2013-07-21

朝の爽波76 小川春休



小川春休




76



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の新年から寒の頃の句。昭和六十一年から「青」に「枚方から」と題した実作体験に基づく所感の連載を始めています(連載開始は「青」二月号から)。昭和六十年十二月発行の「俳句年鑑」には「俳句スポーツ説」を発表しており、爽波の重要な俳論がこの時期に集中しています。

一枚の歌留多の砂に埋れんと  『一筆』(以下同)

他の歌留多はどこにあるのか、砂とは庭のような場所か。読み手はそのような想像を働かせるが、一句はまざまざと眼前の偶然の景を描き出すのみ。偶然の鮮度を保つには、それを偶然として特別扱いしてはならない。当たり前のように存在する時こそ、偶然は輝く。

雲ケ畑大きく洟をかみ捨てぬ

雲ケ畑(くもがはた)は、京都市北区の賀茂川源流域の山間部。かつての鯖街道の経由地としても知られ、惟喬親王出家・隠棲の地として多くの逸話の残る地でもある。そんな雲ケ畑も現在は小中学校が廃校となる程の過疎地、洟をかむ音が大きく響き渡るばかりだ。

避寒して松喰虫とはどんな虫

松喰虫被害は、「マツノザイセンチュウ」が松の樹内に入ることで引き起こされ、松林に甚大な被害を与える。句意は平明だが、例えば久々に訪れた避寒の地で、かつて威容を誇った松林が失われた理由を当地の人に尋ねる、と言ったようなやり取りが思い浮かぶ。

避寒して金使ふことごく僅か


寒さの厳しい時期に温暖な温泉地などへ行く避寒。温暖とは言えやはり、出歩けばそれなりに風は冷たく、自ずから宿にいる時間が長くなる。たっぷりある無為な時間が避寒の本意とも言えるが、それを「金」で表す身も蓋もなさ、爽波ならではの写生と諧謔である。

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