2019-07-07

『今井杏太郎全句集』を読む会 そのつど、偶然に出会う 福田若之

『今井杏太郎全句集』を読む会

そのつど、偶然に出会う
〈老人俳句の杏太郎〉から〈杏太郎俳句の「老人」たち〉へ

福田若之

*今井杏太郎の著作を引用する際のページ数は『今井杏太郎全句集』(角川書店、平成三十年)による。

〈老人俳句の杏太郎〉?


☆「老人俳句の杏太郎」といわれること
「句集『麥稈帽子』に
  老人の名はペペ棉の花咲いて
  老人が被つて麥稈帽子かな
という句がある。
 以来、老人俳句の杏太郎などと、いわれることになった」(「俳話抄」、三四一頁)

この「老人俳句の杏太郎」というイメージをかたちづくっているのは、どのような要素だろうか。

□仁平勝
「「老人」は杏太郎俳句には馴染みの語で、三人称でありながら一人称を示す」
(「白鳥よりも春の氷を」、『俳句研究』、第七八巻第二号、
角川マーケティング、平成二十三年三月、一二五頁)

【補足】「馴染みの語」という点と、「三人称でありながら一人称」という点の双方に注目しておきたい。杏太郎の句の「老人」についてはこれまでにも少なからぬひとびとが語ってきたところだが、それらの指摘は、多少の違いはあれ、およそこの二点に集約される。すぐあとに確認するとおり、杏太郎自身もまた、自らの句の「老人」を「自画像」として語ったことがある。ただし、そうした杏太郎の言葉が、たんに「人称」というはたらきを示唆するにとどまるものなのか、あるいは、そもそもここで問われるのは厳密に言って「人称」の問いなのかということについては、あらためて考える余地があるだろう。

〈老人俳句の杏太郎〉という一般的なイメージは、おおむね次の二点によって特徴づけられている。
 一、「老人」という言葉を含んだ句を数多く残しているということ
 二、句の作者としての杏太郎みずからが、句中の「老人」に重なりあうということ

杏太郎の自句自解
老人の坐つてゐたる海の家
 このとき、老人は「海の家」にいたのです。ただ、この句の「かたち」からみると、この老人は、作者以外の「ある老人」ということのほうに重心がかかっていますので、必ずしも、作者が老境にある、ということにはならないのですが、紛れもなく老人を意識しての作品であることを疑う訳には行かないと思うのです。
 さらに言えば、そこに坐っている老人は、作者自身の投影された姿であるのかも知れないのです。そして、この「海の家」のまわりには、老人をも象徴するような「晩夏」の景色が、ひろがっている筈なのです」(「螢火―晩年を詠む」、三〇三‐三〇四頁)

「老人は、作者の自画像でもある」(「自句自解五十句」、三七一頁)

だが、今挙げた二つの点は、ほんとうに杏太郎の作家としてのオリジナリティと言えるだろうか。それを検討するには、杏太郎以前の俳句に遡って、「老人」という語がどう表れているかを確かめる必要がある。


