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2022-06-19

鴇田智哉【週俳2月5月の俳句を読む】乗り切ろう

【週俳2月5月の俳句を読む】

乗り切ろう

鴇田智哉


贈答のハムの転がる冬構  工藤 吹

転がる、といわれて古い家の畳を思う。いや、家を古いと想像したのは、贈答のハム、という言葉のせいかもしれない。

何十年も昔からコマーシャルとかでハムは、贈答品のイメージをまとってきたから。
まわりの暗さが、これからの冬の暮らしを予感させる。


箸乾く餅の貧しく付きしまま  工藤 吹

貧しく、という見方は少し寂しいが、私も見たことのある景が立ちどころに再生された。これもまた、昔からの景。


橋と日と鴉を残し春の川  阪西敦子

川、はもとより流れるものだが、心と目はときに、その流れにつられる。そしてふと戻るとき、橋と日と鴉、があったのだ。

残し、という一語の面白さ。

パンらしきものも映れり春の川  阪西敦子

自動車が顔に見えるとか、いろいろあるけれど、目からのものの把握は、何らかの物に飛びつくという性質があろう。ここでは、パン、に飛びつきかけた。

ぼんやりしていたのだろう。パンの語感が長閑。


姿なす春の泥からヌートリア  福田若之

いきなり、姿なす、といわれることで当然読者としては、何が? となる。で、ヌートリアだ。

ヌートリアはネズミの仲間。私も動物園でだったか、聞き覚えのある名だ。近年は日本で分布域を広げる外来種の一つだそうだ。水辺に暮らすので、春の泥、から来ることもあろう。

この句は、泥だけがあるような、手品のような描き方である。

ヌート、の語感がいいのだ。


春の夢か電子レンジのさざなみも  福田若之

くれぐれもこんな、さざなみ、に頭と体をやられぬよう。


しやぼん玉割れてあくびの涙ほど  山口優夢

理屈と非理屈が半々ぐらいで作用している。そこに人間の寂しさがある。

死者自身訃報読みたしポピー咲く  山口優夢

ポピーの群れの、あの浮き出たような色彩は、この世の別の位相を思わせる。

自身の訃報を読みたい、という強い思いの残像のようで。

夜が手を見せて戦場から電話  山口優夢

たとえば夜になると、窓に手が映る。そうした読者の記憶の欠片が、夜が手を見せて、という言葉により一般化される。

手、はこの世界のいたるところにある。

電話での通話の状態、そのまわりにも。


プチトマト潰れてゐるや孔雀吼ゆ  山田耕司

孔雀、のいる極彩色の場に、匂いや音声が加わって強烈。

プチ、がもたらすレジャーらしさ、園らしさに、可愛らしさがある。

寝そべりてカンガルーたる五月かな  山田耕司

カンガルー、が人みたいでぎょっとすることがある。あまりに人のようで嫌になることもある。あの妙な感じを知っていると、この句に味わいは一段と深まる。

カンガルーたる、のふてぶてしさ。

五月かな、と堂々と爽やかに乗り切ろう。


第772号 2022年2月6日
■工藤 吹 大炬燵 10句 ≫読む

第773号 2022年2月13日

■阪西敦子 あとの音 10句 ≫読む  

第784号 2022年5月1日

■福田若之 面白 10句 ≫読む

第785号 2022年5月8日

■山口優夢 戦場から電話 10句 ≫読む

第788号 2022年5月29日

■山田耕司 桐生が岡動物園にて 10句 ≫読む

2021-02-28

【句集を読む】冥途のちょっと前 鴇田智哉『エレメンツ』を読む 竹岡一郎

【句集を読む】
冥途のちょっと前
鴇田智哉『エレメンツ』を読む

竹岡一郎


きのふをととひと次第に玉になる  鴇田智哉(以下同)

玉になるのが何かは示されていない。「次第に玉になる」という、日単位の緩やかな変化が示されているだけだ。玉は美しいものの象徴であり、神霊の依代ともなる。玉をそのまま魂と読み換える事も可能だろう。それなら、霊的な美しいモノ全般という事になる。

一昨日昨日ではなく、昨日一昨日と記されている。つまり時間を逆行している。時間に順行しているなら、これは現世の事だ。時間を逆行できるなら、これは四次元の事象か。

滝壺の風のひろがりつづけたり

風はいつか止むものだが、ここでは絶える事のない風を描いた。滝壺には絶えず滝が落ち、逆巻く水は絶えず風を産む。風は滝壺の周辺に絶えず広がり続け、滝壺を取り巻く空気の流れとせめぎ合っている。永久機関とまでは言えないが、余程の破壊が加わらなければ、滝は風を生み続け、生まれた風は広がり続けるだろう。

火が紙にくひ込んでゐる麦の秋

弱い火が紙の周囲から、ゆっくりと侵蝕する様を描いている。日常馴染み深い情景を改めて凝視している。麦の熟れ行く様と取り合わせることにより、焼かれる紙が黄色から茶色になってゆく変化を見せる。紙は火によって熟れてゆくようにも思える。

壜にさすすすき電気のとほる家

芒の銀の穂は光を反射し、光を吸って、それ自体が灯るようにも見える。空っぽの壜は寂しいものだが、芒を壜に差すことにより、芒の穂の仄かな明るさが壜を照らすようだ。その差す行為を電気が通るように思い、そして屋内には電気が通っている。時刻は、芒の最も映える夕暮れであれ。壜に芒の穂の灯る如く、家にも灯のともる頃だ。眼前の壜の景色と、外から見た家の景色は、入れ子構造のように見えよう。

しやつくりと親指ばかりうごく家

しゃっくりをする度に親指が動くのか。このまま止まらなければ、親指の奇妙な動きは横隔膜の痙攣と共鳴し続ける訳で、反復の一寸した悪夢だ。これも家の句である。閉ざされた空間に反復される小さな奇妙な動きには、微かな怖ろしさがある。進もうとして進まない、予兆だけの動きは怖ろしい。クエイ兄弟監督の「ストリート・オブ・クロコダイル」という人形アニメを観たことがある。閉鎖空間における人形達の、様々な奇怪な反復行動が悪夢であった。

凩にほつそりと傘ひねらるる

この「凩に」を「凩や」とすれば、傘をひねっているのは人の手であろう。捻るとは即ち傘を閉じて巻いているのだ。しかし、掲句では「凩に」とあるから、手と同時に凩もまた、傘をひねっている。ここで描写されるのは、傘というよりは、むしろ凩という、目には見えないものだ。閉じられ巻かれようとしている傘を、凩は更に捻ろうとしている。そう見えるほど鋭く渦巻く風だ。雨は止んだばかりで、傘は雨に冷えている。その傘を尚も、枯れ木の如く冷やそうとする木枯らしである。

ぶらんこをからだの骨としてつかふ

ぶらんことの一体感を表わしている。ぶらんこを漕ぐのは、腕の動作だけではない。両脚も腹筋も背筋も、体幹の筋肉をも使うだろう。その結果、各部の骨も使う。骨の延長のように、ぶらんこの板や両の鎖や鎖を支える横棒さえもが動く。掲句は、漕ぐ時の体感を描写している。ぶらんこを体の一部の如く扱っている自在感だ。

抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋

部屋が歪むわけはないと言ってしまえば、それまでだが、作者は「ゆがむ」と感じた。クローゼットや本棚を開けても、部屋は歪まないだろうと思われる。抽斗でなければならない訳は、家庭にある一般の抽斗の状態にあろう。

抽斗は、色々な細々とした物を入れておくところだ。余程の潔癖症でもない限り、抽斗をきっちり整頓して何が入っているか管理している者はいないだろう。何かを放り込み、取り出す必要がなければ次第に奥に押しやられ、何年も、時には何十年も忘れ去られる、そんなものが詰まっているのが抽斗だ。

私など、亡父の書斎の抽斗を整理してみようと、幾つかを引き出してみたが、あまりの混沌に手の付けようがない。九十年前の日付の葉書が出て来るに及んで、整理を諦めた。

  抽斗の古き香りや居待月  小川軽舟

この句は、俳句日記「掌をかざす」に収められていて、次の日記文がついている。「九月十一日(木) 三十年ほど使っているライティング・デスクは横浜の家に置いてある。結婚指輪は二十年間ずっとその抽斗にある。」

軽舟句は、「居待月」という、坐して月の出を待つ心を置く事により、抽斗を優しく描いている。香り立つ過去の時間を蔵するものとしての抽斗だ。月を眺めるように、記憶を見ているのだろうか。

対して鴇田句であるが、抽斗は引けば引くほど、奥に仕舞われている物が晒されるのだ。それは過去の事柄、記憶、時間が晒される事でもある。部屋には現在の時間が満ちている。抽斗には、奥の方に行けば行くほど、忘却された過去が詰まっている。

では、抽斗を引けば引くほど歪むのは、時間だ。現在の時間が満ちている部屋を、過去の時間が侵蝕する。掲句では抽斗が単数か、複数なのかは示されていない。複数の抽斗を引くなら、抽斗の数だけ、様々な時間の振幅が、一つの部屋に展開することになる。その過剰なる時間の重なりを思うと、部屋の歪みは如何ばかりか。

部屋であれ、家であれ、土地であれ、或る空間を十全に観照しようとするなら、堆積した時間の認識が必要だろう。歴史、とは一寸違う。歴史に記されずとも、重要な時間があるからだ。単に「時間」というよりは、「記憶としての時間」という方が適切かも知れない。

部屋ならリフォームされ、家なら更地にされ、土地なら埋め立てられるか削られ、たとえ如何なる手を加えられても、記憶は残る。そういう記憶、それは念と言っても良いが、それらの堆積が、空間に影響を与えることはある。その影響を「ゆがみ」と捉え、卑近な例として抽斗を挙げたのか。

ひばり野の上擦りながら巻き戻る

雲雀が揚がっては空の真中でひとしきり囀り、また落ちては揚がり、囀り出す。永遠のように錯覚される春の昼を形作る声だ。雲雀の姿は見えない。その声によって雲雀と知るのみだ。

天地を往復する雲雀の見えない動作は、ゼンマイ仕掛けのようにも想像できる。「巻き戻る」という表現は、雲雀の声の抑揚を思わせると同時に、雲雀の上下の軌跡をも想像させる。いつか日は暮れ、雲雀は休むだろうが、眼前の野の様は、麗らかに寂しく、永遠の現在に留め置かれたように錯覚されるから、時間もまた「巻き戻る」。

