〔週俳1月の俳句を読む〕
寿げ!寿げ!
箭内 忍
新年詠は、「寿ぐ」一色になりがちだから佳句は少ないという定説、それは『週刊俳句』では通用していなかった。さりげなかったり、捻ったり、照れたり、斜に構えたりしながら、とにかく寿ぎ具合がそれぞれ個性的で、愉快な佳句が並んでおり心地よかった。
作品から察するに、みなさま佳き新年をすべりだされたようで、残り10ヶ月半、ますます佳き句作りに励むことができますよう。
新年詠2012より
新春の鯉気を抜くと浮いて来る 小川春休
青年も老いを寿ぐホイコウロウ(回鍋肉) 筑紫磐井
恋文めきて肉筆の賀状かな 望月 周
1句目、鯉が浮いてくるのは気を抜いたときという捉え方が面白い。もちろん、気を抜いてしまいそうなのは自分だろう。「新春」が効いている。2句目の「ホイコウロウ」という音のとぼけ方が面白い。肉を食べるなら、まだまだ若いとつっこみを入れたくなる。3句目は、「恋文めきて」というちょっとした自惚れ?が可愛い。「肉筆」という艶っぽさの追い討ちが上手い。昨今、手書き文字に触れる機会が激減した。句会はまだまだ手書き文化が残っているが、人物と文字のイメージが合わず、文字を見てがっかりした人、意外に達筆でドキッとした人、誰もが経験あることだろう。この句は文字の色っぽさをテーマにしたところが面白い。3句とも力の抜け加減が正月らしくていい。
福引のゆつくり落ちる赤い玉 茅根知子
凍てし扉の歩めるやうに開きけり 森賀まり
ものの影ものをはなれてゆく初日 仲 寒蝉
スローモーションの3句。1句目の赤い玉は、はずれ玉でなければ面白くない。ゆっくりとはずれるからこそ、味わいと感動がある。福引も人生も、だ。2句目は「凍てし」は新年の季語ではないが、「歩めるやうに開きけり」が、新しいことの始まりと期待を思わせる。一歩ずつではあるが着実に開く扉、この時期の句なので東北地方が頭を過る。3句目は、「もの」「影」リフレインとよくある素材だが、最後の「初日」が実に上手い。逆転さよならホームランだ。
3句とも比較的よく使われている言葉や句材を用いているが、季語やリズムによってこんなにも新鮮になるという俳句の可能性の見本のような句。心地よい3句だ。
炬燵真赤やひろげてぢごくがきやまひ 金原まさ子
あの世から初電話来ぬかとおもふ 津川絵理子
この世のどんなところにいても、彼の世とは常に隣合わせなのだ。1句目は「炬燵」を覗き地獄の赤を見た。「炬燵真つ赤や」という導入、これだけでも詩のつかみは十分なのに、作者はさらに「地獄」「餓鬼病」とつづけ、最後まで力を抜かない。作者名が付くことで時代背景が想像され更に感慨深い句となる。仮名表記によって強烈度がうすまり読者としては救われる。2句目は、心底共感。さりげなく描いているが、計算されたリズムで読ませる句。彼の世と電話で繋がっていてくれれば、せめて正月だけでいいから話したい人がいる。みな、そんなふうに思う人がいるだろう。
消費税率あがるらし餅伸ばし喰ふ 杉山久子
ゆく年の夜の光つたら押すボタン 山田耕司
1句目は、大好きな句。「餅伸ばし喰ふ」は消費税を「対岸の火事」風に描いており、その距離感が政治への関心度の距離感と重なり、リアリティがあってまたいい。読み返しているうちに、餅の伸びた部分が、上がる税率分のような気がしてきた。
2句目、ある日ボタンが送られてきて、それを押すと自分の知らない他人が死に自分は大金が貰える、たかがボタンを押す葛藤を描いた映画があった。日常の当たり前の出来事だが、こうしてあらためて詠まれるとイメージが広がる。それも恐ろしい方に広がる。「ゆく年のボタン」は光ったのだろうか、押したら何が変わるのだろうか。不思議な魅力に強く引かれた句だ。
謹賀新年プリンなら好きかもね 小川楓子
「初詣に行こう」差し出すヘルメット 神野紗希
なんかえらい雑煮んなつちつたがゆるせ 佐藤文香
正月の1シーンを切り取った句。それぞれのシーンが愉快。
