2013-03-24

林田紀音夫全句集拾読 258 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
258

野口 裕





竹の葉が降る寂しさの坂下る

追ってくる波のさびしさゆりかもめ

夏の日の沖にも寂しさが及ぶ


昭和六十三年、未発表句。四百二十九頁上段十四句のうち、「寂しさ・さびしさ」を含む三句。紀音夫の心情として伝わってくる「寂しさ・さびしさ」が、これらの句ではそれほど伝わってこない。一般的な「寂しさ・さびしさ」に還元されている。自然景中の、「寂しさ・さびしさ」を追求しようとする試みと解釈すべきか。平成元年「花曜」に、「海の五月さびしさはまた日の明るさ」、同年「海程」には、「波白く渚の寂しさをもたらす」。

 

百日紅いつまでも雲滞り

青ぞらのきようを失う百日紅

風の日のたちまち終る百日紅

壁朽ちて百日紅また幾日の夏


昭和六十三年、未発表句。前項と同じく四百二十九頁上段十四句のうち、四句が百日紅の句。これまで、あまり登場してこなかった素材であるが百日紅に新機軸を見いだした風でもない。どうも、昭和六十二年に「芦屋に転居」という詞書のあった句のあたりから句風に変化があるような気がする。有季定型句はそれ以前からあるが、紀音夫の悪しき傾向として指摘されることの多いトリビアリズムも希薄になった。四句のうちでは、最後の句が幾分これまでの紀音夫らしさをとどめていようか。

 

公園の水栓漏れるおくれた夏

昭和六十三年、未発表句。この前の句が、「原爆忌水なまぬるく嚥みくだす」。あわせて読んだ方が分かりやすい面もある。だが、公園の片隅に注目する点に、前句よりも紀音夫らしさが認められるだろう。「晩夏かな」とやらずに。「おくれた夏」と六音で流すところ、いかにも紀音夫流である。

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