―』1972 年
※2「一句の背景」『俳句研究』1969年9月
※3『新撰21』 2009年
●
0 comments:
コメントを投稿