2014-02-16

空蝉の部屋 飯島晴子を読む 〔 16 〕小林苑を

空蝉の部屋 飯島晴子を読む

〔 16 〕


小林苑を


『里』2012年8月号より転載(加筆)

いつも二階に肌ぬぎの祖母ゐるからは
   『八頭』

第三句集『春の蔵』は昭和五十五年、掲句を含む第四句集『八頭』は五年後の昭和六十年に上梓されている。前衛的で難解な晴子句が平明な表現に変わる境目の時期といってよいだろう。突然に変化したというより、第一句集から始まる「言葉を独り歩きさせて、私はその後からついていく」〔※1〕「俳句の言葉となり得る言葉が現われる」〔※2〕という方法による、ときにはその意志が句を息苦しくしてしまうような作品から、次第に、自然体で呼吸するような作品になっていく。「私が言葉について得たカギは、ホトトギス俳句にも当てはまるのである」〔※3〕と述べるように、俳句観の変化、あるいは広がりもあっただろうし、加齢により自然と力も抜けていったのだろう。

言葉を独り歩きさせる方法を晴子が選ぶのは、さまざまな出会いや時代の中からではあるが、既存の言葉に絡みついてくる湿気を拒否する方法が、晴子という人に備わった気質に見合っていたのだと思う。晴子の文章、のみならず生き方に接すると、実にポジティブなのだ。

俳句における出会いの中でも生涯の友とでもいうべき、アベカンこと阿部完市とは、昭和五十二年には一緒に『現代俳句ノ―ト』を出し、これは三号まで続いた。また、たびたび吟行を共にする、気ごころの知れた間柄だったようだ。七歳年下というのも、姉弟ほどの気安さが生まれるのにいい違いだな、などと思う。「紅葉の岸をともに」したりもあったんじゃないかと穿ってみたりする。

相通じるところがあったのは、ひとつには都会人同士ということがある。阿部は一九二八年、東京の牛込区生まれ。東京と京都は違った風土ではあるけれど、都会には土着にならない乾燥した空気がある。

また、その生き方も、前向きだ。『第一句集を語る』を読むと、親や弟の面倒も引き受けていくのだが、それをサラッと語っている。艱難辛苦なんで恥ずかしくって言えるか、というのかもしれない。

もちろん、その第一句集『無帽』から、自ら「(俳壇的に言えば)、『絵本の空』のほうが私にとって第一句集と言えるかな」〔※4〕と言う < ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん > へと大きく転じたことを考えると、晴子が句集刊行以前の句をすべ捨てたということと重なる。両者とも言葉から俳句を作ることを選びとった。

その阿部完市は晴子を「最高の<言葉使い>のひとり」と呼び、「意志的で、人間の勁さというものを充分に私などにみせていた」〔※5〕と言う。『飯島晴子読本』に寄せられた一文であり、< 豆ごときでは出て行かぬ欝の鬼  「儚々」> をあげて、その「飯島さんにこの一句があって、私にはまことに意外であり、また悲しい」と続くのだが、この句にも出て行かない欝の鬼を冷静に見つめているようなところがある。

そんなことを思いながら掲句を読む。

肌ぬぎというのは、暑い季節に、着物をはだけ上半身を脱いで肌を出して涼もうとすることで、くだけた格好だ。はしたないから女性は普通人前ではしないが、とくに年寄りなら、家や身近な人の中では珍しいことでもない。

それでも「暑い、暑い」と肌脱ぎして、パタパタと団扇で扇ぐというような感じは、人目なんか気にしないという様子が浮かんでくる。片肌脱ぎとか諸肌脱ぎとか言うと、ちょっと任侠っぽい、あるいはいなせな風情もあり、二階にいる肌ぬぎの祖母も、じめじめと愚痴をこぼしたりしない、一筋縄ではいかなそうな女性という印象を受ける。

その祖母が「ゐるからは」である。だからどうなのかは謎のまま、謎は読者に手渡される。

祖母という存在から、さらに二階という場所からも、女系を思う。娘にとっての母、その母である祖母。自分に似た人として、母とは、疎ましく避けられないものだ。この血脈の象徴としての祖母が、頭の上の二階に (と言ってしまうと理屈になってしまうのでよくないが) 「ゐるからは」、のあとに続くものは、強くあらねばならないという、陰画をひっくり返した意志のようなものではないか。こころに潜む鬱などは間違っても見せてはなせらぬ、のである。言い換えれば、似たくなくても似てしまう、受け継がれる女の闇を強く意識しているということでもある。

たとえば < 綿虫や母の枕に石つめむ 「蕨手」>  < 餅搗が来るさえざえと母掠め 「蕨手」>  < 冬の母まつられ厚き舌をもつ 「朱田」> など、 初期の句集に出てくる母も厳しいもので、優しい柔らかな母は登場しない。< 桃の葉にひつそりとゐる伯母殺し 「朱田」> というのもある。これもまた、女系の暗闇を思わせる。

これらの句にも、しかし、湿度はない。何度も同じことを言っているけれど、それが晴子の句の魅力だ。言葉から生まれてる世界は乾いていて、後ろ向きではない。また、写生句となっていく頃には母の登場はなくなる。

< 初風呂を娘の家に貰ひけり 「平日」> この穏やかな句が遺句集にある。なんだか、ほっと胸を撫で下ろす。


〔※1〕『飯島晴子読本』収録 「わが俳句詩論―自伝風に」
〔※2〕『飯島晴子読本』収録 「言葉の現われるとき」 
〔※3〕『飯島晴子読本』収録 「私の作句法/写生とは」『俳句四季』一九九三年八月
〔※4〕『第一句集を語る』二〇〇五年一〇刊 聞き手は櫂未知子
〔※5〕『飯島晴子読本』収録 「飯島晴子の俳句」

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