2012-03-11

【週俳2月の俳句を読む】長嶺千晶

【週俳2月の俳句を読む】
省略の粋
長嶺千晶


待春の大階段となりにけり   齋藤朝比古

大階段が、神社仏閣の石磴では今ひとつ面白味にかけてしまう。手の鈴をしゃんしゃんと鳴らしながら、羽根飾りを頭に腰につけてつぎつぎと繰り出してくる、宝塚歌劇のフィナーレの大階段を思い描きたいと思う。駝鳥ほどの羽根飾りが、スターになるにつれて、だんだん大きく、最後のトップは孔雀のごときを揺らしつつ、まさに舞台上の大階段は華の饗宴となるのである。今、眼前に、大階段はあるものの、まだ人影すらない。待春には、春を待つとともに、春に期待するニュアンスがある。華やかな夢のような春のひとときを待ちわびるこころが一句に籠められている気がするのである。


やはらかく蹄のひらく冬の草
   津川絵理子

蹄のある動物…馬、牛、鹿など。馬の蹄は蹄鉄があり、足先はかたまり状態なので、開きようがない。指先が分かれていて、蹄のある動物といえば、鹿やかもしかなどが浮かぶ。しかし、蹄というのは、そもそもやわらかくひらくものなのだろうか。冬の草の柔らかな緑に着地したことで、心象的にも蹄がひらくような、何とも言えないデリケートな世界がこの句にはある。言葉のもつ虚実の世界が、冬の透きとおるような季節感と響き合い、瞬間の魔術のように読み手を魅了していく。すでに現実の動物の姿など不要なのである。クローズアップされた蹄だけが、まるで、ユニコーンのそれでもあるかのように、幻想の美へと導いていく。


短日や産毛のごとく囁かれ
   岡村知昭

産毛のごとくの比喩が何とも面白い。囁かれた作者のこそばゆいような気持ちが伝わってくる。「づかづかと来て踊り子にささやける」の高野素十の句の大胆さに比べると、この句は、囁いているのが女性かもしれないと思えるやさしさがある。しかし、囁かれた方が、あまり喜んでいないようなのは、素十の句も、この句にも共通しているようだ。短日の季語がそう思わせるのだろう。


息白き「おはよ」と「おはよ」ならびけり
   南十二国

朝の登校風景だろうか。こんなことが昔の自分にもあったはずだとなつかしさを覚えた。作者にとっては、日常の何気ない風景を切り取っただけに過ぎないのだろうけれど、清新な感覚だと思う。俳句年齢が若くなることは、その世代にしか感じられない世界を句作に残していくことができるということなのだろう。「おはよ」の会話の組み合わせが、科白のよう弾んでいる。まだ寒いけれど、友とのフレッシュな一日の始まりは何とも清々しい。



ふつつかなキツネですがと影絵かな
   谷口慎也

親指と中指と薬指の腹を合わせ、あとの二指を耳のようにたてて、影絵のキツネは出来上がる。「ふつつかな」の科白は、指キツネのうつむき加減の登場に何ともふさわしい。若い女の子が、ちょっとおどけた様子で障子にでも写してみせているような気もする。「ふつつかな」は結婚の折の挨拶の決まり文句でもあるからだ。いろいろと読み手に景がひろがるのは、省略が効いている上に、一語一語が選び抜かれているからなのだろう。



暗闇に消ゆる唇牡丹の芽   
中山奈々

バレンタインデーの「ライブハウス」の実況が、リアルに感じられる十句である。連作という手法が良く活かされて、一晩のストーリーが、映像のように流れている。山口誓子が連作を始めたとき、守旧派からは批判的な意見がでたけれど、一句一句の価値よりも、流れのひとこまとしての句作があってもよいのではないかと思う。もちろん、一句一句に独立したよさがある上に、全体に流れがあればそれに越したことはないのだけれど。恋を連作で詠めることがすでにまぶしく感じられた。



市役所に獅子舞が来る市長噛む   
小林鮎美 

獅子舞という、古式ゆかしき季語を使いながら、斬新な一句である。獅子舞に噛まれると無病息災のご利益があるというが、市長に噛みつきたいのは、職員の方かもしれない。この「ワーカーズ・ダイジェスト」十句を通じて、題材の新しさと言葉の解釈の新しさ、その一方で、底に流れる変わらない仕事への哀歓があることに共鳴した。これらは現代の不易流行の具現になると思う。また作品を読みたいと切に思う。




第250号 2012年2月5日
【『俳コレ』作家特集】
齋藤朝比古 大階段 7句 ≫読む
津川絵理子 春 寒 7句 ≫読む
岡村知昭 待ち伏せ 7句 ≫読む
南 十二国 おはよ 7句 ≫読む

第251号 2012年2月12日
谷口慎也 流離譚 10句 ≫読む
中山奈々 ライブハウス 10句 ≫読む

第252号 2012年2月19日
小林鮎美 ワーカーズ・ダイジェスト 10句 ≫読む

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