【週俳9月の俳句を読む】
「受動的」な自然と四季 ——「くるぶし」を読んで。
高崎義邦
個人的な話から始まってしまうが。
浪人から始まり東京での生活ももう今年で四年目となった。
実家である愛媛県での生活と異なることのひとつに自然が『触れに行く』ものになったということがあげられると思う。
というのは、東京の中にも東京の近郊にも豊かな自然に触れられる場所もあるし、何気ない生活の変化のなかで感じることの出来る「四季」ももちろん存在するが、どこか「東京」のそのキャラクターのせいか背後に「都市性」のようなものを感じてしまうのである。
中央線をしばらく行けばすぐ高尾山に着くし、高円寺の商店街で売られているものだって四季折々によって変化もするだろう。ただ、地方出身のよそ者の僕がそこに行きそこのものに触れることは、どこか「能動的」に自然に触れに行き、「能動的」に四季を感じに行っている気がするのである。
少し路面電車に乗って行けば瀬戸内海がいやでも眼に入ってきて、山の上にあった高校に通うまでの道中に桜並木があり春はその桜に押しつぶされそうになりながら登下校し、秋になれば焼き芋売りの声がさびしげな田舎の住宅街に響く、そんな当たり前の「自然」、田舎で生活していく中で選択の余地がない「受動的」な自然とは、また違ったもののようによそ者の僕には感じられる。
そんな身近な「四季」「自然」に満ちている田舎がどうしても「何もない」もののように見え、「東京」を目指して十代のときには早く故郷を離れたいといった気持ちに多くの若者が駆られるが、今落ち着いてきて、やっと生活の中に「勝手に」自然・四季の存在していた「故郷」が懐かしくてとても良いもののように感じられるのである。
そんな、「勝手に」自然・四季の存在しているような場所での風景を切り取ったものとして、今泉礼奈の「くるぶし」を読み、勝手に故郷の風景に懐かしさを覚えた。
餌売れば釣竿も売る初秋かな 今泉礼奈
普通に趣味として夜釣りなどをしている父親仲間が週末に馴染みの釣具店に行ったら、餌を買ったついでに、店主に体よく竿も押し付けられ買ってしまった。「秋刀魚釣るならこれだよ」などと言われたのかもしれない。釣りのディテールはないものの「秋になったんだ」ということを読者に自由に推測させるような幅のある句。
晴れてゐて去年と同じ案山子かな 今泉礼奈
去年もこの田んぼを見たのだろう。通り道にふと、目をやるとそこには去年と同じ案山子が。そこで、「今年の秋」に何気なく気づくのである。
颱風や船の名前が船と並ぶ 今泉礼奈
それほど、深刻な被害ではない。颱風の次の日に海の近くを歩いていると昨晩の影響でか船の名前を書かれたプレートのようなものが船の横に漂流している。そこに少しおかしみが生まれ自然と微笑んでしまう。
どの句も血が通った「生活」の目があってあたたかい句だった。
第332号 2013年9月1日
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第333号 2013年9月8日
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第334号2013年9月15日
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第335号2013年9月22日
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■今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
■仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む
第336号2013年9月29日
■北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む
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2013-10-13
【週俳9月の俳句を読む】 「受動的」な自然と四季 ——「くるぶし」を読んで。 高崎義邦
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