【週俳8月の俳句を読む】
さよならの先にあるものは
淵上信子
福田若之「さよなら、二十世紀。さよなら。」 が面白かった。
『消されたデ・クーニング』に対するオマージュ 一句
夏草や の跡←消しゴムで消した跡 福田若之(以下同)
ネオ・ダダイズムの画家ラウシェンバーグの『消されたデ・クーニングのドローイング』に因んだ作者の遊びが楽しい。いや、待てよ。「兵どもが夢」さえ消されて定かでなくなってしまうのだ。ときに歴史はこうして意図的に風化させられるから怖い。
さよなら、ウォーホル 丸ごとのトマトを齧る
ポップアートのアンディ・ウォーホルへの決別、だからキャンベルの缶詰ではなく、フレッシュなトマトを齧るわけ。解りやすい。
綾波 一句
二人目のレイの命日ひまわり揺れ
ひまわりと死の取合せでは〈向日葵や棺舁ぎ行く垣の外〉(北原白秋)、〈向日葵の光輪亡父はもう死なず〉(野沢節子)などが思い浮かぶ。どちらも生身の人間のふつうの死と向日葵の生命力が対比させられている。節子句、亡くなった父はこれからは作者の心に生き続けるだろう。いっぽう、長編SFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の人気キャラクター綾波レイは、絞殺されたり自爆したりで二度死んでおり、その魂は三人目のレイとなって復活する。死のけじめがないSFの世界は向日葵も色を失うほど寒く乾いている。その寂寞感。
ニケも車も小麦も焦げていた半島
旅吟か、それとも想像だろうか。ニケはギリシャ神話の勝利の女神と解釈した。作者の意図と合っているかどうかわからないが、「焦げていた」との過去形から、ヨーロッパの火薬庫バルカン半島の歴史に思いを馳せる。
扇風機どこかの鈴木から電話
このばかばかしさが好き。扇風機が合っている。今年が暑いせいか、なんとなく残暑のころの扇風機を思った。鈴木さんは実はもう死んでいたりして。(私なら悪乗りして「鈴木」でなく「監物」としてしまうかも。ゴメンナサイ!)
かき氷見た目はお買い得である
かき氷が、甘くて懐かしいというその本意からかけ離れたところでドライに詠まれている。
パンツなくして沖遠く泳ぐのだ
これには笑った。作者は〈愛されずして沖遠く泳ぐなり〉(藤田湘子)のような抒情から決別して遠くへと泳いでゆくつもりらしい。
昭和天皇の顔とかわからないや夕焼け
そうでしょうとも。なにしろ作者は平成生まれなのだ。
原爆の音を知らず――そこここに秋が近づく
これは作者が若いためではない。この句を読んで、原子爆弾の爆発音に関しては、私も知らないのだということに気付かされた。原爆投下の際のエノラ・ゲイ内の音声の記録はあっても、爆発音の収録はなかったのではないか。では、これまで見てきた原爆のドキュメンタリー・フィルムでは、音はどうなっていたのだったか、それがどうも思い出せなくて気になる。
終戦記念日いつまで手をふればいいの(;_;)ノシ
爆笑。「(;_;)ノシ」がいい。ただ、縦書きにするとき要注意だろう。
いろいろと面白い句、ばかばかしくて可笑しい句が散りばめられているが、32句全体を通読したとき、作者が十分に楽しんでいるかといえば、必ずしもそうとも言えない気がする。語りかける相手が違うのかもしれないが、ここには〈歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて〉(福田若之、『俳コレ』)から透けて見えた楽天主義は影を潜めているように思えるのだ。作者はとりあえず、前世紀に決別しようとしてひたすら「沖遠く泳ぐのだ」が、しかしその方向は今探っているのではないか。その鍵となるかも知れないのが次の一行:
世 ω ξ ぅ レ£ レヽ ゃ Tょ σ 。 /ヽ〃 ナ ナ /ヽo フ ェ ヵゞ 女子 (キ 。
文字化けの逆変換(修復)ができないので、これにはお手上げ。もとはなんと書いてあったのだろう。作者はここにメッセージを隠したに違いない。
【追記】この原稿を送信後に、私にとってはどんでん返しがあった。編集部より、これは文字化けではなく、
「女子中学生などが携帯で使う書き方で、【せんそうはいやなの バナナパフェが好き】と読ませたいようです」
というコメントをいただいたのだ。なるほど! そういうことだったのですか。
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■谷口摩耶 蜥蜴 10句 ≫読む
■福田若之 さよなら、二十世紀。さよなら。 30句
≫読む ≫テキスト版(+2句)
■前北かおる 深悼 津垣武男 10句 ≫読む
■村越 敦 いきなりに 10句 ≫読む
■押野 裕 爽やかに 10句 ≫読む
■松本てふこ 帰社セズ 25句 ≫読む
■石原 明 人類忌 10句 ≫読む
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2012-09-02
【週俳8月の俳句を読む】さよならの先にあるものは 淵上信子
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