杏太郎以前の「老人俳句」


俳句における「老人」という語の用例自体は、すくなくとも子規にまで遡ることができる。

しかし、近代俳句において、「老人」をはじめて自らの俳句を貫く重要な主題として発見したのは、永田耕衣だったように思われる。
永田耕衣
■『惡靈』(俳句評論社、昭和三十九年)
昭和三十二年
 老人さツと積木を崩す墓参の朝    (二二頁)
昭和三十五年
 青味保つ彼の老人を附け行く冬の日   (四六頁)
 老人集つて深海に棒頭の眼を挿しこむ     (四七頁)
 薄氷の(しょう)一場(こく)一場の老人よ    (四八頁)
 海岸線を老人一個「自屎(じし)も臭し」と      (四八頁)
 夕陽老人虎穴に詰り虎穴を掃く      (四八頁)
 老人や破船を環視の種混む鶏頭      (五六頁)
 老人やみみず両断され共に跳ね         (五六頁)
昭和三十六年
 樹頭の椿に手届かぬ老人山を(くだ)      (六四頁)
 「虎」と答えて老人亀を磨くなり    (六五頁)
 樹の折れ口横切る速歩の新老人        (七〇頁)
 其処に白鳥見てかたまるや又老人     (七二頁)
昭和三十八年
 老人逃げて公園のどんぐり盗む    (八七頁)
 老人或る枯草に飛びつきにけり      (八九頁)
 山を透いて老人行くはげんげ道        (九一頁)
 野を穴と思い跳ぶ春純老人      (九二頁)
 棺を割つて出て行く老人茨散つて  (九三頁)
 彼の柚子を額に嵌め行く素老人      (一〇〇頁)
*著者自身の後記に、次のとおり記されている。
「「老人の狂気をおれに与えて呉れ おれ自身をおれは作り直さねばならぬ」(大浦幸男訳)といつた七十歳のイェイツに、私はかぎりなく共鳴する」(一一九頁)
■『闌位』(俳句評論社、昭和四十五年
 老人を呼ばねば椿寂しけれ     (三九頁)
 老人や何食つて裂く椿の枝       (三九頁)
 老人や鶺鴒しのび寄る脚下        (五四頁)
 老人白桃を論談す猶道の中         (五八頁)
 老人のタネ如き蛾が触れて居る    (六五頁)
 老人に海棠色の自信かな         (八二頁)
 老人や水切られつつ鳴く泥鰌         (九二頁)
■『冷位』(コーベブックス、昭和五十年)
昭和四十五年・昭和四十六年
 老人を知らぬ鵯まだ知らぬかな  (七頁)
昭和四十七年
 枯草を扇ぎいたりき旅老人   (四六頁)
■『殺佛』(南柯書局、昭和五十三年)
 老人を覚え崩れの枯葎    (四九頁)
 老人の覚え崩れの枯葎      (五〇頁)
 ぼんやりの素老人行く秋の浜     (八四頁)
■『殺祖』(南柯書局、昭和五十六年)
昭和五十三年
 老人の老穴染めの薄かな   (二四頁)
昭和五十四年
 茄子在り無*即金色の老人居る   (六〇頁)
昭和五十五年
 老人はサラッと転ける霞かな   (九一頁)
「肉体」
 老人やいま一村の笑い霜    (一三五頁)
 初夏隠れなる老人と思いけり      (一四二頁)
■『物質』(湯川書房、昭和五十九年)
昭和五十六年
 茄子古葉とる老人の匂い哉     (三六頁)
昭和五十七年
 老人の真菰佇ち真似恐ろしや (七六頁)
昭和五十八年
 日覆のみ黄なる一日や素老人     (一一九頁
 日覆してカーテン引くや夢老人       (一一九頁)
■『葱室』(沖積舎、昭和六十二年)
 晩秋は老人高きむかしかな   (九頁)
 木枯や実力伸びて行く老人     (一五頁)

安井浩司
*句のページ数は『増補安井浩司全句集』(沖積舎、平成二十一年)による。
■『青年経』(砂の会、昭和三十八年)
 橋上に老人生きて水の奔走の青さ          (一五頁)
 脅威のぬけがら老人を野の日向這わす    (一六頁)
 老人の胸くろければ死す雁なく岸     (二一頁)
■「もどき招魂」(昭和四十五年)
「考えてみるならば、山から山へかえす木霊のように、逆置的に拡大しうる詩の世界が、もどきの中の複数的存在として象徴されるとき、もどきそれ自身が、はれの機会に、不意に分裂し、不意に相互の浸潤をおこすということは、つまり、「俳句」の業をひとつの神事に見たてての、あのもどきの〈遊び〉わざなのだ。いや、〈遊び〉わざと言い切ってしまってはならない。敢ていうなら、もどきの、あの「神」にしたたかたてをつく邪しまさ、頑迷さ、ほがらかな悪意こそ、とりもたがわず俳人の汎神論そのもののあらわれである、ということである。もどきの生命は、いかにも「自然」の中で、いささか暦日的に皺を刻んでしまった老人たちの、頑なにして阿呆けた面白の風姿に、少なからずよく似ているのである。しからば、勿論、今日、俳句を書こうなどとするものは、もどきの副次的生命として、「自然」の中で阿呆けた老人の面白なくしては絶対にいけないのではないだろうか。しかも、「自然」まったきそのものとして、彼は実際に〈翁〉もどきでなくてはならない」
(安井浩司「もどき招魂―俳句にとって自然とは何か」、                                              
『安井浩司俳句評林全集』、沖積舎、平成二十六年、二八頁。
傍点は原文どおり)

