【句集を読む】
のびのびと幸せな歩調
小池康生『奎星』を読む
西原天気
蠅生まるビル一面に室外機 小池康生
3年前に惹かれた句を、いま句集で読んでふたたび惹かれた。自分の好みや規準はあまり変わっていない。3年前にブログ記事を書いたことはきれいさっぱり忘れ去り、いま読んで、記事に載せた写真の風景、東京・湯島付近のビルの背面を思い浮かべた。風景の好みや記憶の抽斗も変わっていない。
掲句の美点のひとつは、季語のいわゆる「斡旋」(業界ジャルゴン的であまり使いたくない語だが)のたのしさ・たしかさであり、それは今回の句集でもじゅうぶんに味わうことができる。
流木はことごとく痩せ秋の声 同
季語「秋の声」は、澄んだ空気のなかで聞く自然の物音。痩せた流木(日に露わとなり乾いているのだろう)との照応が滋味深い。
近づけば灯る仕掛けや年暮るる 同
よく目にするようになった防犯用の照明と年の暮れの組み合わせは、安定的(前述の「たのしさ」「たしかさ」でいえば後者がまさる)。
そしてまた拙ブログで取り上げたこの句。
これもまた「囮籠」の巧みさで、読者を一気に俳句的感興へと連れ込む。
季語という強力な仕掛けを十全に、かつ無理なく一句に収めるにおいて秀でた句が多いなか、いちばん好きになったのが、この句。
先頭へ車輛のなかをゆく日永 同
前掲の数句に比べれば、季語の斡旋が句に寄与する度合いはやや小さいかもしれないが、このなんとも幸せな歩調!
電車のなかをおそらく連結箇所を越えて、前へ前へと歩くのは、切り開かれていく風景を見たいのか(窓を隠しているケースも多い)、乗り継ぎ・下車後の便利を考えてのことか(現実的で夢がない)、それはわからないが、この句ののびのびと幸福な空気には、「日永」という季語が大きく関与している。
季語に過度の荷重をかけずに(つまり頼り過ぎずに)、けれども、季語をきちんと活かす。きほんのところだけれど、それってとてもだいじなことのようです。
小池康生『奎星』2020年10月/飯塚書店 ≫amazon
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