問題は「上擦る」だ。広辞苑で意味を引くと、1.表面がなめらかで良く滑る。2.落ち着かない、うわついた調子になる。3.上気する。とりのぼせる。4.興奮から声の調子が高くなる。とある。これらの意味全て、雲雀の声の響きを表しているではないか。

句中で「上擦る」のは、雲雀野であって、雲雀ではない。そして、雲雀野が「上擦る」と書くことが、むしろ的確であると思う。雲雀野は雲雀によってこそ生じ、その特性を保たれる。雲雀が「上擦る」時、野全体が雲雀の声に醸され、揚げられて、「上擦る」。目には見え難い雲雀の、その声こそが雲雀野の本質なのだから、掲句では雲雀野が、雲雀の声そのものであるかのように描かれる。視覚と聴覚を重ねて一体化していると言うべきか。

今まで見てきたように、鴇田句を解くには、一語、一字の背後に隠され構成されている幾つかの事象を読み取らなければならない。それらを読み解いてゆけば、意外と繊細な描写がなされている事に気づく。透ける部分の描写、とでも言おうか。言葉ではどうもうまく表現できない処、五感から零れ落ちてしまうような、五感の隙間を縫うような認識を、読者に体感させようとしている気がする。

「余白の美」という言葉がある。日本画に良く使われる「絵の匂い」という言葉もある。では、鴇田の句が、そういう処に有るかというと、それも違う。いわば透明な硬い構築があって、その構築を読み透かして行かなければならない。透明なものを更に読み透かすというのも、矛盾した言い方だが。

すぢかひのつめたさ空の組み上がる

空を、見えない構造物として、何か透明なものの筋交いの構成によって組み上がっていると見たのだ。「筋交い」で且つ「冷たい」のだから、堅牢な構成である。

そのように空を感じたきっかけは、都会の空には必ず見えている電線の、斜交いの線かもしれぬ。或いは、空を斜めに交わる筋雲かもしれぬ。もしかしたら、二羽の鳥の、空に斜めに交わる一瞬の軌跡かもしれぬ。目に見えるものは、目に見えないもののことわり、因果律を暗示しているものだ。「つめたさ」の季語から、冬青空だとわかる。「天地不仁」を思うなら、冬青空の張りつめた硬さを、無情の堅牢さとも観るだろう。

いうれいは給水塔をみて育つ

「給水塔マニア」なる人々が存在する。給水塔の写真集さえ出ている。あれがなぜ、あんなに良いのか説明がつかないが、私も給水塔が大好きだ。特に夕暮れの野に立つそれなど、心に迫る。あれほど大きいのに、人が棲む事も無く、何かを生産するわけでも無く、ただ水を溜める用でしかないという、寂しさゆえだろうか。

一方で、幽霊は成仏しない限り、育たない筈だ。水子は七つくらいの齢まで育つという話も聞くが、実際の状況を見た事が無いから分からない。私が見る幽霊は、生前の執着にいつまでも捉われ、その執念が姿を形作っているさまだ。

肉体があっても、幽霊と同じ状態に陥っている者達はいる。憎むにせよ怨むにせよ呪うにせよ、度を越えてそれを続ける者は幽霊であって、その執着こそが、自らを鎖す獄舎と化す。だが私には、その執念が、恋としか見えぬ。怨霊であればあるほど、ひたむきなのだ。子供の頃、「ああ無情」を読んで涙したのは、ジャベール警部の自死の景であった。

掲句では、肉体無きにせよ有りにせよ、幽霊と称される者が或る地点にいつまでも立ち続け、朝も昼も夜も無い、時間の滞留の中で、給水塔を見続けている。幽霊は陰の気に属するから、同じく陰の気である水を溜めている塔に惹かれるのか。

幽世に属する者だけあって、句には季が無いが、現世にある私には、晩夏の野に立つのが最も相応しいように思われる。春の麗らかさでも秋の寂しさでも冬の寒さでもなく、夏の栄光果てゆく只中に立つ幽霊は、殊に愛おしい。

執念という杭に繋がれている限り、幽霊が育つ事は無い筈だが、果てしなく給水塔を見続けている幽霊を、作者もまた見続けて、或る時点で「育つ」と書かざるを得ないなら、その言葉を幽霊への祈り、幽霊への愛の表明と読む。この句は集中の白眉である。幽霊の名句と言って良いが、その所以は、作者の愛にあるか。

しらぎれる吹いきゃらもんを飛ばらもん

「らとみくす」という章の一句。全く意味がない。只リズムだけがある。リズムと二字の漢字から想像すれば、何か白っぽいものが切れ切れになりながら吹き飛ばされているのか。自らも風を吹いているのか。中七のリズムには、きらきらと捩じれるような感がある。

実体が無く、エネルギーの流れだけがある。五感の隙間から流れてしまうようなものを、何とか言語化しようとしたのか。言葉と思考は表裏一体の筈だが、これは思考というよりは念の残滓、或いは未だ念とは呼べぬほどの胎芽が流れているようだ。

「掘った芋いじるな」と米国人に言えば、腕時計で時刻を示してくれるかも知れない。だから、世界のどこかで掲句を、意味があるように聞く者が居ないとは言えぬ。「吹い」とか「飛ば」の箇所を、訛ってるなあ、と思うかもしれぬ。

さらも屋の奥の方から和金がでるわ

同じく「らとみくす」中の句だが、これはまだ意味が通じる。何かの店の奥から和金が出るのだ。和金は水槽か鉢に入れられて出るのか。空中を泳いでくるなら良い。和金は金魚の原点と言われる種類だから、良く産土になじんでいるだろう。だから、「さらも屋」も古びた日本家屋である事が相応しい。

「さらも屋」が何の店かは知らぬが、此の世の理の外にあるモノを売っている事を期待する。平屋で、間口が狭く、奥の暗い店なら、なお良い。そんな奥からこちらへ、空中を音無く向かってくる、しかも人の頭ほどもある和金なら最高だ。

目ン玉ぁびんちょだっぺゃ照ってっぺ

「匚」という章の一句。作者の故郷である上総松丘の方言で書かれていると、あとがきにある。

先に「しらぎれる」の句を、誰かが意味あるものとして聞くかもしれぬ、と夢想したのは、この句ゆえだ。標準語に訳すなら「左右の目玉の大きさが違う、照っている」となる。

「しらぎれる」の句よりも、呪文の形を成しているように聞こえるのは、土俗の共同体という地盤に支えられた響きだからか。目の大きさの左右違う者が、かっと日の照る空を仰ぎながら、これを繰り返しているのか。あるいは目玉自体がそもそも照り渡っているのか。

ふりかかるたびに濃くなる蛇のいろ

何度も蛇が降るのだから、森の中を歩いているのか。頭上の枝から蛇は降りかかってくる。その度に頭を振るか、腕で払い除けるかして、進んでゆく。

森から出ようとしているのか、奥へと進んでゆくのかは分からないが、たとえ出ようとしていても、結果的には奥へと進んでいるのだろう。降りかかる蛇の色が段々濃くなっているからだ。

次々と蛇の色が濃くなるのは、光の弱まっているためか。枝々の茂りが密になり、陽が遮られつつあるのか、それとも暮れ始めているのか。蛇の色は、森自体の濃度かも知れない。森が、進みゆく作者を取り込もうとしているのかもしれない。

蛇の色は何処まで濃くなるのか。句中では、進行する予兆だけで終わる。敢えてその先を想像するなら、いつか蛇の色は極まり、漆黒と化すだろう。その漆黒は、森の濃度の極まった結果か、それとも遂に夜が来たせいなのか。分かっているのは、森を抜けるのが叶わなくなった事だ。

葛からの不在の屋敷からの道

上五で一度、切れが入ると読んだ。「葛からの道」でもあり、「不在の屋敷からの道」でもある。どちらからの道とも取れるのは、葛と屋敷の両者が分かち難く結び付いているからで、要は全面葛に覆われている屋敷なのだ。どこが戸で、どこが窓か判らぬほど、葛に侵蝕されているだろう。家の入口らしき処から伸びる道にも、葛は繁茂していて、まるで葛の葉の塊から道が生じているようにも見える。だから「葛からの道」でもある。

空家あるいは廃屋ならば、そう書けば良い。「不在の屋敷」と書けば、まだ家には主人が在り、家は主人の帰りを待っているようではないか。実際、そうなのだろう。法的に所有者が居て、家に住む機会がある限り、空家でも、ましてや廃屋でもない。たまたま外出しているだけかもしれぬ。それが数年、数十年単位であったとしても。

ここでもう一つの読みを挙げれば、不在なのは主人ではなく、屋敷である可能性だ。全面葛に覆われていて、ぼんやりと家らしき形はしている。家と庭の区別がつかない。多分、家はあるのだろうとは思っていた。だが、実際は僅かな壁や柱や天井板や梁が残るばかり。葛がその蔓と葉を駆使して、家らしき外形を保っているのであった。

「屋敷」というからには或る程度の広さがあろう。梁や柱が複雑に組まれているなら、小さな家よりも外形は保ちやすいかもしれない。

つるつるの函に風船詰めになる

函に「風船詰め」になるのが何なのかは、記されていない。そもそも「風船詰め」とは何だ。間に緩衝材として風船が入っているのか、それとも詰められるものが、まるで風船を押しへしゃげて詰めたような状態になっているのか。

俳句は特に示されていなければ、一人称として読むから、作者自身が「風船詰め」になるのか。函に押し込められて、いつ周囲の風船が破裂するか分からない状態か、それとも作者自身が風船の如く破裂する寸前か。

いや、まさか人間が、そんな状況に陥る事はあるまいと思いながらも、この場合、作者の一人称と読んでも想像可能な、ぎりぎりの範囲内なので、はらはらする。その破裂の予兆を一杯に孕んだまま、「なる」と放り出されるように終わる。

「つるつるの」という形容は函に掛かるが、これも風船の表面を思わせる。函自体、風船のように破裂寸前なのか。

まさか人間がそんな状況に陥る事は、と先ほど書いたが、どうも似た状況を日常味わっていた気もする、と考えて、一つあった。朝の殺人的な満員電車は、丁度こんな感じであった。

なかにゐる水母のなかのずれてくる

水母の中がずれるとは、透明な水母の内部に透けて見える内臓がずれるのか。水母の気持ちになれば痛そうな句だ。

問題は上五の「なかにゐる」で、水母は何かの中に居るのか。倒置と読むなら、水母の中のずれてくる中に居る別の何か、となる。

この句は、水母の内部に居る何か、または水母を孕んでいる何かを、同時に詠っているのだが、その何かが居るのか、居ないのか、居るとすれば水母の内なのか、外なのか。わかっているのは、水母の中がずれてくる事だけだ。