1句目は、たぶん挨拶について来て飽きてしまった子供への台詞。おせち料理は大人の酒の肴にはよいが子供はすぐに飽きてしまう。「プリン」が庶民的でいい。2句目は、「ヘルメット」が絶妙。2人で行くなら、そりゃあバイクでも寒くないでしょう。3句目は、雑煮を作り慣れてないのは作者なのか、男の雑煮なのか。そりゃあ、ゆるすに決っている。二人ならさぞ美味しいでしょう。あっ、僻みではないですよ。
3句とも、台詞仕立てで臨場感がある。
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他の1月の句より
やまをりとたにをり立つてゐる冬木 生駒大祐
「やまをり」と「たにをり」は紙の折り方。外側か内側かで名称が分かれる。目前の紙とその向こうにある冬木とを遠近法で詠んだとすると、紙の質感と冬木の量感との対比が面白い。「やまをりとたにをり」は街の景の比喩として受け取っても面白い。後者だとすると、「やまをりとたにをり」は、景を抽象的に描き、「立つてゐる冬木」は具象写生だ。そうして、枯れ色の「冬木」だけが生ある物としてクローズアップされている。斬新な捉え方だ。
札の上の札のすべりや花歌留多 西原天気
にぎやかであろう歌留多の座を「札のすべりや」と一言で詠みきったところがみごと。鮮やかな色彩の花歌留多。人が動き、札が乱れ、すべり、止まる。札に焦点を当て、特に札が札の上をすべるときは、つるっとスピードが増す、その微妙な動きの違いを捉え、また、札から場の活気までをも想像させる描き方は職人技だ。ちらちらした暖色の札に囲まれていることを想像するだけで楽しくなる。
ペプシ! と音してあふれだす冬の星 福田若之
「ペプシ!」は擬音語と読んだ。炭酸飲料の栓を抜いた途端キラキラとあふれ出してきた。それは冬の星のようだ、もちろん背景には冬の星が確かな存在として輝いているだろう。こぼれて指が濡れるわ、洋服に飛んでくるわ、本来なら「Oops!」な状況をこんな風に捉える奴、誰かと一緒にいるから楽しくて明るいというよりは、一人でこんなことを思っているノウテンキな明るい孤独であってほしい。
ライト灯し車停まつてゐる枯野 林 雅樹
車から放たれている半円形のひかり、そのひかりの中の枯野だけが作者には見えている。作者はどの位置からこの景を見ているのだろうか。車が見えるのであれば、少し離れた高みからと考えるのが普通なのだが、枯野の直中が作者の立ち位置であってほしいとなんとなく思う。この句、車の中にいるであろうドライバーも作者も、人間は闇の中にいる。見えているのはひかりの中の枯野。不思議な荒涼感を描いていてそこに惹かれる。
午後は今編むと毛糸の減る一途 野口る理
誰のための一途だろう。午後のある時間、または夜のある時間、離れていても作者と誰かの気持が通じ合う2人だけの「午後は今」の時間があるのだろう。その時間は、互いの思いが通じている分、編むスピードが速くなる。毛糸を一途に編むのは相手への一途な気持に通じるが、自分で自分のことを一途と言うのは、そんな私に酔っている感がある。少し羨ましい。
第245号 2012年1月1日
■生駒大祐 うしなはれ 5句 ≫読む
■村田 篠 水鳥 5句 ≫読む■上田信治 ご町内 6句 ≫読む■西原天気 胸ふかく 5句 ≫読む
第246号 2012年1月8日
■特集・新年詠2012 ≫読む ≫読む ≫読む ≫読む ≫読む ≫読む
第247号 2012年1月15日
■谷口智行 初 暦 7句 ≫読む
■小林千史 塔 7句 ≫読む
第248号 2012年1月22日
■雪我狂流 日向ぼこ 7句 ≫読む
■依光陽子 涯 hate 7句 ≫読む
■矢口 晃 蝌蚪は雲 7句 ≫読む
■山下つばさ ぱみゆぱみゆ 7句 ≫読む
■福田若之 既製品たちと歌ううた 7句 ≫読む
第249号 2012年1月29日
■望月 周 冬ゆやけ 7句 ≫読む
■林 雅樹 紛糾 7句 ≫読む
■松本てふこ 遊具 7句 ≫読む
■野口る理 留守番 7句 ≫読む
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2012-02-19
〔週俳1月の俳句を読む〕寿げ!寿げ! 箭内 忍
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