2013-01-20

【週俳12月の俳句を読む】 竹岡一郎

【週俳12月の俳句を読む】 
綺麗なニート

竹岡一郎



坂道に冬の金魚を多く売る   上田信治

妙に神秘的なところのある句で、これは春でも夏でも秋でもない、冬でしかありえないという気がする。坂道という言葉は、日本においては生と死の境を暗示するが、しかしそれは舞台装置に過ぎないのであって、この句の神秘性が依って立つところは、実は「冬」と「多く」の配合にこそあるのだと思う。

公園の銀杏が散つて真つ暗に   上田信治

これもまた妙な味のある句で、銀杏黄葉の色から光を思い、それが散ると真っ暗というのは、一見理屈に見えて、そうでもない。あくまでも言葉のイメージの流れであって、現実に積み重なってゆく理屈ではないからだ。一見まともに見えて実は狂っている人を見るような面白さがある。この句から醸されるイメージもまた、初見はまともに見えて、しかし相当飛んでいると思う。


押して動かぬ引いて動かぬ冬青空   平井岳人

その硬さ、冬青空に勝るものは無い、という主張だろうか。押しても引いても微動だにしない観は、冬青空の冷酷さを暗示していて、気持ち良い。


玄関のドア少し開けては閉めるニートです   藤井雪兎
遠くから母校見つめニートです           
思い出に謝ってばかりのニートです         同 
坊主にして何かが変わるはずだったニートです  同

自虐ギャグか、と思うのだが、良く読むとやっぱり真面目らしい。最初は爆笑する句群だが、何度も読んでいる内に、妙に胸打たれるものがある。
「母校見つめ」とは、何らかの良い思い出が其処にあったという事なのだろう。「思い出に謝ってばかり」とは、何か優しい思い出がかつてあったという事なのだろう。そういうことが世にあるというのは良く聞く。
私の目から見ると、この上五中七が、あまりにも遠い。受け身で柔らかく優しいので、下五の「ニートです」が何だかこの世ならぬ輝きを放ち出すように見えるのだ。ニート、とは優しく静かな不可思議な人種であるような、そんな錯覚に駆られる。ちょっと可愛いのである。

しかし、もしかしたら、無力を衒(てら)ってるのか。衒いが悪いというわけではないが、何といっても下五が「ニートです」。社会的動物として無力です、といっているのだ。つきすぎてないか。下五が仮に「ヤクザです」なら、面白いかもしれぬ。

眠剤売った金募金しろってか姉ちゃん    藤井雪兎

睡眠剤、例えばロヒプノールなどはクラブで良く売れるらしい。水なしで齧ると、よく(精神が)飛ぶのだと聞いたことがある。恐らく精神科で処方される睡眠薬を飲まずに取っておいて、売って小遣いにする、という情景だろう。(ここで作者の名誉のため言っておくと、作者がそうしたことがあるとはどこにも書いていない。そういう話を身近に聞いたことがあるということなのだろう、と言っておく。)

一種の麻薬を売った金だから、社会的に良いこととは言えないが、問題はここで「募金しろってか」と言ってるところである。作者が、もし自分が眠剤売ったとしても、そのあと、「募金お願いしまーす」と叫んでいる(ちょっと綺麗な)娘、まるで世の中の善(実際は単なる利益衡量なのであるが)を体現しているような娘に対して、引け目を感じているということである。更に言うと、結局募金してしまって、でも、あんな汚れた金を募金してしまっていいのだろうか、と悩んでいるのである。あるいは、金が惜しくて募金しないのだが、その言い訳として、こんな汚れた金だから、と思っているのである。募金するしないは、この場合、どうでも良い。汚れた金だと作者が思っていることが重要なのだ。その金は作者自身の暗喩である。これがどうも切ない。なぜなら、金は所詮、金であって、この世ではその多寡が問題となるだけであり、当然、綺麗とか汚いとかいう区別は存在しないからだ。

もし眠剤売った金が百億なら、そのボロい儲けを適当に納税して、更に募金なんかも気前良く、ついでに反戦とか反核とか耳触りの良いノリで叫んじゃったりしたら、たとえ国賊だとしても(世間には幾らでも例のある話だ)、もう誰も後ろ指ささないよ、バンザイ。


第293号 2012年12月2日
戸松九里 昨日今日明日 8句 ≫読む
山崎祐子 追伸 10句 ≫読む
藤井雪兎 十年前 10句 ≫読む
第294号 2012年12月9日
竹中宏 曆注 10句 ≫読む
第295号 2012年12月16日
山崎志夏生 歌舞伎町 10句 ≫読む
平井岳人 つめたき耳 10句 ≫読む
第296号 2012年12月23日
上野葉月 オペレーション 10句 ≫読む
第297号 2012年12月30日
上田信治 眠い 10句 ≫読む




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