2013-03-10

【週俳2月の俳句を読む】バラバラの壺 三品吏紀


【週俳2月の俳句を読む】
バラバラの壺

三品吏紀



狼炎ゆ遠流の神の香を辿り   竹岡一郎

大神(狼)が山神(鹿)の香を辿って追う。
かつてはそれが我々の生活の直ぐそばにあった光景が、ニホンオオカミが姿を消して以来、幻となってしまった。
狼の目に燃える炎は野性の本能か、それとも大神としての義務を全うするべく山神を狩るのか。
そこに人間の入る余地はない。 それで自然のバランスが保たれてきたのだから。



かげろいて手を振りあいて同胞   皆川燈

互いに離れながらも陽炎のようにぼやけて判らなくなるまで手を振り続ける。
別れの悲しみと寂しさは陽炎が見え続ける限り残り、やがて陽炎が見えなくなった時、おのおのが振り返って次の道に向かって進んでいく。


水温むと今日エウロパより便り   皆川燈

肉筆の便りというのは、筆者の想いと温もりが残っていて、受け取る方は嬉しいものだ。
ましてやそれが海を越えた異国の地から届くとなれば、なによりまず「よくぞ無事に届いてくれた!」という感激の方が大きいだろう。
便りの筆者にとって「水温む」とは母国への郷愁が込められており、「そちらは今どうですか?」という問いかけをしている。
逆に受け取る方は「ああ、そちらもこっちと同じ時間を生きているんだな」という未知の世界への憧憬と安堵が浮かんでくる。
たった一語。それだけで互いの思いが交差しあう。



にんげんは戦争が好き雪の弾   照屋眞理子

「戦争が好き」という一語に複雑な思いを持ってしまいそうになる。事実、この世で無意味な破壊や殺戮をする動物は、人間ぐらいだろうから。
中七までの流れだけで読むと、非常に重い句であるように思わせる。しかし、下五に「雪の弾」ときたことで、思わず「おっとととっ」躓く様な展開で句を落ち着かせているように思う。
きっとこの句は、雪合戦ではしゃいでる子供達の様子のことだろう。 雪原に入り乱れる子供達の嬌声と雪玉。
確かに今ここでは一つの戦争が起きているのだろう。
屈託のない笑顔とはしゃぎ声と共に。



猟銃のまぶしき音の一度きり   宮本佳世乃

眠る山に響く一度きりの銃声。
それは獲物を仕留めた歓喜の一撃か、はたまたそれを逃した無念の空砲か。それとも山の怒りに触れて雪崩に全て飲み込まれてしまったか。
下五の「一度きり」がこの句のイメージを膨らませるポイントになっているように思う。
一度きりの銃声で山は一瞬まどろみ、そして春までまた浅い眠りにつくのだろう。



石段を掃き下りつつ春寒し   岩田由美

毎日のルーティンワークは、季の移ろいを敏感に感じることができる。米を研げば水の冷たさに、洗濯物を干せば陽の高さに。
今はまだ寒さの残るこの時期でも、やがて薄皮を一枚ずつ剥ぐ様に春の陽気を感じられるようになる。
石段を一段ずつ掃き終えるごとに、春もまたゆっくり訪れるのだろう。



荒ち男の病むと聞きたり蜆汁   中原道夫

自分が酒飲みのせいか蜆汁の句にはどうにも酒毒・酒害が付きまとうように思う。先日も少々暴飲の一夜を過ごしてしまったので、この句を読んだときに思わず頭を抱えてしまったほどだ。
肝臓は一度壊れてしまうと、元の元気な状態に戻ることは難しい。例えて云うなら「バラバラに割れた壺」みたいなもの。
仮に元の形に戻したとしても、水を入れるとじわじわ漏れ出し、やがて決壊する。
この句の男は自分の中に、「バラバラに割れた壺」を抱えているのではないだろうか。そんなボロボロの壺に、蜆汁だろうが酒だろうが注いでも漏れ出す一方だ。
割れた壺は二度と元に戻ることはない。



第302号 2013年2月3日
竹岡一郎 神人合一論 10句 ≫読む
宮本佳世乃 咲きながら 10句 ≫読む
第303号 2013年2月10日
照屋眞理子 雪の弾 10句 ≫読む
第304号 2013年2月17日
皆川 燈 千年のち 10句 ≫読む
第305号 2013年2月24日 
中原道夫 西下 12句 ≫読む 
岩田由美 中ジョッキ 10句 ≫読む

0 comments: