2012-02-12

〔週俳1月の俳句を読む〕西原天気

〔週俳1月の俳句を読む〕
どこまで行っても冬

西原天気


初暦熊野三山指で越え  谷口智行

新年の暦は、真新しいとはいえ、また「初」が冠されるとはいえ、考えてみれば、何百年何千年と更新された(あるいは反復された)時間を背負っている(そしてきっと未来も)。そのようないわゆる悠久といったことに思いが到るのは「熊野三山」という語の力。

「指で越え」が、軽やかでスケールの大きな力学を生みだし、読む者の胸まで膨らんでいく。俳句を読む、とは、気分をいただくこと、との思いを強くしました。


風花や空には腕二本のみ  小林千史

現実的な事情の説明はつかないのに、鮮やかに像を結ぶ、ということがあります。それは例えばシュールレアリスム絵画がとっくに証明済みなわけですが、俳句でもしばしば、そうした愉悦を味わうことがあります。

「かいな」と読むその音の響きのよろしさ。この句、空の、ある特定の(というのは一般ではなく個別の)ありようが、眼底のそのさらに奥で像を結びます。


人間に表と裏と日向ぼこ  雪我狂流

お餅の焼くときのようにこまめに人間を裏返す。じわじわあったまてくる句。


戻る木のなく綿虫は音のやう  依光陽子

音はどこまでも、空気の涯(はて)まで伝ってゆく、というと思念的ですが、「綿虫」と「戻る木」が事物としてしっかりと定位されているので、私の頼りない読みなど不要です。精密に誂えられていることに、ただただほれぼれすればいいわけです。


蝌蚪は雲太らせ雲は蝌蚪太らせ  矢口晃

おたまじゃくしのあの質感。水中にいて空の雲と、いわゆるインタラクティブな関係を結ぶ。この句の前に《おたまじやくし水やはらかくしてゐたり》の句があり、水との関係から連続して読めるのもうれしい。並びの妙です。


冬の雲太ももよりもやはらかく  山下つばさ

蝌蚪と雲の句のすぐあとに、この句を読む。こんどは太股との照応です。私事で恐縮が、太股というもののやわらかさを初めて知ったときのことを懐かしく振り返ったりもしました。


宇宙から来たような加湿器が噴く  福田若之

たしかに。スペイシーな形状が多いかもです(≫参考画像)。

俳句は、何をどう見るか(インプット)が肝ですが、「噴く」とまで言って、この句の面白さが完成です。


王位に遠き王子は旅す冬帽子  望月 周

この「王子」、読む人によって思い浮かべる顔が違う。「遠き」も、王位継承順を言うのか、時間を言うのか(王が若く王子の即位はまだまだ先)、読む人によって違うでしょう。しかし、そんなこてさておき、王位からまだ自由であるからできる旅があるはずです。

「冬帽子」が貴人の旅に豊かなニュアンスを与えているなあ、と。


ゴミ屋敷雪の積みたり灯りつゝ  林 雅樹

ゴミ屋敷に備わる一種独特の近寄り難さは、あのなかにたしかに人が住んでいるという事実に対する怖れから来るものだと思います。この句、「灯りつゝ」で一気に、あの独特の怖れを呼び覚ましてくれます。

ゴミをなかば隠しつつ、積んだゴミのかたちに雪が積むという設定も、クライマックスの恐怖に効果的です。


風花や遊具は海の真向かひに  松本てふこ

ちょうど先週号のトップ写真がこんな感じでしょうか。

どんな遊具でもよいのでしょうが、やはり、ここは、海を見晴るかす大観覧車と読みたいところです。


こなごなになれど鏡ぞ冬映す  野口る理

小さくなってもその性質を保つ。原子とまで行かなくとも(デモクリトス!)、なるほど、鏡はこなごなになっても鏡です(自動車やセーターではこうは行きません(鉄屑、糸屑にその性質が変わる)。

映っているのは「冬」。冬も、どこまでこなごなにしても冬、なのですね。


第245号 2012年1月1日
生駒大祐 うしなはれ 5句  ≫読む
村田 篠 水鳥 5句  ≫読む
上田信治 ご町内 6句  ≫読む
西原天気 胸ふかく 5句  ≫読む

第246号 2012年1月8日
特集・新年詠2012  ≫読む  ≫読む  ≫読む  ≫読む  ≫読む  ≫読む

第247号 2012年1月15日
谷口智行 初 暦 7句 ≫読む
小林千史  7句 ≫読む

第248号 2012年1月22日
雪我狂流 日向ぼこ 7句 ≫読む
依光陽子 涯 hate 7句 ≫読む
矢口 晃 蝌蚪は雲 7句 ≫読む
山下つばさ ぱみゆぱみゆ 7句 ≫読む
福田若之 既製品たちと歌ううた 7句 ≫読む

第249号 2012年1月29日
望月 周 冬ゆやけ 7句 ≫読む
林 雅樹 紛糾 7句 ≫読む
松本てふこ 遊具 7句 ≫読む
野口る理 留守番 7句 ≫読む


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