句は「ずれてくる」という予兆に終わる。そもそも最初から最後まで、脳も心臓も無く体の九割が水である水母と、予兆だけしかない。その後、どうなるのか、ずれる事による無音のわずかな破局が生じるのか、その破局がどこまで波及するのか、或いは「ずれ」はそこで止まり、何も変わらないのか。どう捉えるかは、読み手の意識下の願望に因る。

こんな風に、或る不安な予兆だけが記されている句を、論の中で幾つか挙げてきた。そんな小説を書く者が、かつて居たと思い出す。内田百閒だ。百閒の「冥途」「旅順入城式」「東京日記」、いずれも不安な予兆だけが積み重なってゆく。

百閒を読んだ時、本当の恐怖小説を初めて読んだ気がした。恐怖の真骨頂は、未知が未知の状態のまま蜿蜒と続く事にある。

そう思いながら、もう一度句集全体を読み直してみると、これ、実は恐怖小説ならぬ恐怖句集の側面も持つ事に気づく。恐怖の優れた描写とは、存在の不確かさを示す事だからだ。


鴇田智哉『エレメンツ』2020年11月/素粒社

2020-12-06

【句集を読む】現在と過去を二重写しにする存在 鴇田智哉『エレメンツ』を読む 小林苑を

【句集を読む】
現在と過去を二重写しにする存在
鴇田智哉『エレメンツ』を読む

小林苑を


いうれいは給水塔をみて育つ  鴇田智哉

何度も読み返す。句集をひとつの作品として編むのが当たり前になってきているのだろう。だから一句との出会いの悦びを味わうのとは違う。迷路に入り込むように頁を繰っていくことになる。

『エレメンツ』というタイトルが既に暗示的なのだけれど、ⅠからⅢまでの章立てはさらに細かい小タイトルで区切られていて、この小タイトルれが極めて象徴的なタイトルばかりなのだ。だから仕掛けが溢れているようなのに、句集全体の印象はひどく生真面目なのだ。

小タイトル20余りの小タイトルの中の4つが「35°37'34.9"N 139°26'13,9"E」というような謎の文字列で、たぶんと思ってGoogleで探る。「日本経緯度原点は、日本国内の測量の基準点。東京都港区麻布台二丁目に位置する」とWikipediaで知る。作者はいま自分が立っている地点を伝えようとするのだけれど、謎解きは読者それぞれに委ねられる。

掲句の「いうれい」は季語のようで長い時間を給水塔とともにあるのだから季語ではない。作者もいま給水塔を見ている。死んだ者も生きている者も給水塔の見える場所で空や風とともにある。私には『エレメンツ』の迷路の真ん中にこの給水塔が立っている気がする。見上げればいつもそこにあるものとして。

句集全体を通して頻出しているように感じたのが団地と電柱なのだけれど、実際にはそんなに多いわけではない。現在と過去を二重写しにする存在として印象に残ったのだ。《うすばかげろう罅割れてゐる団地》《凍る地を踏みしだき団地をのぼる》《眩しくてこはい団地のハナミズキ》。これらの団地はときに賑やかで、ときに廃墟だ。

さらに電柱。実は電柱・電信柱で2句しかない。さらに電線と給水塔。これらも生きる地点と距離或いは時間を感じさせてくれる。《うすらひを越えて電線沿いにゆく》《電柱で今日の私に出くはしぬ》《しやつくりや電信柱まで進む》。

気になると言えば、いくつかの紫陽花や鹿の句にも触れたいのだけれど『エレメンツ』の迷路で探してみてほしい。好きな句を何句か。

紫陽花に落ちてきよとんとする小鳥

車座のひとりづつ風穴のある

抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋

マスクはりついた私があちこちに

この部屋が金魚となりの部屋は雨

空蟬をなくして次の日になりぬ


鴇田智哉『エレメンツ』2020年11月/素粒社 ≫amazon

2020-05-24

【週俳4月の俳句を読む】ふーうん・うむ 鴇田智哉

【週俳4月の俳句を読む】
ふーうん・うむ

鴇田智哉



◆「半券 黒岩徳将」を読む

片栗の花に屈むと踵浮く  黒岩徳将

ああするとこうなる、の面白さ。自動的にこうなる、という。

自分の踵だと読んでも機械的で面白いが、一緒にいる人の踵だと思えば、なかなかに魅力的な句だ。片栗の花のイメージからすれば、後者で読んでみたい。

音感としては、カ行がかなり効いている。

花屑が手羽先用の紙皿へ  同

水に茶に蕎麦の半券濡れて春  同

泣かせる二句だ。楽しいことをしているふと、今自分は楽しいんだな、と思う、そういう瞬間でしょう。

そうした後にふっと、

遠足のペンギン音もなく水へ  同

遠足の思い出としてなぜか、この風景が心に残っている。

まんさくの花や拳の中の指  同

拳の中の指、というとやはり、何かを我慢しているのかな、とか思える。そうでなくても、何かをたんたんと遂行しているときの感じではないだろうか。一人の自分である。

まんさくの花、のわなわなした雰囲気が、手という別次元と作用し合っていて、立体的な魅力がある。


◆「追憶と鉈 安里琉太」を読む

海灼くる無風を蝶のひた歩く  安里琉太

くっきりと描写されている。ずっと歩いていくのが見える。

ひた歩く、という言葉が、それを見ている主体のまなざし、を読者にもたらす。

ひらかれへ馬上の風雲倦む耕  同

みしはせを奇想の蒜へふり分ける  同

吊るし倦む百丈雛の黄の総体  同

洒落のめす、という言葉に思い至る、技巧的な三句。

ひらかれ、という魅力的に名詞化をされた言葉の上向き感が、馬上の風雲へとのぼる作用を表したかと思うと、倦む耕(たがやし)、という反作用へと読者を誘い、大きな架空空間を作り出す。

ばじょーのふーうん・うむ、の部分のリズム豊かな調べも魅力。

みしはせ、を、蒜にふりわけるという奇抜な発想。

蒜(ひる)という言葉が、蛭、ヒルコの連想をも生む。

吊るし倦む百丈雛、の句にはなぜか、グリム童話のラプンツェルを思った。百丈、という言葉が髪の毛を連想させたのだろう。

それにしても、黄の総体、とは。黄、という決めつけと、総体、という固い熟語の大胆さが魅力だ。


第676号 2020年4月5日
■黒岩徳将 半券 10句 ≫読む
■安里琉太 追憶と鉈 10句 ≫読む

2019-07-07

『今井杏太郎全句集』を読む会 報告「六月のしるべ」レポート 鴇田智哉

『今井杏太郎全句集』を読む会 報告
「六月のしるべ」レポート
付)今井杏太郎年譜 

鴇田智哉


「六月のしるべ――『今井杏太郎全句集』を読む会」は、

パネリスト:西村麒麟・福田若之・小川楓子・生駒大祐
司会:鴇田智哉

によって、6月23日(日)、月島区民館にて開かれた。

パネリスト4人がそれぞれの観点から『今井杏太郎全句集』を読み、それをもとにディスカッションするという企画である。

以下に、4人の発表についての私(鴇田智哉)のメモ、質疑応答の要約等を書く。

◆「西村麒麟:削らなかった言葉」について ≫読む

■西村氏は、「本当によく晴れてゐて秋の山」は、(仮に自由律の)「秋の山」という句と意味上ほとんど変わらないという。同様に、「春の川おもしろさうに流れけり」は「春の川」とほとんど変わらないという。俳句は省略の文芸、といわれるが、杏太郎の句は省略できる言葉を削っていくと、どんどん削れてしまう。これを示したあと西村氏は、では、これらの句がなぜ面白いのかを考える。

■杏太郎にも、意外性のある句はあり、そうした句は初期に多くてしだいに減少する、後期へ向かうにつれて、杏太郎は意外性から当たり前を好む傾向にあると、西村氏は見る。

この点に関しては、私の見方を少し述べておきたい。

杏太郎のなかでは、意外性と当たり前が意外に同根であったかと思われるのである。たとえば、意外性の例として挙げられた「向日葵をきれいな花と思ひけり」は確かに、意外性がある。ここには杏太郎の、〝あなた方は向日葵を力強く重厚な花、死を感じさせるどぎつい花、だと見るだろうが、私は「きれいな花」だと思うんだよ、どうだい?〟といった、杏太郎ならではの天邪鬼的性質が見られる。

■一方、当たり前の句の例として挙げられた「朝早く起きて涼しき橋ありぬ」は確かに当たり前なのではあるが、西村氏が「通常は暑い昼間に散歩をしていたらふと涼しい橋が、という展開にしがちではないでしょうか」と分析しているように、ここからは〝あなた方は昼の句で展開させるかもしれないが、私は朝の句にするんだよ、だって朝は涼しいだろ?〟という天邪鬼性を見ることもできるのである。

■西村氏は、「杏太郎俳句は、削ることが可能に見える言葉をわざと残しているような印象があ」ると述べる。例として「など」「なにか」「おもしろく」。

確かにこれらは、一般的な俳句添削教室においては削られてしまいそうな言葉たちだ。これに助詞を加えたら、もっと増えるだろう。ただ、助詞を省略すると、杏太郎独特の調べがなくなってしまう。これはこのあとの生駒氏の発表に関連する。

■西村氏は杏太郎の「季語に惚れろ」という言葉に注目している。杏太郎自身たしかに、そういうことをよく言っていた。全句集巻末の「季語索引」を見ても、季語によって句の数に相当の偏りが見られる。句を削っていけば、季語だけが残るんだという話をよくしていた。俳句(十七音)は長いね、とも。俳句は足し算だ、とも。

■西村氏は、杏太郎が、十七文字のすべてに意味を込めなくてもよいという考え方をしていた、と見る。季語の邪魔をしない透明な絵の具を加えて十七文字にしているようだ、とも。

■今回西村氏が作ってくれた杏太郎作品リストは、削れそうな言葉のある句を集めたという。添削してみると面白いかも。「不要な言葉を削らないでいられるのが杏太郎の技術なのかもしれません」と西村氏。

何か別の機会に、この「技術」について西村氏たちと掘り下げられたら面白いことになりそうだ。杏太郎は、俳句が「うまく」見えることを嫌っていた。その杏太郎の「技術」とは具体的にどういうものなのか。いや、どうどう巡りになる可能性はあるが。


