2013-09-01

【週俳8月の俳句を読む】どこかで夏の夜の遊園地的な 村上瑪論

【週俳8月の俳句を読む】
どこかで夏の夜の遊園地的な

村上瑪論


うつせみの真顔イタリア彫刻史  彌榮浩樹

真顔といわれてみると、それが手もとにないので確かめようもないが、たしかに空蝉というのは眉間に皺などが寄っていて小難しそうな顔をしている(はずだ)。長い土中の生活から解放されたのだから、もっとリラックスしてもよさそうとは余計なお世話かもしれない。真顔と軽くフックを入れておいていきなりイタリア彫刻史へと飛んだ。その厳つい形状からくるものが何かを呼び覚まし、やがてそれがイタリア彫刻史へと結実した(不謹慎にもバルタン星人などではなく)。うっちゃりを見事に決められたという感じである。仕掛けられた方としては、相手の土俵に引き込まれ、バカみたいに踊らされて、舌打ちしたくなるような気分かもしれない。


点線の線になりたる速さかな  鴇田智哉

現代アート的な視点からの世界である。かといって、60年代のアメリカン・ポップ・アートのウォーホール、リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズ、そしてちょっと遅く生まれてきたバスキアあたりとは、ややずれるか。点線を速いスピードを以て流してゆくと、目の錯覚により点と点のすき間が潰れ、一本の線になって見える。つまり、速いから線になるのでなく、線になるほど速いのだという作者独自のこだわりがここにはある。どこか遠くでリインカーネーションという言葉が点滅しているような気がしてならない。あくまでイメージだけれども。


蝙蝠や橋をわたれば神谷バー  村上鞆彦

創業明治13年、浅草の地で日本初のバーを謳う神谷バー。かつての水都であった江戸は、町の間を舟が縫うように奔り、しぜん町々をつなぐ橋も多かった。この橋はおそらく吾妻橋なのであろう。蝙蝠が飛び交う濡れたような夕刻。作者を神谷バーで待っているのは、ブランデーベースのカクテルであるデンキブランなのか、それとも誰かなのか。季語に蝙蝠を持ってきたことにより江戸川乱歩的な世界が渦巻き、どこかでモノクロームに染まった活動写真のような絵が心地よくひろがる。


蟬鳴きて瓶底ゾンビ的な店  井口吾朗

回文というと「軽い機敏な子猫何匹いるか」のコピーライター土屋耕一が有名である。しかし、作者はそれらとは別のフィールドで一つのスタイルを模索しているように思える。全句を見渡してみても、いい子いい子的な部分をかなぐり捨て、自由に遊び自在に愉しんでいる。掲句、これらのなかでは比較的ビジュアライズされた句と感じた。回文という括りがなければ、もう少し違う場所を飛び回っていたかも。言葉を次々と器用に扱い、狂気と完成度の紙一重なところがゾクッとさせる。



第328号 2013年8月4日
彌榮浩樹 P氏 10句 ≫読む


第329号 2013年8月11日
鴇田智哉 目とゆく 10句 ≫読む
村上鞆彦 届かず 10句 ≫読む
 

第330号 2013年8月18日
井口吾郎 ゾンビ 10句 ≫読む


第331号 2013年8月25日
久保純夫 夕ぐれ 10句 ≫読む

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