【補足】とりわけ「俳句を書こうなどとするものは、[……]「自然」の中で阿呆けた老人の面白なくしては絶対にいけないのではないだろうか」という箇所に注目してもらいたい。耕衣がイェイツの翻訳から借りて言う「老人の狂気」(『惡靈』)と、浩司の言う「阿呆けた老人の面白」とのあいだには、通じるところがあるだろう。

論中の「翁」の位置づけと「もどきの副次的生命」ということについて、「もどき招魂」からさらにいくつか重要な箇所を引用しておく。

「翁」――「翁とは、本来、すこぶる「神」に近いところに位置する人の長として、神の一歩手前のところにおいて、その神に水をつける格好の者と思える」、「神のすこぶる近くに存在しつつ、未だ神になりきれず、なりそこないの阿呆けた風姿は、周囲の人々にとって、彼こそもどきを演ずるに充分な資格ありとみたのであった」、「たとえば、猿楽などの地方演芸の源流には、翁はかつて、神の〈片割者〉としての資格をもち、いささかはれがましいペルソナをかむっていたのである」(同前、二四頁)。

もどきの副次的生命」――「もどきは、人と神の間合いに、呪術的性格があり、神の掻乱者であると同時に、助勢者としての、いわば複合的な存在であった。おおむね、はれの場に出現し、メフィストフェレスぶった口嘴で参上するや、何がしかの口宣を弄して、人神混濁の世界を拡大する。神に占有された世界を、不意討ちをくらわすがごとく、人心の中に解放する、まことに大切な役柄であろう。このような意味から、もどきという助ッ人は、人々がおのれ自身をがんじがらめにする「自然」の中に見出しつつ、神の方へ派兵した、もう一ツの副次的生命として格好な存在であったのである」(二五頁、傍点は原文どおり)。

金子兜太
*ページ数は『金子兜太集』、第一巻(筑摩書房、平成十四年)による。
■『金子兜太句集』(風発行所、昭和三十六年)
「神戸」(昭和二八・九—三三・二)
 青い汐の日老人犬を馴しならす      (一〇九頁)
「長崎」(昭和三三・二—三五・五)
 靄の老人軍艦クレーンを白くして (一一四頁)
■『蜿蜿』(三青社、昭和四十三年)
 扁平の山屹立の山老人たち      (一六九頁)
■『暗緑地誌』(牧羊社、昭和四十七年)
 雪の日暮れ老人肉食少女は魚    (一八九頁)
 日焼けの老人集り尖る月曜会議     (一九二頁)

【補足】「老人」は、兜太の句において、耕衣とほぼ同時代に並行して表れる。これは耕衣からの影響というより、偶然の符合とみたほうがよいかもしれない。いずれにせよ、兜太は耕衣ほど「老人」という主題に意識的に取り組んでいたようにはみえない。

三橋鷹女
*ページ数は『三橋鷹女全集』(第一巻、立風書房、平成元年)による。
■『橅』(俳句研究社、昭和四十五年)
 わらはぬ老人隙間があれば苔を貼り   (二七〇頁)
 老人の手が伸び雲はげんのしようこ (二七八頁)
 降つて湧くあしなが老人苔に花     (二八〇頁)
■「橅以後」
 沖を招くよ老人の指輪耀り     (二九七頁)
 末は樹になりたい老人樹を抱き      (二九八頁)
 老人の稚拙はげまし水車       (二九九頁)
 ケーキに薔薇霧の衢に老人殖え      (三〇二頁)

