2013-11-24

成分表61 進歩 上田信治

成分表61 進歩

上田信治


「里」2011年7月号より転載

「表現は、なぜ進歩しなければいけないのだろう」

フリージャズという、でたらめのように楽器を鳴らしまくる音楽が、主要な演奏家が若死にするなどして、早めにすたれてしまったことを知り、割り切れない思いで考えたことだ。

その後、ジャズの流行はいったんひどく聞きやすいスタイルに移っていったので、フリージャズは、ジャズという音楽の折り返し地点だったらしい。

それこそ多くのジャンルが折り返し地点を越えたことを感じさせる現在ではある。むしろ今は「表現は、進歩しなくていいような話になっているが、本当にそうだろうか」と思っている。

モダニズムの20世紀において「表現」が人間の自然な快美感を離れ、むしろ不快美のようなものに逢着したのは、「美」というものが生来メタな位置にあるからで、「美」はきっと「美の美」「美の美の美」を求め、やみくもな高みを志向するようにできている。

話は飛ぶが、ビールというものはずいぶん複雑な味がする。

おいしさの探求において、とりわけ酒類はそれぞれに複雑を志向するものだけれど、ビールには発泡酒という比較対象があるので、それが見えやすい。発泡酒の味は、構成要素を、あれとこれとあれというふうに、なんとなく数えられるけれど、ビールは、全体としてビールになっていて要素に分けられない。そのことからも、ビールを造ることと、ビールに似たものを造ろうとして造ることには、大きな階梯の差があるのだろうと推測される。

表現が進歩しなければいけない理由は、とりあえず飽きるから、だとはいえる。

発売当初、ドライビールはたいへん美味しく感じられ、そしてすぐ飽きられてしまったけれど(そしてすごく悪口を言われた)、私たちはそれを「前と違う」という理由だけで歓迎した。表現行為において高さと新しさは混同してもいいことになっていて、それは飽きる受け手があってなりたつ表現というものの必然だろう。

しかし、表現が進歩しなければいけないもっと大きな理由は、人間ずいぶんがんばってやみくもな高みを目指すのでなくては、ビールではなく発泡酒を造るはめになるからだ。

発泡酒という存在は、それ自体、ビールの記憶に支えられて成立している。

そのことは、私たちの「まずまずの人生」が、芸術の記憶に支えられていることと、すごくよく似ているのだから、ものを造ろうと思う人は、本当にずいぶんがんばらなければいけないと思うのだ。

  ビール工場からあふれさうな満月  能城 檀
  浚渫船見てゐる昼のビールかな   依光陽子

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