2012-12-30

【週刊俳句時評74】 【itak】。問いかけたこと、問いかけられたこと。 五十嵐秀彦 

【週刊俳句時評74】

【itak】。問いかけたこと、問いかけられたこと。

五十嵐秀彦



今年の俳句界の動きについて振り返ってみようにも、振り返るだけの知識もなく情報も届いていないし、自分から集めようとも思わなかったことに気づく。

また、北海道新聞で道内時評を書いていることから、地元の俳誌や道内作家の句集ばかり読んでいる日常で、日本全体の動向には以前より疎くなってしまった。

ただ、今のところそれをマイナスとは捉えていない。とりあえずこの2年ほどは、「ローカル」と呼ばれるものの本当の顔を探してみようと思ってきたからだ。

そんな状況にいるため、どうもぼくは世間が広くなったのか狭くなったのか、よくわからん。

「ローカル」を見ないようにしていた日常を捨てて、ほぼ「ローカル」しか注目しない日々を送ったこの一年間を思う時、当然のことながら自分の身の回りで起きたことしか思い浮かばないのである。

そんな自分自身の方針転換については、この週刊俳句が関係していることなので、少し迷ったけれども結局そのことを性懲りもなく書くつもりになっている。つまり、今年5月に札幌で旗揚げされた俳句集団【itak】のことだ。

なにごときちんとした仕事ができない性格のぼくらしく、【itak】も大変あいまいなところからスタートした。俳句集団と言っているけれど、組織を作るつもりはないし、実は集団であるかどうかもあやしいものを作りたいと公言した。そして今もあいまいなままである。

そのあいまいな、集団なのか運動なのか、なんだかわからないところに、どうしたわけかぼくの十倍は意欲に溢れるスタッフが集まってくれたのは奇跡のようなものだ。その奇跡がなければ、【itak】はとっくに空中分解して消滅していただろう。

【itak】のことは知らない人が多いと思うので、若干おさらいをしたい。

ことの発端は、前にも週俳時評で書いたが、たぶん週刊俳句第249号に載せてもらった「『中央』と『地方』について考える」だろうと思っている。これは、地理的、あるいは行政的、あるいは経済的に中央であり続けた東京、そこに本拠を置くメディアを中心に作られた「中央」的な俳句の世界が、このところかなり崩れてきていて、中央も地方も無いかのように見えるようになったのに、地方の状況が最近の俳句の世界の動向とは全く無縁のごとく停滞しているのはなぜだろう?という素朴な疑問から書いたものだった。

その現象にはたぶんネットも大きな役割を果たしているように思う。ネットもいまではメディアのひとつとして、時によっては出版メディアより影響力を発揮する場合もある。ネットで話題となる俳人も少なくない。出版とネットとの二重構造の中で、今の俳句の世界が回り始めているようにも見えるこのごろだ。

ネット・メディアは発表にかかるハードルが低いため、誰でもどこからでもそのメディアを利用できるし、それを全国からタイムラグ無しに読むことができる。

そこにボーダーは無い。良いことに聞こえるかもしれないが、必ずしもそうではない。ということは、これまで地元の作家の発表媒体であった地方の結社の存在が果たす役割がどんどん希薄になってきているとも言えるからだ。

おそらく今は、全国規模の結社に入り、かつネットも使ってさまざまな仮想の「場」に顔を出すことが、手っ取り早く存在を広く知ってもらう方法になっているのだろう。

ぼくはそれを批判しているのではない。表現をしている限り、できるだけさまざまな人に作品を読んでもらいたいのは当然のことだ。

しかし見方を変えれば、ネットもまた以前の「中央」と同じ役割を果たしているのであって、ボーダーを無くしたということは、けっして中央が解体されたわけではなく、地方の伝統的な「機関」を無力化させることとなっているのではないかと言いたかったのである。

これは、ぼく自身が全国規模の結社と地方結社の両方に属し、またネットでも比較的露出の多い活動をしつつ、地方新聞に文学時評を書くために大量の地方俳誌や句集を読んできた中から強く感じている現状なのである。

そんなことをしているうちに状況は少し見えてきた。そして、北の人間は自分から斬り込むより忍耐強く待つという性格のほうが勝っているものだが、これはいつまで待っていても北海道の俳句の状況に新しい動きが起きることはないと思った。

そうであれば、柄ではないが、ぼくが何か実験をして見せたらどうだろうか。そう思ったのである。

そこに何か強い気負いを感じる人もいるかもしれない。しかし、ぼくにはそれほど気負いはない。なぜなら実験でいい、そう思っているからだ。実験だから失敗してもいい。
肝心なことはその実験を多くの人に目撃させることだ、と思った。

特定の結社や組織とは無関係の運動を起こす。ことさら同人とか会員とかは定めず、その場に来たいと思った人たちが集まってイベントの当事者になってもらう。句会だけをするのではなく、必ず毎回何かイベントをすることで、座を固定させず不安定で流動的な存在にする。そんなざっくりとしたプランで仲間になってくれる人を求めたところ、ぼくも含めて16名の幹事会ができた。幹事会の中で、結社あるいは協会に入っているのは7名。残る9名は無所属だ。