◆「福田若之:そのつど、偶然に出会う――〈老人俳句の杏太郎〉から〈杏太郎俳句の「老人」たち〉へ」について ≫読む

■福田氏は、「老人」を俳句の対象としたのは杏太郎が初めてではないこと、永田耕衣にすでに三人称的かつ一人称的な「老人」のモチーフがあり、やがて同時代の作家に広がり、「鶴」にも波及し、杏太郎まで伝わったと見る。

福田氏のレジュメにおいて、耕衣その外の作家の「老人」句をズラリ見られたのは圧巻。これらの複数の作品の中に、「狂気」をもつ耕衣的老人と、より人間的(?)な老人という大きな二つの流れがあるようだ。「鶴」系の老人はもちろん、後者に属するだろう。

■杏太郎の「老人」は複数である、と福田氏は言う。「老人」が固有名をもちうる存在として、個体として立ち現れている。そういう杏太郎からすれば、「老人の日」と国民的に一括りされる「老人」は個別でないから、杏太郎は嫌ったのではないかとも。

■福田氏は、「存在感」が確立するのは、物が「老人」にあらかじめ折りこまれてはおらず、「老人」たちもまたその物にあらかじめ折りこまれてはいないからだと述べる。それぞれの存在感が偶然の出会いのなかで勝手に、存在感を確立し合う。これは杏太郎俳句の自動詞の多さにもあらわれていると。

自動詞への注目は鋭いと思う。

■福田氏の、杏太郎はイデアとしての「老人」を描いているのでなく、杏太郎の世界には複数の個性的な老人がいる、という観点は面白かった。

私は今まで、どちらかというと、ややイデア寄りで杏太郎の「老人」を解釈していたところがあったが、福田氏の発表を聴いて少し考えが進むことになった。

ドキュメント的でありありとした具体的な個性ではないものの、そのつどの輝きや、そのつど寂しさをたたえた、一句一句にそのつど立ち現れる、一句一句の老人の個性のようなものではないかと、私なりに理解した。

■福田氏は、「老人俳句の杏太郎」ということで切り取ってしまわないために、そうではない読み方の一例を示したという。「老人」と何かが遭遇する、あるいは何かが「老人」に遭遇することにより、互いが触発されたり、相互作用が起きたりする、という観点は面白いと思う。

この点について、私の私見だが、次のような観点を加えると、話がより立体的になるのではないか。

初期の句は老人へのあこがれ度が強い。五十代という年齢を考えても想像できる。その後、あこがれは保たれつつも、実際に自分が老いていくという現象とそれに対する思いとのなかで、杏太郎の「老人」にゆらぎがもたらされていくと思う。

「少年は老いて北風に吹かるる」「老いてゆく恋人よ葡萄棚の下」どちらも『海鳴り星』(杏太郎72歳)の句だが、老いを意識する内面のうつろいが思われる。

あこがれ、涼しさ、あたたかさから、さびしさ、寒さ、「葱の匂ふ」といった暗さ、春の遊びあり、楽あり、といった安らかさなどへとニュアンスは移り変わっていく。

「老人」にまつわる相互作用も、「老人に会うて涼しくなりにけり」のときは恐らく「老人」は出会う対象でありつつ自分のそうなりたいあこがれであったが、「老人と老人のゐる寒さかな」はそれこそ自らが老人であるという現象を、あこがれとともに溶かし、包み込んでいるようにも思われる。


◆「小川楓子:今井杏太郎――からだとことば」について
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■小川氏はまず、「半覚醒の混沌としたうす暗い頭の中」で俳句が生まれるという杏太郎の言葉に注目している。

明方の布団の中での「半覚醒の混沌としたうす暗い頭の中」で俳句を作る、という話は、杏太郎自身から聞いたことがある。それで私も実践してみたりした。

杏太郎の文章の中では、「いつ、俳句をつくるか」という話のなかで、この話題になったと。「やあ、僕もそうだよ。朝、醒め際の布団の中だな」と、森澄夫氏が言っていたとのこと。杏太郎だけでなかったらしい。こういうのが流行っていたのだろうか。

■小川氏は、杏太郎の「半覚醒の混沌としたうす暗い頭の中」という言葉と、野口三千三の体の解放と意識のあり方についての言葉を結びつける。

小川氏の話を聞いていて思い出したのだが、杏太郎はたとえば、句のなかで途中の三音足りない、三音の言葉がほしいという状態になったときは、その部分を「フフフ(ン)」みたいにして句全体をときおり口ずさんでいれば、そのうち何か出て来るよ、みたいなことを言っていた。このあと一杯飲めば出てくるよ、とも。

■小川さんの野口体操実演はすばらしかった。ことに、倒れない酔っ払いのしなやかさ、吊皮につかまった状態のふらふら感。体をこんな状態にして「フフフ(ン)」と言っていれば、俳句の推敲に悩むこともなくなるかも。

■小川氏は、「一句の流れは、五・七・五で、プツン、プツンと切られている訳ではなく、体内を流れる血液の流れのようなものである」という杏太郎の考えを取り上げる。
実際杏太郎は、一句のなかの「調べ」を大切にしていた。「切れ」はたいへん意識していたが、これ見よがしの切れは好まなかったようだ。

■小川氏は、杏太郎の句が自分(の体に)合っているという。何の抵抗もなく読める、という。小川氏のなかでは、杏太郎の句、そして杏太郎の散文の言葉は、野口体操と非常に親和性をもって溶け合っているようだ。

杏太郎は、文章にも書いているが、強迫観念みたいなものがよくないことをよく言っていた。句を作るとき先に「秋風や」などと置くべきではない。そんなことをすると、「秋風や」「秋風や」……と延々と唱え続けて、何もできなくなってしまうから、というような話があった。


◆「生駒大祐:杏太郎の切れと助詞―上五の処理を中心にして」について
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■生駒氏は、杏太郎句の上五の最終語の使用率を調べたところ、「助詞」が圧倒的に多く70~85%だった。ちなみに虚子の「五百句」では、助詞66%であり、杏太郎との違いは名詞止めが多いことだったとのこと。上五でちょっと切れて繋がっていくというのが多いとも。「金亀子擲つ闇の深さかな」などのことだと思う。

私の記憶では、杏太郎は実際の結社の指導においても、そうだった。上五が五文字の名詞で、続く言葉がそれを主語とした用言である場合などは、上五が六音になってもいいから「の」などの助詞を入れろ、と言っていた。

■私としては、杏太郎句の上五最終語の「助詞」の使用率の高さの他に、「名詞」の使用率の低さに注目したい。すべての句集において10%未満である。生駒氏は言い忘れてしまったのかもしれない。当日補足すべきだった。

■生駒氏は、杏太郎は五七五ではないと言う。九五三、九三五などが多い。だから「上五」という言い方は適切でないと。杏太郎句の分析において上五の最終語に助詞が多いのは、その次に続いていくことが多いからだと。上五の「の」は下に続くよ、ということでもある。

■生駒氏の、アベカンは「の」が少ない、「の」はクレイジーさが出ないからだという指摘は面白い。

■生駒氏は、杏太郎の上五最後の「の」は、下に続く「の」の場合が多いと述べたが、確かに数からいえばそうである。ただ、私はこれに対して、そうではない例をいちおう示しておく。「春の日のねずみいろしていてふの木」「雨傘の八十八夜明りかな」「八月の水の入つてゐる枕」の「春の日の」「雨傘の」「八月の」などは、私は「の」で切れていると見ている。読者によりその解釈の違う余地はあるが。

■生駒氏は、杏太郎の句は、常に弱い切れでできている句が多いとし、リズムと呼吸でつなげていくと述べる。「東京をあるいてメリークリスマス」は「を」「て」で少し切れながら、つながりながら進んでいく。

■生駒氏の結論「口を閉じると呼吸できない」は逆説的な言い方がユニーク。裏返すと、〝口を軽く開けば口ずさめる〟ともなろうか。

歌である。つぶやき、呼吸をするように音を紡いでいる。

生駒氏の説明によれば、「○○の○○」「○○に○○」という連なりによって、「の」「に」は軽く口をあけることにつながり、口を閉じずに句を読み続けられるという。それが句をなめらかに口ずさませるということにつながるという。

呼吸をするように音をつむいでゆく。

■生駒氏は、「七月の十八日を昼寝せり」の意味のなさ、「し・じ・せ」音感の感じのよさに注目した。また、「いくつもの船がこはれて春をはる」は、長い時間のことを一句の中に圧縮しつつ、でもそれに気づかれない句だと。時間の凝縮がありながら、とうとうとした韻律により、一瞬息を吐いた瞬間に句が読み終わってしまうところの面白さに注目している。

■生駒氏の発表を聞いていて、杏太郎にとって、上五をいかにスムーズに乗り切るかは、大きな関心事だったのではないかと、改めて思った。つなげながら切る、に最も有効なのは「の」である。たとえば「の」で上五を乗り切って中七の途中で「に」「を」「て」などの形は多い。上五、というか句の冒頭部分のことをよく、杏太郎は「イントロ」と言っていた。そんなことも思い出す。


◆質疑応答要約

【Q】今井杏太郎の句の好きなところを聞かせてください?

【A】
福田:「老人に楽あり春にゆふべあり」(『海の岬』)、「老人に楽あり春のゆふべあり」(『風の吹くころ』)の2句の「春に」「春の」が部分的な違いでありながら、決定的な違いに見えてくる。

「暮れてきて秋のゆふべになりにけり」(『風の吹くころ』)は、もしかすると「春のゆふべ」でもよいかもしれない。しかし、「秋のゆふべ」となっている。これはたまたまそうなったという感じでもある。他でもありえたなかから何かに絞られていく感じ、偶然がどこかで必然になっていく感じ。この人は「秋のゆふべ」にしたんだなと。そこに魅力がある。平易な言葉で書かれているが、底深いところがあると、そこにひかれている。

生駒:連続性と反復性です。

連続性は、強い切れが少ない、ところ。一句のなかでの連続性です。また、作家として見たときに、同じようなテンションで複数の句が並んでいくことろ。
反復性は、一句のなかでのリフレインなどのこともあるが、複数の句において共通するモチーフ、同じ言葉が繰り返されるところ。

「連続性」「反復性」の反対の意味の言葉を考えてみると、連続性の反対は「切れ」、反復性の反対は「一回性・一句独立」になる。〔「切れ」「一回性・一句独立」は一般的には俳句特有の価値であるはずなのに杏太郎はその反対のことをやっているように見え、:括弧内補足鴇田〕俳句と真逆のことをやっているように見えて、いかにも俳句であることをやっている。その矛盾のようなところから、俳句の不思議、本質が立ち上がってくるところが魅力。

小川:今井杏太郎と自分の親和性を感じるところ。私は、俳句は体だと思っている。力んでいない、健やかなところ。いろいろなエピソードも似ている。

私はもともと阿部完市が好きで俳句を始めたのだが、句は違うようだけれど、何か精神に触れてくるものの心地が似ているように思う。

「はくれんの花のまはりの夜が明けぬ」が好き。ひとつの花は小さな世界でありながら、夜が明ける大きな世界を連れてくるというところ。大気までもまとってくるような、ささやかであり、健やかであり、ひろがりのあるような、そうしたところが魅力。


【Q】杏太郎からの影響はありますか?

