2012-09-09

朝の爽波 32 小川春休


小川春休






32


爽波の第二句集『湯呑』は昭和56年に刊行されており、三島由紀夫による爽波小論と、草間時彦による解題を併せて収録しています。爽波はこの三島由紀夫による小論の収録について、後記にて次のように述べています。
 この句集に今は亡き三島由紀夫君の文章を採録させて貰ったことについては次のような謂われがある。
 即ち、ただ一人の師と仰ぐ虚子先生ご逝去のあとは、学習院時代以来の畏友であった三島君の目がいつも何処かで光っているぞと己れにいい聞かせつつ我が身に鞭打ってきた。そしてまた、次の句集刊行の折には序文をという故人との約束もあった訳である。
 昭和四十三年には私の周辺に第二句集を刊行との機運が高まって、一応の草稿をまとめる段階にまで至った。丁度その折も折、「俳句」に於いて私の特集を編む企画が起り、三島君はじめ何人かの執筆者にはその草稿のコピーを送って執筆の資料として貰った次第である。
 そして昭和四十五年には青天の霹靂のごとく三島君はあの世に行ってしまったのである。
 私は以後、「俳句」に掲載されたこの貴重な文章を第二句集の序文として考え続けて来た次第である。
 三島君が執筆の資料として呉れた草稿は四十三年までの句。従ってそこに引用された句など、この第二句集に収録しなかった句が大半という結果になってしまった。
 それは、それ以後十有余年という長い歳月のなせる業であった、三島君との永年に亘る心の絆を妨げるものではない。 (波多野爽波『湯呑』後記)
さて、今回は第二句集『湯呑』の第Ⅳ章(昭和52年から54年)から。『湯呑』も残すところあと僅か。今回鑑賞した句は54年の秋口から冬にかけての句。「青」9月号は三百号記念号。〈心してこの片蔭を行くとせむ〉はそれに際しての句。また中秋の名月を堅田で観賞していますが、〈粟垂れて月に廂の短かり〉はその折の句かもしれませんね。10月「青」三百号記念大会、「青」11月号からは島田牙城編集長、編集スタッフ田中裕明・上田青蛙の若手体制を開始しています。

朝顔や一事を隠し了したる  『湯呑』(以下同)

萎んだ朝顔の花に、口を噤んで秘密を漏らさぬ様を見るのは、寓意的に過ぎる読みだろう。「朝顔や」とあるからにはやはり、朝日の下の鮮やかな朝顔を思う。誘惑に耐え、秘密を守り通した意思の強靭さと晴れがましさと、朝顔の佇まいとの響き合いの句と読みたい。

粟垂れて月に廂の短かり

月の光の下に、沢山の穂を付けて垂れる粟。もこもことした穂が月光に陰翳を作りながら、風に揺れている。見上げると月の光はいよいよ眩しく、これまで気に止めたこともなかった、廂の短さに気付かされる。この発見と月の明るさとが、分かち難く結び付いている。

心してこの片蔭を行くとせむ

「『青』三百号を迎ふ」と前書のある句。様々な紆余曲折を乗り越えての三百号、感慨も一入であったことだろう。これまで広い道を大手を振ってきた訳ではなく、木々の作る僅かな片蔭のような狭い道であっても着実に、変わらず進んで行こうという決意表明の句。

爽やかや草に子芭蕉孫芭蕉

観賞用としても植えられる芭蕉であるが、この芭蕉はどうだろう。周囲には草が生え、そこまで手入れされていないようだ。真ん中に聳える芭蕉が落とした種子であろうか、草の中から子芭蕉・孫芭蕉が頭を出している。そのつやつやとした大きな葉がいかにも爽やか。

瀧を見て戻りの道の冬に入る

止めどなく大量の水が落ち、大音響を響かせる瀧は、見る者の精神にも強い影響を及ぼす。瀧を見に紅葉の残る山道を行く往路と、瀧を見た後の復路とでは、景色自体は全く変わらないが、冬の訪れを瀧の響きに叩き込まれた後では、見え方が大きく異なってくる。

末枯や人まつすぐに舟に立つ

舟と船とは、舟の方を小さい物として使い分ける。海とも川とも示されていないが、爽波のことだから馴染みの琵琶湖か。草木が色づき、枯れ始めた野と、舟に真っ直ぐ立つ人と。シンプルな部類の句だが、季語の働きによって、広がりを感じさせる句となっている。

盆栽の空を小鳥の飛びわかれ

盆栽があり、そしてその上に晴れた空があり、という気分の良い庭の景を現前させる「盆栽の空」という表現は、助詞「の」の懐の深さを活かした俳句独特の表現。単なる空ではなく「盆栽の」と特定された空であることが、小鳥の運動のダイナミズムを裏打ちする。

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