2012-10-14

朝の爽波 37 小川春休



小川春休





37




さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十五年」から。『骰子』は「昭和五十五年」から始まっており、今回鑑賞した〈炬燵出て歩いてゆけば嵐山〉が冒頭の句です。なるべく時系列に沿って鑑賞を進めたかったので、先週までは句集最後に収録された「湯呑」時代の句から先に鑑賞していたのでした。昭和55年の年譜には、「青」2月号が「かねてからとても手の届かないことのように思われていた」前月末に出る、という喜ばしい記述が。編集長島田牙城、編集スタッフ田中裕明・上田青蛙の若手編集陣、頑張ってますね。

炬燵出て歩いてゆけば嵐山  『骰子』(以下同)

入ると自然に少し猫背になる炬燵、暖かさもじんわりとしたもので、他の暖房器具よりも親しみを覚える。中七の叙述は、そう長距離を歩いた風でもない。嵐山の麓に、炬燵があり、人の暮らしがあるのだ。いや、人の暮らしに寄り添うように嵐山があると言うべきか。

寒弾の籬つづきに酒の神

寒弾は寒中にする琴や三味線の稽古のこと。それぞれの家から寒弾の音が聞こえ、いずれの家の籬も美しく整えられている。酒の神は「酒造第一祖神」と崇拝された京都市左京区の松尾大社か、それとも右京区の梅宮大社か。穏やかながら少し艶を感じる町の佇まいだ。

雪まろげ鳴海の人もうち交り

雪丸げは雪の塊を転がして大きな雪の玉にする遊び。二つ合体させれば雪だるまの出来上がり。鳴海は元東海道の宿場町、現在も名古屋市緑区にその名を残す。爽波は関西の人、鳴海もまた雪の少ない地、珍しい大雪に遭った心の弾みがそのまま一句となったような。

突き出でて長き筧や百千鳥

屋根の縁に沿って取り付けられることの多い筧。掲句では「突き出でて」と動きから入り、続けてその長さを示すことで筧の在り様がよく見え、視線も自然と空へと誘導される。そしてその視線は、下五において様々な鳥たちの鳴き交わす空へと瞬時に広がるのである。

苗床の間も掃きて通るなり


露地植えよりも水・温度の管理が容易で虫害も防ぎやすいことから、野菜や草花の種を苗床に蒔き、露地に植えられるくらいまで苗を育成する。素知らぬ顔で掃き進む人の左右に、美しく整えられた苗床が見えてくる。人の動線が景の拡がりを効果的に生み出している。

下読みの眼の血走れり春氷

何の下読みか具体的には書かれていないが、もしかすると、句会を控えて真剣な表情で「ホトトギス雑詠選集」を繰り直す、爽波自身の姿かもしれない。春氷は夜もしくは早朝に見られるが、下読みを行う時間帯というと夜、それもかなりの深更の方が似つかわしい。

蘖や切出し持つて庭にゐる

樹木の切り株や根元から続々萌え出てくる若芽を蘖(ひこばえ)と言う。切出しは先端に斜めの刃をつけた小刀。これで挿木をするための切り込みを入れようと言うのだろう。自然に出て来る蘖と、人の手の加わった挿木と。庭は一息に春らしくなろうとしている。

1 コメント:

楚良 さんのコメント...

10/18は爽波の命日でしたね。