【A】
鴇田:僕自身は杏太郎の弟子であり、句の形はかなり引き継いでいるところがある。あとは、杏太郎のものの考え方に非常に共鳴した部分があった。ものの考え方と俳句とのつながり。杏太郎は、ものを細かく、分析的に見ていくところがある。

「見えてゐるところが冬の峠道」は、当たり前のようで、ちょっとおかしい。見すぎというか、ちょっと異常だ。「こつこつといふ音のして枯るる山」の「こつこつ」とは何か。この句における耳を済ませ方。「ゆふかぜの先にうかんで雀の子」など。

生駒さんは影響を受けていそうだ。

生駒:ある意味すごく影響を受けている。どういうふうに句を立ち上がらせるか。そういう骨格。言葉をどういうふうに構成するか。いかに切れを目立せずに作るかといったところで影響を受けている。

また、杏太郎の句に似ているとか、そういう意味ではなくて、伝統の逆張りをするという意味では、けっこうそういうスタンスの人はあるのではないかと思う。

福田:影響というのとは違うが、すごく勇気づけられる部分がある。奇をてらわないところ、すっと抜けたところをとても感じさせてくれる。猿が木を登ることの面白さ、を言うのは勇気のいることで。やってはいけないことを、より少なく見積もれる、自由になれる感じがする。では、杏太郎みたいな句を作るのかというと、そうではないけれど、やっていけないことはないんだと、非常に勇気づけられる。

小川:認識(無意識?)の底に触れるところがある。阿部完市は不思議な言葉の連なりにより、非意味みたいなところに行くが、杏太郎は平明でありながら、認識(無意識?)の底に触れてくるようなところ。一冊全部読むとそういうことがわかってくる。

麒麟:一句をどれくらいの時間見続けることができるか、というのは僕のなかでの俳句の評価につながる。僕自身がそういう句を目指している。杏太郎の句は長い時間見ることができるので、そういう意味ではいいなと思う。

杏太郎に似た俳句があるか考えたが、あまり思いつかなかった。特に現代だと思いつかない。しいていえば、鴇田さんは似ているかなと。杏太郎との句にひらひらとしたイメージを感じるが、鴇田さんの句にも感じる。解釈を選べところ、解釈を一つに強要しないようなところ。

上野泰「ストーブの中の炎が飛んでをり」とか、細川加賀「寒鯉をぐるぐる巻に新聞紙」とかは、似ているかもしれない。

【Q】「言葉を削らない」作り方だと、類想が生まれやすいというリスクがあると思いますが、いかがでしょう?

秋の田の先づ遠きより刈りはじむ 杏太郎
また一人遠くの葦を刈りはじむ  素十

芋の葉の露が大きくなりにけり  杏太郎
芋の葉の大きな露の割れにけり  湘子

病院の庭広ければ小鳥来る    杏太郎
研究所の空広ければ小鳥かな   裕明

東京をあるいてメリークリスマス 杏太郎
東京を一日歩き諸葛菜      悟朗

類想を怖れない、また自己模倣を怖れないというのは一つの姿勢だと思いますが、私にはできない作り方。

【A】
西村:他人の句と似た類句と、自分の句と似た類句がある。

他人の句と似てしまう確率は、「言葉を削らない」作り方では高いと思う。
「秋の田の先づ遠きより刈りはじむ 杏太郎」「また一人遠くの葦を刈りはじむ 素十」などは、2つの句を誰かに見せて、どちらを支持するかと問うことが、問われた人の俳句観を見せることにつながるようで興味深い。これは俳句の宿命だと思って、楽しみたいと思う。

自分の句と似た類句は、僕自身もやりがち。好きな言葉、よく使ってしまう言葉遣いなどがある。作りたいときはどんどん作ってしまうが、まとめて発表するときなどは、類句が多い印象を避けたバランスをとろうとはしている。

福田:杏太郎は類想をおそれない人だったのだろう。自己模倣というのも、自分を真似しているということではないので、外れるだろう。そのとき、そのときで、書いていたら、結果として近似したものが出てきたということであって、自己模倣ということではないと思う。あるいは、自分かかつて書いたものを、明確な意識をもって書き直しているか、そのどちらかではないか。

確かに、素十の句や湘子と一句一句で良し悪しを比べるということになると、杏太郎は苦しい場合もあるかもしれない。しかし、杏太郎を擁護したいところがあって、それは、一句一句で見るよりも、句の集積を見ると、作家として何をやろうとしたかが見えてくるというところ。何をやろうとしているかが、素十や湘子と違うことは明らか。

作品の集積、集まったときに見えてくる何かを、杏太郎は初めから意識的に考えていた人なのではないかと思う。そこに、類想を怖れないでいられる強さがあったのではないか。

小川:杏太郎が「俳話抄」(『今井杏太郎全句集』p328)で次のように言っていますね。

「人間の思考のレベルに、そう特別な差異がみられないことが、世の中の平和につながっている、ということからみれば、たまたま、同じような句が出来たからといって、そう無闇にめくじらを立てるほどのこともない、と思うこともあるが、さりとて、文芸とは創作であることを考えれば、他人の思考を奪取してまで、同じようなものを拵えなければならない理由は存在しない筈である」

「俳句を作る過程でもっとも気をつけなければならないことは、先人のすぐれた作品に触れたとき、そこに使われている言葉にのみ、目を奪われてはなるまい。その時は、ゆっくりと目を閉じて、その言葉のはるか彼方にひろがる作者の心を、存分に思いうかべることが、何よりも大切なことになろう」

「そうすることによって、人真似ではない本当の自分の句をつくることが出来るのではあるまいか」

鴇田:杏太郎自身は、類想・類句を避けよという指導はあまりしなかった。似ているという判断は、案外難しい。ただ、杏太郎の全句を並べてみると、かなり近い句が入っていることも確か。

言葉の向こうにある作者の心、という意味では、杏太郎は句会で、ときおり作者に対して、その句がどのような状況や、どのような思いのなかでできたのかということに注意を払っていた。作者自身からそれを聞こうとしている場面があった。作者とやりとりをし、それをよく聞いたうえで添削するということがよくあった。

【Q】「春の川おもしろさうに流れけり」について、西村麒麟さんが、春の本意を「喜び」とするならば「おもしろさうに」も削ることが可能と発言していましたが、その発言の本意を理解したうえで、〝喜び〟と〝おもしろさうに〟には決定的なズレがあり、そこに読みどころがあるのだと感じています。

なぜ「喜びさうに流れけり」ではイマイチで、「おもしろさうに」の方が確かに一歩踏み込んだ印象になるのか。それを西村麒麟式に言語化するとしたらどうなりますか?

【A】
西村:はっきりと答えが出るものではないと思いますが、たとえば「春の川喜びさうに流れけり」と比べて「春の川おもしろさうに流れけり」の方が上等な気がするとすれば、それはなぜかを考えてみた。

「喜びさうに」よりも「おもしろさうに」の方が、おもしろみがわかりやすい気がする。先ほど僕が杏太郎さんと鴇田さんの句を、ひらひらする感じがすると言ったが、「おもしろさうに」もひらひらした感じがする。「喜びさうな」にはイマイチそれがない。

杏太郎は、「俳句の面白さ」を「意外性」「飛躍性」にあり、「俳句の滑稽さ」は「なんでもないような風景と、それでいて何かありそうな、もやもやとした気配」にあると書いている(『今井杏太郎全句集』p320)が、「喜びさうに」は、杏太郎にいわせれば前者になるのかなあと思う。

鴇田:調べや語感が違うが、もっとも大きな違いは、「喜びさうに」だと主語、つまり「喜ぶ」主体が十中八九「春の川」になるが、「おもしろさうに」だと、おもしろがっている主体が「春の川」である場合と、作者である場合とがあるところだと思う。〝春の川さん(主体)が何かを面白がっているように流れている〟とも読めるし、〝春の川があって、それを見る作者(主体)がその川の流れ方を面白そうだと感じている〟とも読めるところ。

【Q】杏太郎句のなかの自動詞と他動詞について、詳しく知りたい。

【A】
福田:種を土に植えて水をかけると、芽が生えてくる。そのことを「水をかけて根を生やす」という言い方はできる。しかし、杏太郎はたぶんそう考えない。「根が生える」ととらえるだろう。「生える」は自動詞ですね。水をかけて芽が出たことを、「私が水をかけて芽を生やしたのだ」ととらえるか、「芽が(水を勝手に吸って)勝手に生えてきた」ととらえるかの違い。自動詞的と他動詞は、出来事のとらえ方の違い。

その言葉遣いの違いに、ものとものとがどういうふうに世界において共存しているのか、その考え方の違いが出てくるのだと思う。

鴇田:杏太郎自身、結社でのいわば教育的場面においてよく、「花を咲かせて」「雨を降らせて」という言い方は違う、「花が咲く」んだ、「雨が降る」んだと言って指導していた。使役を含めた他動詞的な言い回しでなく、自動詞を使うべきという話は、俳句の世界では(少なくとも私は)よく聞く言葉のように思ってる。杏太郎自身は、「鶴」の先輩からそのあたり叩き込まれたのかもしれない。

ただ、福田氏が自動詞の話を「老人」の句のなかで持ち出したこと、句のなかにおいて、老人と他者が「存在感」を勝手に確立し合うというあり方に、自動詞が大きく働いていることを述べたのは卓見と思う。

【Q】今回の発表は全体的に、〝構築より脱構築の杏太郎句〟という印象を受けました。杏太郎はそれを意識的に行っていたのか、無意識的なのか、意見を聞かせてください。

【A】
生駒:構築・脱構築という言葉が合うかどうかはわかりませんが、既存の俳句のあり方にたいしてのアンチテーゼの意識はあったと思います。〝人がこうやるなら、俺はこうやってやる〟という他人の向うを張っていくという思想は相当強くあるように思う。たとえば、周りがヤンキーだらけだったら、自分は真面目になる。アンチテーゼとして真面目をやる。周りが尖っているとき、自分は尖らないことで逆に尖っている。

【Q】杏太郎はどんな老人だったと思いますか。

【A】
西村:あくまで文章からの想像ですが、やわらかそうに見えて頑固、優しそうに見えて厳しい人。

福田:句のイメージから。些末なことにはっと気づいては、切なくなる、というような思いを繰り返してきた人なのかと思う。「さびしい」「かなしい」という言葉を多く書いているし、それがだんだん増えていくことなどからそう思う。「夏めくはさびしいよ風吹きにけり」みたいに、風が吹けば寂しい、というようなところにまでいってしまうところがある。何事もないと、普通だと思ってしまいがちなことに、はっと肌の毛がなびくみたいに、細い感じ方をする人かなと。

生駒:「濾過フィルター」のイメージ。水をきれいにしようとすればするほど、濾過フィルターはえげつないものになる。炭を通ります、砂利を通ります、砂を通ります……といろいろやってようやくきれいな水が出てくる。できあがった句がとても純粋な言葉でできているので、、フィルターである杏太郎自身は、すごく複雑で、ある意味厳しい人だったのではないかと思う。

小川:なんとなく、阿部完市に似ていたのかな、と思う。金子兜太はいちばん遠そうな人だなあ、という印象がある。句柄として。放埓のように言われているけれど、私が見た印象では、そんな感じではなかった。昔はそうだったのかもしれないけれど。兜太はけっこう繊細なところがあったのではないか。意識的に金子兜太像を作っていたということがあったように思う。逆に鴇田さんへ質問で、杏太郎は杏太郎像のようなものを意識していたと思いますか?