飯田龍太
*ページ数は『飯田龍太全集』(第一巻、角川書店、平成十七年)による。
■『麓の人』(雲母社、昭和四十年)
昭和三十九年
 老人に柵暑き小遊園地     (一八一頁)
 老人の声夏深き青田べり    (一八三頁)
 老人の前の秋雨つよき谷    (一八四頁)
■『忘音』(牧羊社、昭和四十三年)
昭和四十一年
 老人のゆくてゆくての冬田光      (二一九頁)
昭和四十二年
 老人は山辺に花のぬくみ待つ  (二二九頁)
昭和四十三年
 老人に鳥越す山の冬がすみ      (二四八頁)
 老人のひとりの家の山ざくら     (二五〇頁)
草間時彦
■『淡酒』(私家版、昭和四十六年)
「盆支度」(昭和四十一年)
 老人の日喪服作らむと妻が言へり   (三〇頁)
「鴨足草」(昭和四十三年)
 老人やまた大げさに威銃      (九六頁)
「櫻落葉」(昭和四十四年)
 老人とばかり語りぬ蓼紅葉      (一四七頁)
■『櫻山』(永田書房、昭和四十九年)
昭和四十六年
「土佐みずき」
 老人や寒の日だまり誰も居ず     (一一頁)
「柏落葉」
 老人や午蒡蒔(【原文ママ】)く日の白手拭      (二七頁)
「秋の暮」
 用のない老人がゐて秋の暮        (五三頁)
昭和四十七年
「青萩」
 なにをしに行くや老人汗垂れて     (九八頁)
昭和四十八年
「鱧の皮」
 老人の汗たまりたる眼窩かな     (一七三頁)

清水基吉
■『遊行』(槐書房、昭和五十三年)
「文彌」(昭和五十年)
老弟子は老人ホーム身に入むぞ   (一一四頁)

細川加賀
*ページ数は『細川加賀全句集』(角川書店、平成五年)による。
■『生身魂』(東京美術、昭和五十五年)
「佛間」(昭和五十二年)
老人がゐて汐焼の猫じやらし      (一五九頁)

本土みよ治
■『相應以後』(竹頭社、昭和五十六年)
「父の日」(昭和四十九年)
 老人の鯉と遊󠄁べる秋の暮            (二四頁)
「仲見世」(昭和五十一年)
 なまぬるき冬老人を殖やしけり      (七九頁)
「初霞」(昭和五十二年)
 老人の眼に花屑のながれゆく       (九三頁)

岸田稚魚
■『萩供養』(立風書房、昭和五十七年)
「養花天」(昭和五十二年)
 老人の手の淫すなる牡丹かな       (一二頁)
「仏生会」(昭和五十五年)
 身辺や老人と死者と牡丹と     (一〇八頁)
 花柘榴老人のゐずなりし家      (一一九頁)
■『花盗人』(立風書房、昭和六十一年)
昭和五十七年
 老人の死や花桃のぼつてりと    (一二頁)
昭和五十八年
 病院を出る老人や春の雨    (四八頁)
 愛しめと老人の日の萩桔梗    (七五頁)
昭和五十九年
 老人の嗚咽ひさしき蝶の昼    (一一〇頁)
昭和六十年
 老人にも涼しきこゑのありにけり (一七五頁)

「老人」をみずからの俳句にとって重要な対象とみなしたのは、杏太郎がはじめではない。むしろ、それは『惡靈』の永田耕衣だった(金子兜太にも同時代に並行していくつくかの作があるが、耕衣のように主題として確立したわけではない)。

そして、『惡靈』の後記は、その句とともに、すでにして三人称的かつ一人称的な「老人」というモチーフのありようを示唆していた。

安井浩司の「もどき招魂」の記述も、こうした耕衣の発想の延長線上にあった。

耕衣の俳句に頻出しはじめた「老人」という語は、やがて広く同時代の作家たちに波及していく。そのなかに、「鶴」の草間時彦がいた。時彦によって「鶴」の俳句に持ち込まれた老人という語が、本土みよ治や岸田稚魚、細川加賀らによって引き継がれ、杏太郎にまで伝わったものと考えられる。


