【句集を読む】
現在と過去を二重写しにする存在
鴇田智哉『エレメンツ』を読む
小林苑を
いうれいは給水塔をみて育つ 鴇田智哉
何度も読み返す。句集をひとつの作品として編むのが当たり前になってきているのだろう。だから一句との出会いの悦びを味わうのとは違う。迷路に入り込むように頁を繰っていくことになる。
『エレメンツ』というタイトルが既に暗示的なのだけれど、ⅠからⅢまでの章立てはさらに細かい小タイトルで区切られていて、この小タイトルれが極めて象徴的なタイトルばかりなのだ。だから仕掛けが溢れているようなのに、句集全体の印象はひどく生真面目なのだ。
小タイトル20余りの小タイトルの中の4つが「35°37'34.9"N 139°26'13,9"E」というような謎の文字列で、たぶんと思ってGoogleで探る。「日本経緯度原点は、日本国内の測量の基準点。東京都港区麻布台二丁目に位置する」とWikipediaで知る。作者はいま自分が立っている地点を伝えようとするのだけれど、謎解きは読者それぞれに委ねられる。
掲句の「いうれい」は季語のようで長い時間を給水塔とともにあるのだから季語ではない。作者もいま給水塔を見ている。死んだ者も生きている者も給水塔の見える場所で空や風とともにある。私には『エレメンツ』の迷路の真ん中にこの給水塔が立っている気がする。見上げればいつもそこにあるものとして。
句集全体を通して頻出しているように感じたのが団地と電柱なのだけれど、実際にはそんなに多いわけではない。現在と過去を二重写しにする存在として印象に残ったのだ。《うすばかげろう罅割れてゐる団地》《凍る地を踏みしだき団地をのぼる》《眩しくてこはい団地のハナミズキ》。これらの団地はときに賑やかで、ときに廃墟だ。
さらに電柱。実は電柱・電信柱で2句しかない。さらに電線と給水塔。これらも生きる地点と距離或いは時間を感じさせてくれる。《うすらひを越えて電線沿いにゆく》《電柱で今日の私に出くはしぬ》《しやつくりや電信柱まで進む》。
気になると言えば、いくつかの紫陽花や鹿の句にも触れたいのだけれど『エレメンツ』の迷路で探してみてほしい。好きな句を何句か。
紫陽花に落ちてきよとんとする小鳥
車座のひとりづつ風穴のある
抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋
マスクはりついた私があちこちに
この部屋が金魚となりの部屋は雨
空蟬をなくして次の日になりぬ
鴇田智哉『エレメンツ』2020年11月/素粒社 ≫amazon
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