鴇田:杏太郎は、文章からもわかるように、これみよがしに自己主張するのは、好まなかった。ただ、杏太郎像を意識していなかったわけはないと思う。作品に作者名がつく、ということにおいて、敏感であった。句会で添削をする場合も、作者を見て、この人ならばこうだが、別のあなたならこうすべきだ、というような直し方をすることがあった。だから、「今井杏太郎」という名が、自分の作品にもたらす影響は、少なからず考えていたと思う。

金子兜太にかんしては、たしか平成10年ごろと思うが、総合誌に兜太の句が載っているのを見て、杏太郎が「彼は今たいへんだよ」と言っていたことがある。どういうことかというと、兜太は若い時にかなり特徴的な作品や態度をしていた(つまり一つの強烈な金子兜太像を作ってしまった)ので、年を取ってきた今、どのようにすべきかが難しくなっているであろう、ということだった。似たようなことを、他の作家についても聞いた覚えがあるので、杏太郎は、作家像と老いということについて、考えるところがあったのだと思う。

第一句集が五十代後半という遅いデビューの杏太郎から見れば、若いころから活躍していた作家に対しては、人間的に興味があったのかもしれない。

【Q】杏太郎の「ころ」という言葉についてどう思いますか?

【A】
西村:「旅人が通るよ麦の秋のころ」という句。「ころ」は一見、削れるように見える。「ころ」をつけることによって、瞬間を限定しないことになっている。前後の物語をイメージできる余地が残っているところが面白いのだと思う。結局、削れない言葉なのだと思う。

鴇田:印象がゆるむ、というのもある。調べも、風景も。

●

◆最後に、今井杏太郎のプロフィールを簡単に

※「 」(杏太郎)という部分はすべて『今井杏太郎全句集』所収「随筆・俳論」「俳話抄」からの引用である。

1928(昭和3)年3月27日、千葉県船橋町に生まれる。

1940(昭和15)年、千葉中学校1年生のとき、一級上の大原テルカズに俳句をすすめられる。大原テルカズはのち(1958年)高柳重信の「俳句評論」に参加。将来まったく別のタイプの俳人となる2人がここで出会っていたのは面白いエピソードである。

1950(昭和25)年、千葉医科大学を卒業し、精神科医になる。結婚。

1955(昭和30)年、船医になって貨物船に乗る。「急にどこか遠いところへ行きたくなって、家族を放り出して船乗りとなった」(杏太郎)
「ホトトギス」の俳人だった船長、機関長たちと船上句会を行う。「この時ほど俳句の集中力を高め得た時間を持ったことはかつてなかった」(杏太郎)

1956(昭和31)年、岡山大学医学部精神医学教室に入局、同じ研究室にいた「馬酔木」同人の桑原志朗に指導を受ける。

1969(昭和44)年、田中午次郎に会う。田中午次郎は「鶴」創刊(1937年、石田波郷主宰)に参加した人。田中午次郎に言われて「鶴」に入会。この年、石田波郷は亡くなっている。石塚友二に師事。杏太郎41歳、友二63歳。岸田稚魚、清水基吉、本土みよ治などの御家人句会に参加。「俳句から未来永劫に逃げられないかもという思い」(杏太郎)

1986(昭和61)年、石塚友二没。第1句集『麥藁帽子』刊。稚魚とのスペイン、モロッコの旅(1984年)からの「老人の名はペペ棉の花咲いて」など収録。

1992(平成4年)、第2句集『通草葛』刊。「鳥雲に入りぬそのあとの鳥もまた」「むらさきの色を思うてくさめかな」など収録。「あとがき」には「猿が木から落ちることの意外性を考えているうちに、猿があたり前のように上手に木をのぼることの面白さに気がついた。」と。

1995(平成7)年、「鶴」退会。

1996(平成8)年、6月、中国西域のウルムチへ旅。楼蘭のミイラを見る。この旅で、「魚座」の壁画を見たという話を鴇田は聞いたことがある。年末、スペインのラマンチャへ旅。

1997(平成9)年、「魚座」創刊主宰。前年の旅からの「オリーヴの木に北風の吹きにけり」など収録。鴇田はこのとき「魚座」入会。

1998(平成10)年、世界一周クルーズの客船「飛鳥」に俳句講師として乗船。一カ月半にわたる海の旅へ。その間、旅先から「魚座」誌へ句を送ってくる。

2000(平成12)年、第3句集『海鳴り星』にて第四十四回俳人協会賞受賞。「海亀のうかんで星のひかる夜」「外を見て障子を閉めてをはるなり」など収録。

2005(平成17)年、第4句集『海の岬』刊。「笛を吹く男に影のやや寒う」「東京をあるいてメリークリスマス」など収録。

2006(平成18)年、「魚座」終刊、初めから10年を区切りと決めていたふしがある。

2009(平成21)年、第5句集『風の吹くころ』刊。「風」の句、そして「夢」の句が散見される。「ゆふかぜは扇の風を置いてゆく」「夢に降る木の葉は遠き野にも降り」「繭玉の揺れてゐるそれもまた夢」など収録。

2012(平成24)年6月27日、死去。享年85。

2018-11-18

【週俳10月の俳句を読む】いい記憶 鴇田智哉

【週俳10月の俳句を読む】
いい記憶

鴇田智哉


虫時雨この横顔で会いに行く  なつはづき

この、と言っているから、割とくっきりと見えているのだろう。
自分が切り絵の中の人物になったかのような。
あるいは影絵劇の配役になったかのような。
会いに行く、ということを、物語めいて感じ始めているのか。
虫の声の響きの中にあって自分は、くっきりとして、進んでいく。

◆

明洞てふカラオケ喫茶ゑのこ草  市川綿帽子

遊廓の跡にたばこ屋小鳥来る  同

ここはどこで、いつなのか、という思いは、
秋の日がざらついた壁にはりついたようなときにも、
起こるのではないだろうか。昼の狗尾草がわびしい。
影を追いながら、別の場所にいる気になったり、
小鳥に気づいて、ふと我に返ったり。

◆

稲の穂の擦れあふ音のかすかなる  今井豊

稲は、その花もそうだが、どことなくかそけきものである。
黄金色まぶしく、大きくひろがっている稔りの田であるが、
その中にあって、ひっそりと擦れ合っている稲穂は、
あたたかく、懐かしい。

◆

蓑虫にひびいてきたるハーモニカ  中岡毅雄

蓑虫にある、かすれ感、は
ハーモニカの響きに通じるところがあるかもしれない。
ひびいてきたる、とは、頭の中で響いてきた、ということではないか。
銀色と、ひんやりとした手触りのなつかしさもまた、
蓑虫の重なったのではないだろうか。

◆

記憶とは松茸ほどに匂ふもの  馬場龍吉

松茸ほどに匂ふ、と言われても、どのくらいなのか、
よくわからないけれど。ともかく
いい感じで匂う、ということなのだろう。
この、記憶、はいいものでないといけない。


■なつはづき 自転車で来る 10句 ≫読む
■市川綿帽子 横浜 10句 ≫読む
■今井 豊 いぶかしき秋 10句 ≫読む
■中岡毅雄 底 紅 10句 ≫読む
ウラハイ ■ 馬場龍吉 豊の秋 ≫読む

2018-06-24

【句集を読む】 見据えつつ踏みとどまること 『俳句の魅力――阿部青鞋選集』の一句 福田若之

【句集を読む】
見据えつつ踏みとどまること
『俳句の魅力――阿部青鞋選集』の一句

福田若之


鴇田智哉の《人参を並べておけば分かるなり》が今日あれほどまでに語られる一方で、次に示す一句がほとんど語られることのないままひっそりと忘れ去られようとしているかのように感じられるのは、やはり、ずいぶんさびしいことだと思う。 

一行に葡萄のたねをならべけり 阿部青鞋

『俳句の魅力――阿部青鞋選集』(沖積舎、1994年)から引いた。 

いま挙げた二句について、まず率直に書くなら、僕は、いま、智哉の句よりも青鞋の句に惹かれる。それには、もしかすると、かねてからのいわゆる「分かる/分からない」といった物言いをめぐる議論のねばつきようにいいかげんうんざりしているという、僕自身のこの頃の気分も、すこしは関わっているのかもしれない(それにしても、この「/」はなんだろう。一句一句を読むとき、僕はそのつど「分かる」でも「分からない」でもなく、「分かるない」とでもいうようなあたりをうろうろとしている気がするのだけれど)。

もちろん、踏みこんでいるという点では、あきらかに智哉の句のほうが、青鞋の句より遠くまで踏みこんでいる。要するに、物を並べたあとのことにまで踏みこんでいるのである。青鞋の句は、葡萄のたねを並べることに踏みとどまっている。この違いのことを、すこし考えてみたい。