無所属のメンバーは俳句の世界では若手と呼ばれる世代が中心で、俳歴も比較的短い人たち。しかし、彼らは職業も多様で、かつ行動力も熱意もあり、ほんの数回打合せをしただけで瞬く間に運動立上げの準備を進めてしまった。

そうして俳句集団【itak】と名付けられた運動が、今年の5月にスタートしたのである。

先日、アイヌ民族のグループでもないのになぜアイヌ語の名前なのかと、ある人に問われたが、それには特に意味はない。北海道のグループの名前としてアイヌ語を使うのは特に珍しいことではないからだ。

強いて言えば、この名前にだけはぼくの個人的な好みが反映していて、なんでもいいから「辺境」をイメージする言葉にしたいと思ったということがある。ただ、それも特に運動の色彩を定めるような意味はない。愛称として覚えてもらえればいいという程度のことだ。

【itak】のイベントはここまで隔月開催で4回実施された。人数の変動はあるが、それでも毎回40~50名程度の規模で実施している。それが多いのか少ないのか、それは分からない。句会をするには多すぎるだろうし、運動として影響力を持とうとするならば、まだ少ないとも言えるかもしれない。そして句会以外の企画として次のようなイベントを実施してきた。

5月 第1回シンポジウム「花鳥風月とは何か」(山田航、平倫子、五十嵐秀彦)
7月 第2回講演「芥川龍之介の俳句」(今田かをり)
9月 第3回トークショー「俳句って面白い」(山田航、高畠葉子、籬朱子)
11月 第4回講演「北海道の野生動物から学ぶ」(高橋千羅志)

句会だけやればいいじゃないか。なぜこんなことをするの?と言ってきた人もいた。そう正面から問われると、さてね? と自分でも疑問に思う。けれど句会しかやらなかったら、何度か続ける中でメンバーが固定し、座も固定してしまうような気がしたのだ。

何度も言うが、ぼくらがやろうとしていることは句会を組織するのではなく、何かを動かし始めることだ。そのためには、いつも流動的なものを孕んでいたい。

「なんだか妙なことをやっている連中がいる」 早い話がそう言われたいんだ!ということだろう。

これまでの集客数でいけば成功しているとも言えるが、ぼくはまだまだだと思っているし、この段階で評価するならばかなり辛い点数を付けざるを得ないだろう。そして、ここまでやってみて、これで本当にいいのか、という疑問がぼくにはある。

運動としては確かに動き始めた。しかし文芸運動であれば、毎回何人集まったとか、講演が面白かったというだけではだめなはずだ。つまり作品の質だって重要だよ、ということだ。

メンバーの中にはベテランも少なくないながら、数としては作句歴の浅い人が多い。この俳句集団【itak】が今後も北海道の俳句の状況に刺激を与え続けることも大事だし、この座に参加している人たちが互いに刺激し合っていい俳句を作れるようになることも当然大事なことだと思う。その点がどうも見えない。

まあ多くのことを求め過ぎても駄目だろうから、来年も試行錯誤を繰り返していくしかない。そして「なんだか妙なことをやっている」と来年も言われ続けたいものである。

今年という一年は、ぼくにとっては【itak】に尽きた。ほかのことはあまり出来なかった。

しかし、批評をするだけではなく自分で状況を作ろうという「思いつき」が、面白い方向に何かを転がし始めたのであり、自分でボケて自分でツッコんでいるようなアリサマではあるけれど、北海道にひとつ妙なことが起きました、という一石は投じられただろう。
ぼくが今年一年を回顧すると、もうこのこと以外書くことが無かったのである。

では最後に、今年の【itak】句会の成果の中からほんの一部だけ紹介して終りにする。

第1回句会作品から
蒲公英の絮や母には母の夢  内平あとり
花の闇四番出口が便利です  信藤詔子
風薫る新書に浮かぶ紐の跡  高木晃
葉桜となりて切り出す話しかな  籬朱子

第2回句会作品から
乳房のひとつは薔薇におきかへる  早川純子
いつもどこかに夏風邪の妻がゐる  橋本喜夫
夕立くるきざしきざはしすでに濡れ  鈴木牛後
少年と走る二死満塁の夏  瀬戸優理子

第3回句会作品から
霧の底死体は髪が伸びてをり  四方万里子
蛍の夜手足消えたるかと思ふ  久保田哲子
電柱に服直します草の花  古川かず江
このぶよに「クサマヤヨイ」と名をつける  福井たんぽぽ

第4回句会作品から
枯るる葉にバージンオイル二、三滴  柏田末子
はちみつの瓶の白濁冬に入る  今田かをり
綿虫と耳鼻咽喉科の靴の数  小笠原かほる
てのひらを開けば重い冬がある  辻脇系一

第5回イベントは1月12日(土)午後1時から。北海道立文学館地下講堂で開催される。
詳しくはこちら。http://itakhaiku.blogspot.jp/2012/12/i-t-k.html



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