2014-02-16

【週俳1月の俳句を読む】 触発されるもの  鴇田智哉

【週俳1月の俳句を読む】
触発されるもの 

鴇田智哉



白髪の分け目のやうな恵方道  佐怒賀正美

眩しさがザワザワと分かれて道がある、という印象を受けた。と同時に、道をゆく老人のこととか、作者が自らの老いを意識する心とかが、ユーモアを伴って感じられて、心和む句でもある。

恵方道とは、歳徳神つまり年神様が人間世界に来訪してくる道、を差す場合と、人間が恵方詣に向かう道、をいう場合とがあるようだが、なんのことはない、来るか行くかが違うだけで、どちらも同じ道には違いない。

そういうことを考えてみると、分け目、という言葉が案外とおもしろいのである。

いま落ちてしまへば夢や夏落葉  川名将義

受験生には聞かせられないような句。
いや、落ち武者にも聞かせられない句。

いや、そもそも人がもつ或る不安にまでつながって、それは芭蕉の夏草へととんで、再び、ここへと戻ってくるような夢をみさせる句。

いま、という言葉からのイントロがなめらかで、夢や、でふっと切れる。そして夏落葉はむしろ爽やかな感があるから、そこには理屈はあまり入ってはこない。

つまりこの句は、調べが生きているのだと思う。

セーターを脱げば眼鏡の引つ掛かる  小野あらた

そもそも、身につけていたものを外す、身につけていたものを脱ぐ、これらは、自分の一部をはがすような、おもしろげな行為である。

何となく眼鏡を外し忘れた。でもセーターは脱ぐ。そうした人間味のある行為の行き交いのうちで、眼鏡がセーターに引っ掛かったのである。その時、眼鏡が自分としてでなく、物体として意識された。

さらにおもしろいのは、セーターと眼鏡の質感の違いだ。セーターは重たいが柔らかく、眼鏡は硬質だが歪みやすい。重みのあるセーターに歪められて困っている眼鏡。それに気付く作者。

両者の間に漂う何とはなしの寂しさがいい。

冬青空鶏隙間無く積まれ  玉田憲子

事実としての背景や意味を考えてではなく、いわば一枚の絵としてこの句を読んだ。

冬青空。そこに白い山がある。白い山をよく見ると羽があり鶏冠があり貌があり脚がある。

そうやって、目が白い山を見分けていく瞬間的な時間の流れが、この句にはある。

隙間無く積まれ、という表現が、読者におけるそうした目のはたらきを触発するのだろう。


第350号2014年1月5日
新年詠 2014  ≫読む

第352号2014年1月19日
佐怒賀正美 去年今年 10句 ≫読む
川名将義 一枚の氷 10句 ≫読む
小野あらた 戸袋 10句 ≫読む

第353号2014年1月26日
玉田憲子 赤の突出 10句 ≫読む




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