葡萄のたねというモチーフに《葡萄食ふ一語一語の如くにて》(中村草田男)の喩えが打ち重なりもするからだろうか、一行に葡萄のたねを並べるということは一句を作ることを象徴することのようにも思われる。句を作ること、すなわち、並べること。語のたねとしての字。
俳句を作つてみたいといふ考へがありながら、さてどういふ風にして手をつけ始めたらいゝのか判󠄁らぬためにつひにその機會無しに過󠄁ぎる人が餘程あるやうであります。私はさういふことを話す人にはいつも、
   何でもいゝから十七字を並べてごらんなさい。
とお答へするのであります。
(高濱虛子『俳句の作りやう』)
ただし、1978年(昭和53年)3月に『俳句公論』に発表された「行為としての定型」を「終りに、この形式を表記上、多行書きにしたり、一行書きにしたりするのは、単なる目先の趣向の問題であって、本質的に云為する程のことではありません」という言葉で締めくくっている青鞋であるから、葡萄のたねを並べるにあたってそれらを一行にしてみせたのも、単なる目先の趣向の問題だとしておくほうがよいのだろう。

しかし、並べられた葡萄のたねが現に句に見えるかどうかは別としても、葡萄のたねをたとえば十七粒ほど一行に並べることが、あるとき、あるひとにとって、それ自体何らかの句を作ることになるといったことは、充分にありうる気がする。青鞋は記す――「この形式自体は却って無気味に能無しで無意味なのです」(「行為としての定型」)。たしかに青鞋の句はそれ自体としては字を並べたものであるけれども、まさしくそのことによって、葡萄のたねを句として並べるというありうる出来事を指し示しているふうに読める。そして、青鞋においては、葡萄のたねを句として並べるという出来事を指し示すとき、その指し示すことのかなたに、句を読むことは置き去りのままに残されている。

並べたあとのことに踏みこむということ、それは読むことに踏みこむということだ。要するに、智哉の句の思考は、並べられた人参を読むことに踏みこんでいるのである。助詞の「ば」を踏みこえることによって、人参を並べた者が今度は自ら並べた人参の最初の読者になる。しかし、このとき生じるのは「分かる/分からない」のあいだに引かれたあの斜線にほかならない。分かるとはどういうことか。それは、たとえば「分かる/分からない」、「作者/読者」といったあらゆる分別の自発的な生成だ。そして、そこに生じるのは秩序である。人参を並べておけば分かるということ――これは、一言で記せば、じつにひとつの文化的な事態なのである。だが、この最初の読者こそ、一句の首を絞める者にほかならない。この読者は「分かるなり」と高らかに宣言する。そして、まさしくそのことによって、読むことをあの「分かる/分からない」の問題に縛りつけてしまう。こうして最初の読者は、もはやまるで人参を味わうことも、盗むことも知らないかのようなのである。だが、そのようにして別様に読むことが、そのつどできるはずなのだ。並べられた人参は、したがって、むしろ句の外にまったく別の第二の読者の可能性を孕んでいる。すなわち、分かる前に味わったり、盗んだりする読み手、分かることの手前で実践する読み手の可能性を。しかし、そのことは、句の思考が人参を並べたあとのことにまで踏みこんでしまったことによって、とかく忘れられがちになっている。そのせいで、僕たちはつい、最初の読者と共犯関係を結んで、この句を「分かる/分からない」の次元で考えようとしてしまう。

青鞋の句の思考は、ただひたすら、葡萄のたねを並べながらそれに興じることのうちに、すなわち、無気味に能無しで無意味な形式をそのつど立て直す官能的な実践のうちに、したがって、分かることのはるか手前に、踏みとどまる。さて、手前つながりですこし自分のことを書くなら、僕もまた、斜線が氾濫する場をはっきりと見据えつつ、いかに青鞋の書いた側に踏みとどまるのかといったことを思ってきたようだ。おそらくそれゆえ、僕は人参の句についても、人参を並べておけばただ人参が並べてあるということがそれとして分かるというふうに、せめて分かるということを限りなく小さく読みたいと感じるのだろう、そしてまた、おそらくそれゆえ、智哉の句のなかではむしろたとえば《畳から秋の草へとつづく家》に強く惹かれるのだろう。この句の思考は、「内/外」のあいだの斜線を見据えながらもまったくその斜線の引かれる以前の感覚に踏みとどまっているのであり、しかしながら、そのことによって、むしろたやすく「内/外」の敷居を踏みこえるのである。

もちろん、青鞋の句にもまた、この見据えつつ踏みとどまるありようが感じられる。そう、彼は葡萄のたねを並べるだけではなく、さらに字を並べることで、葡萄のたねを並べるという出来事を言葉で指し示したのだった。言葉によって出来事を指し示すということ――青鞋の一句は、そのことによって、すでにはっきりと斜線の氾濫を見据えている。だが、青鞋の句の思考はその氾濫にあえて自ら踏みこもうとはしない。並べられた葡萄のたねを前に、あるいは、葡萄を並べるという行為を前に、はたして問いは「分かる/分からない」の次元で提起されるべきなのか。分かる前に感じること、この行為を身体に引き受けること――青鞋の一句はまずそのことに向かって差し出されているように、僕は感じる。


2017-08-06

あとがきの冒険 第25回 雲雀・恍惚・ブッダ 鴇田智哉『凧と円柱』のあとがき 柳本々々

あとがきの冒険 第25回
雲雀・恍惚・ブッダ
鴇田智哉『凧と円柱』のあとがき

柳本々々



 句はどれも、それが生まれた年によってでなく、心における前後に照らされて、配置された。
 心は、以前にも以後にもうつる。それは感情に限らず、見える、聞こえる、匂うといった感覚に関しても。ときに心は、未来の出来事を先に見ることでさえ、ある。ーー今のこの出来事は、いつか遠い昔にも見えていたし、これからずっと先にも、また新たに聞こえ続けるだろうーー
 この句集はいわば、心の編年体による。

(鴇田智哉「あとがき」『凧と円柱』ふらんす堂、2014年)
鴇田さんはいつも〈どこ〉にいるひとなんだろうとすごく気になる。この「あとがき」を読んだときにあらためて思った。鴇田さんは「以前にも以後にも」いるし、「未来」にも「遠い昔」にもいる。かと思えば、さいきんの『角川俳句』で鴇田さんはこんなことを書いていた。「今」のことを。
雲雀は私からも、雲雀からも見えていない。また、私は雲雀からも、私からも見えていない。このような状態を、今と呼んでみたい。今とは、我、彼を忘れて充満するものだ。俳句は、今の詩だ。言葉が言葉であることを自覚する寸前にある
(鴇田智哉『角川俳句』2017年6月号)
ここには一般の感覚では発想しない「今」が展開されている。「今」というのはわたしがいま・ここにいてわたしを実感することではなく、わたしがいなくなる、ということすらも、なくなるような感覚が満ちることをいう、らしいのだ。ここに鴇田さんの俳句のコンセプトのようなものがあるのではないかと思っている。言葉が言葉になるぎりぎりの手前、言葉が言葉であることをわすれているような時空間。それが「今」だ。そして、たぶん、その「今」は「未来」であり「遠い昔」であり、「心」でもあるのだ。

  人参を並べておけば分かるなり 鴇田智哉

あえて「あとがき」から読んでみようと思うが、この句の「分かる」は〈なにもわかっていない状態にみちみちている状態〉が「わかる」と感じられるような状態なのではないかと思う。「我、彼を忘れて充満」している状態。「人参を並べておけば」というのは、このとき、〈心の編年体〉に対応する。句集製作として句を編むように、「人参を並べて」いくと、「今」が恍惚とあらわれる。しかし、その「今」をだれも、なんぴとたりとも、知覚することはできない。そしてその知覚不可能性を「わかる」と呼びたい。「わからない」と言えるのは、知覚できたからである。でも、「わかる」は「雲雀は私からも、雲雀からも見えていない。また、私は雲雀からも、私からも見えていない」ような状態にある。

むかし、中山奈々さんが、ブッダが俳句を詠んだらどんな俳句をつくるだろうか、というとてもおもしろい問いかけをしていた。よく、おもいだしては、かんがえる。

鴇田さんのような俳句じゃ、ないだろうか。
 

(鴇田智哉「あとがき」『凧と円柱』ふらんす堂、2014年 所収)

2016-10-23

名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫 (27) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (27)

今井 聖
 「街」121号より転載

人参を並べておけば分かるなり 
鴇田智哉 『凧と円柱』(2014)

なんだこりゃ。

ニンジンヲナラベテオケバワカルナリ

この句は鴇田さんの第二句集『凧と円柱』の帯に記されている八句から採った。

八句の前に「自選句」などと銘打っては無いが、本人抽出の意図を背負った作品であることは確かである。

僕はカルチャースクールでの授業の二時間の半分を過去の実力俳人についての解説に当てている。

虚子やら波郷やら草田男やら楸邨やらを読んでいたら、あるとき若い俳人もやってくださいという数人の要望があった。その人たちの挙げた「候補」の中に共通して鴇田智哉の名前があった。
鴇田さんは人気作家なのだ。

鴇田智哉さんの句はこれまでの誰にも似ていない。

そして彼オリジナルの書き方が確立されているようにも見える。

また、それを中原道夫さんの言った「石田郷子ライン」に倣って言えば鴇田ふう書き方を憧憬する人たちによってその「ライン」が出来上がりつつあるようにも見える。

少なくとも僕の目にはそう映る。

僕は鴇田作品を不思議な感じで見ている。

おそらくこういう感覚というのは誓子や楸邨や兜太が登場したときと似通った印象ではないかと思う。

そう思うと言うことは僕は鴇田さんを評価しているのだなと自覚する。

句の構造を分析する前口上として、僕は鴇田さんの句は諷詠だということを感じる。

見えたもの聞こえた音等、人間の五感から直接受け取る印象を表現している。

鴇田さんは「書く」人ではなく「詠む」人である。

これはまずもっての僕の印象。彼の師が今井杏太郎だという先入観が僕の中にあるせいだろうか、呟きとか平明とか、言葉が次の言葉を呼ぶ滑らかさを「意味」に優先して感じるのだ。師を自分の骨にしてそこにオリジナルな肉付けをしてゆく。

