小川春休
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一枚の歌留多の砂に埋れんと 『一筆』(以下同)
他の歌留多はどこにあるのか、砂とは庭のような場所か。読み手はそのような想像を働かせるが、一句はまざまざと眼前の偶然の景を描き出すのみ。偶然の鮮度を保つには、それを偶然として特別扱いしてはならない。当たり前のように存在する時こそ、偶然は輝く。
雲ケ畑大きく洟をかみ捨てぬ
雲ケ畑(くもがはた)は、京都市北区の賀茂川源流域の山間部。かつての鯖街道の経由地としても知られ、惟喬親王出家・隠棲の地として多くの逸話の残る地でもある。そんな雲ケ畑も現在は小中学校が廃校となる程の過疎地、洟をかむ音が大きく響き渡るばかりだ。
避寒して松喰虫とはどんな虫
松喰虫被害は、「マツノザイセンチュウ」が松の樹内に入ることで引き起こされ、松林に甚大な被害を与える。句意は平明だが、例えば久々に訪れた避寒の地で、かつて威容を誇った松林が失われた理由を当地の人に尋ねる、と言ったようなやり取りが思い浮かぶ。
避寒して金使ふことごく僅か
寒さの厳しい時期に温暖な温泉地などへ行く避寒。温暖とは言えやはり、出歩けばそれなりに風は冷たく、自ずから宿にいる時間が長くなる。たっぷりある無為な時間が避寒の本意とも言えるが、それを「金」で表す身も蓋もなさ、爽波ならではの写生と諧謔である。
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