師系とはそういうものだ。

具体例を示しながら鴇田さんの句の構造を僕なりに考えてみる。

一、主語の省略、目的語の省略。

通常これまでの俳句は主語が省略されるときは「私」または「私たち」がそこに隠れている場合に限るとされてきた。

例外はある。述語部分から明らかに主語を類推し得る場合は主語を省けるだろう。

目的語の省略はまずないと言っていい。

こちらも例外はあるだろう。海中で矢を放つと言えば間接目的語は「魚」に決まっているというような。

鴇田さんはこれらの通念に踏み込む。

冒頭の句。

人参を並べておけば何が分かるのかが書かれていない。

「何が」は「何を」。つまり目的語。

書かれていないとどうなるか、読者はハナッからなんのこっちゃ、わかりまへんで放り投げるか、

「忍耐強い読み手」なら目的語を自分なりに補って鑑賞する。

人参を並べておけば、私がここに置いたことが分かる。

人参を並べることで私が意味しようとしたことが分かる。

謎かけのようだと思ったとたんに作者の作戦にはまる。

謎かけ自体が意味を持つからだ。

僕はこの方法は金子兜太さんの「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」と似ていると思う。

「湾曲し」と「火傷し」の主語はそれぞれ異なるはずなのに両者とも示されない。示されなくても読者は異なる二つを補って鑑賞する。過去の二者を想起させることで、現在の「爆心地のマラソン」が起点となっていることに気づかせる。

ただ、主語が無くても湾曲するのは鉄のように曲がる物質であるし、火傷するのは生き物であると類推できる。

鴇田さんのはもっと類推から遠い省略である。

二、接続の言葉の「はずし」方。

ひあたりの枯れて車をあやつる手

これなど、まず、車は手であやつるものだから「車をあやつる手」は実に普通。

問題は「ひあたりの枯れて」。

枯れたところに日が当たっているなら凡庸な伝統句になる。「枯葉のひあたり」でも普通だし、枯れ色のひあたりでも普通。枯れたひあたりで、少し変になるが、それをひっくり返して「の」と「て」で結んだ。

こほろぎの声と写真にをさまりぬ

上着着てゐても木の葉のあふれ出す

も同様。前者は「こほろぎや」とおけば既にこほろぎは鳴いているので、

  こほろぎや皆で写真にをさまりぬ

とでもすれば実につまらない凡句になる。

「木の葉のあふれ出す」は動的でこの部分だけでもまずまず面白いが、上着はすでに季節感があるので木の葉と重複感が否めない。その「凡庸」を「と」と「ゐても」でひっくり返し敢えて違和感をぶつける。

杏太郎師直伝の和食に多国籍スパイスをえいやっと振りかける。

下地にきちんと「師」が生きているのだ。

三、形容詞と名詞の関係。

名詞と動詞の関係で成立する構造の句が多いがその関係のそれぞれを互い違いに交換する方法。次の作品は帯の句ではなく「凧と円柱」の中。

あいてゐる花のとびらは息をする

「あいてゐるとびら」と「花は息をする」ならば普通の関係。植物は呼吸するからね。

その二種類をそれぞれ交換する。あいてゐるを花にかけ、とびらに息をさせる。

帯の、

うすぐらいバスは鯨を食べにゆく

もそんな感じ。

うすぐらい鯨ならちょっとした機知の範囲。この程度なら従来の俳句でもやる。ピノキオが入った鯨の腹の中の感じ。「うすぐらい」。バスで食べにゆくはむしろ日常性だ。

うすぐらいをバスにくっつけ、「バスで」を「バスは」として助詞をいじることでヘンテコな世界が現出する。

相互交換手法。

四、反通念、常識を裏返す。

これはまあいろんな俳人がやっている。

便所より青空見えて啄木忌 寺山修司

莨火を樹で消し母校よりはなる 同

啄木の美化、無頼を通念として嫌い、便所をぶつける。

母校愛や郷愁の概念を裏切って莨を樹に押し付ける。

そもそも、

頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋

がそうだな。

「写生」「写生」って、見えるものばかりが「詩」じゃない。そもそも文字で写すなんて道理に合わない。

ほら、新興俳句系が大好きな「啓蒙」だ。

鴇田作品で言えば

尾の抜けてしまへば雪に眠るのみ

水にゐるごとくに風邪を保ちゐる

こんなのかな。

冬眠のためには毛を厚く被る必要があるから冬に動物の毛は伸びる。冬眠しない犬も猫も。

天の川犬後脚を抱き眠る 楸邨

かじかみて脚抱き寝るか毛もの等も 多佳子

こんな動物たちの毛は長い。

鴇田さんの獣は冬眠の前に尾が抜けてしまう。通念を逆転させる。

もっとも主語が無いし冬眠とも言っていないのだからそこに僕の読みの限界を言われれば肯うしかない。

「水にゐるごとくに風邪」はまあ、気の利いた伝統俳人なら常套。感覚的ですねなんて褒められたりして。通常風邪の句はその「状態」を言うのだ。

鴇田さんは「保ちゐる」。

保つは他動詞だから主語の意志を述べる。風邪を保ちたい奴などいるか。そこが通念の破壊。

以上四点あげてみたが、鴇田さんはこれらの要素のあれこれをいろいろな組み合わせで出しているように思える。

そして、これらの四点のうちの、特に最初の三点はまさに鴇田オリジナル。四点目はこれまで誰彼がやってきたことだ。

主語がないとき「私」や「私たち」で無くても鴇田智哉は読ませる。修飾語と被修飾語が「はす向かい」でも読ませる。それは作者の力であって「諷詠」の恩寵だ。

この三点の技法に於いて誰かの句に鴇田ふうを感じたら、それはただの亜流だ。

つまらない。


なんだこりゃこそ学びの宝庫。

【週俳9月の俳句を読む】鴇田智哉 澤街さんと街澤さん

【週俳9月の俳句を読む】
澤街さんと街澤さん

鴇田智哉



バリカン当てられ羊前肢に宙を蹴る   池田瑠那

前半と後半での緩急の切り替わりがいい。
前半は、当てられ、と受け身の表現にはなっているものの、
バリカンを当てる側の、人間の手の冷静さが見える。
そうしたなだらかな上八に続き、
後半は、手花火の火花のようにきゅんきゅんとした動きが見える。


秋風や羊楕円のひとみ持ち   冬魚

秋風はまわる。楕円のふちに沿って、大きくまわる。
円、でなく、楕円、としたことで、動きが出た。
羊のひとみとは、森のなかの湖を俯瞰するようで、あきらかな潤いをたたえている。
秋風は、しゅうふう、と読んでみたい。


水引草しごけば樹海出入口   金丸和代

出入口、とは、出口であり入口であるところ、つまり境界である。
樹海が一つのひろがりだとすれば、樹海とそれ以外の空間との境界は、樹海の外周に無限に存在することになるのだが……
出入口、それは一つに限定された特別な口だ。
繁茂する水引草は、無限の暗闇を意識させる草だ。
それを、しごく、のはちょっとした苛立ちからかもしれないが、
ともかく、そうしたことにより手が汚れ、くっきりとした出入口が生じたのである。


花野ゆくひつじをとこの被りもの   茸地 寒

パステル画の色彩感。
瞬きのなかの景。
ひつじの被りもの、でなく、ひつじをとこの被りもの、としたことで、夢ならではの現実味、のような質感がある。


触角をきゆうんとしごく秋の夜   井上さち

自分の触角だろう。
きゆうん、という擬音語につられて、
チューニング、という言葉が私の頭に浮かんだ。
冴えてくるのである。

(話は脱線するが、しごく、という言葉二句目だ。
「街」で流行っているのか。)


仔豚だけで寝る日はじまる泡立草   玉田憲子

泡立草、のこまやかにざわめく感じ、かわいらしさが、仔豚だけで寝る日はじまる、という内容に、無邪気な期待感と、その裏側のあわれさを醸し出している。


肩パッド入り秋服や石畳   岡本春水

ちゃんとしたお参りのような景。
肩パッド入り、という入り方といい、や切れ、とそのあとの、石畳、といい(全部だ)、どこをとってもそこはかとなく可笑しい。


「何が好き?」「ボクはやつぱり鮭の皮」   川又憲次郎

ボク、というカタカナ書きが醸し出す、揶揄。
味わいがある。


自転車漕ぐわれの頭上を海霧擦過   嶋田恵一

海霧擦過、が艦に乗っている者の連絡用語のようでおもしろい。
自転車に乗りながら、艦であるかのような錯覚を楽しむ。
漕ぐ、という言葉がミソである。
風景の再構築として可笑しい。


スナックに秋鯖提げて来るをとこ   望月とし江

旅人から見た景として、この句を読んでみたい。
すると、をとこ、が生きてくるのである。
たまたま知らない空間に入りこんだ私に、
その空間に馴染んでいるらしいをとこが、
ありありと存在感をもち始める。


夏掛けに目覚めて未だ水のまま   秦 鈴絵

平べったく寝ていたのだろう。
覚めてそこからうごき出すまでの、未だ平らにいる時間。
やわらかな夏掛けと、水、との親和性。


グラスの中本箱の外鳥渡る   竹内宗一郎

目は、同時に幾つかのものを見ているときがある。
グラスの中、本箱の外、そのもっと外の鳥渡る場所を。
琥珀色とか、木目とか、活字とか、
そうした連想の重なりの中、鳥が渡る。


すいつちよと坊主頭の写真家と   今井 聖
永遠に下る九月の明るい坂

すいつちよ、は細長い虫で、その鳴き声もまた、細長い、きりっとした声だ。
だからなんとなく、この写真家も細長いのではないかと思えてくる。

主人公は、街を見渡せるてっぺんから、下りていくのではないだろうか。
九月は、折り返しの感覚のある月だ。永遠に下る、には、ゆっくりゆっくり下ることへの、安らぎがあるだろう。
明るい坂、がさわやかである。


寿司出前専門店やスクータ据ゑ   小澤 實
犬嗅ぎ過ぎて桔梗の蕾なり

スクータ据ゑ、が、へい一丁、みたいな感じで調子がいい。
街の一角のミニチュアを見るような、風景の再構築。

犬には犬の、事情というか興味があって。
飼い主である人から見れば、おいおい桔梗の蕾かよ、と。
桔梗の蕾がかたくなで、清い。


二結社の対決(?!)企画、楽しく読んだ。
それぞれの結社における句の、語法や目のつけどころの癖のようなものが、傾向としては存在しており、それを意識して読むのも面白いものだ。
だがそれでも、大事なのはその一つ一つの句であるから、
一つ一つの句に注目して、読んだ。





「澤」
■池田瑠那 7句 ≫読む
■冬魚 7句 ≫読む
「街」
■金丸和代 7句 ≫読む
■茸地 寒 7句 ≫読む
「街」
■井上さち 7句 ≫読む
■玉田憲子 7句 ≫読む

「澤」
■岡本春水 7句 ≫読む
■川又憲次郎 7句 ≫読む

「澤」
■嶋田恵一 7句 ≫読む
■望月とし江 7句 ≫読む
「街」
■秦鈴絵 7句 ≫読む
■竹内宗一郎 7句 ≫読む
「街」■今井 聖 10句 ≫読む
「澤」■小澤 實 10句 ≫読む