杏太郎俳句の「老人」たち

■『麥稈帽子』(富士見書房、昭和六十一年)
 老人のあそんでをりし春の暮  (二一頁)
 白地着て老人海を見てをりぬ  (二七頁)
 老人の息のちかくに天道蟲    (二七頁)
 でで蟲を見て老人の泣きにけり  (二八頁)
 老人の名はペペ棉の花咲いて   (二九頁)
 老人に会うて涼しくなりにけり   (二九頁)
 老人が被つて麥稈帽子かな   (三〇頁)
 老人の坐つてゐたる海の家   (三二頁)
 蒟蒻を掘るは老人なりしかな    (四五頁)
■『通草葛』(角川書店、平成四年)
 老人に柳の花はさびしいぞ     (六五頁)
 梨の花咲いて老人ともなりぬ     (六八頁)
 老人が使つて風の団扇かな    (七二頁)
 老人の日の曇りゐし町の空    (七九頁)
 老人のこゑしたるあと小鳥来る    (八四頁)
 老人が呟き紅葉かつ散りぬ      (八七頁)
 かたまつて老人の来る雪の暮     (九八頁)
■『海鳴り星』(花神社、平成十二年)
 野遊びのドン・キホーテも老人よ   (一〇五頁)
 老人の住む村桃の花畑      (一〇五頁)
 老人にほくろがありてあたたかし  (一〇五頁)
 老人のあそびに春の睡りあり (一〇九頁)
 老人が日傘をさして来りけり   (一一六頁)
 老人に嫌はれてゐる蜥蜴かな    (一一七頁)
 どことなく老人に似て鯊の顔     (一二三頁)
 老人のまはりに増ゆる木の実かな    (一二五頁)
 老人の家のさびしい夜長かな     (一二六頁)
 老人が通るよ葱の匂ふなり   (一二九頁)
 老人と老人のゐる寒さかな    (一三〇頁)
 枯山に小さな老人のゐたる       (一三〇頁)
 老人の家にともるは冬の灯か    (一三三頁)
 老人のこゑのしてゐる雪のなか     (一三四頁)
■『海の岬』(角川書店、平成十七年)
 老人に楽あり春にゆふべあり   (一四八頁)
 老人の更衣して風のなか     (一五〇頁)
 心太とは老人の愛のごとし   (一五二頁)
 団扇を置いてから老人は眠る        (一六三頁)

■『魚座俳句選集』(木の山文庫、平成十七年)
 なし

■『風の吹くころ』(ふらんす堂、平成二十一年)
 老人に楽あり春のゆふべあり    (一八四頁)
 老人は桜の山へ行つたきり    (一八六頁)
 老人の影を思へば日の盛り   (一九四頁)
 老人に引かるる牛も秋の暮  (一九六頁)
 老人にともりて長き夜のあかり (一九八頁)
 老人の家のつくつく法師かな   (一九九頁)

■「『風の吹くころ』以後」
 老人のうしろを影の十二月   二一八頁)

杏太郎の「老人」は複数である(《かたまつて老人の来る雪の暮》、《老人と老人のゐる寒さかな》)。すなわち、「老人」ではなく「老人」たち、といえる。

無論、こうした複数性それ自体は、耕衣の《老人集つて深海に棒頭の眼を挿しこむ》、兜太の《扁平の山屹立の山老人たち》《日焼けの老人集り尖る月曜会議》、鷹女の《ケーキに薔薇霧の衢に老人殖え》、みよ治の《なまぬるき冬老人を殖やしけり》にも等しく見出される。

第一のポイントは、杏太郎の「老人」たちが、個性的な特質を持っていることである(《老人にほくろがありてあたたかし》、《枯山に小さな老人のゐたる》)。杏太郎の句における「老人」たちは、個体として明確に識別可能である。

したがって、「老人」たちは固有名を持つ(《老人の名はペペ棉の花咲いて》、《野遊びのドン・キホーテも老人よ》)。したがって、杏太郎俳句の「老人」を単純に「作者の自画像」に還元することは不可能だといえる。また、老人の観念化を杏太郎は警戒していたようにも思える。

【補足】すなわち、杏太郎の句に登場する「老人」たちは、それぞれに違う〈顔〉をした別人たちなのだということ。「老人」たちのもろもろの様態をたったひとつの〈老人〉なるもののイメージに還元しつくしてしまうことは、この〈顔〉の違いを無視することにほかならない。ところで、この〈顔〉の無視は、「老人の日」という言葉に顕著だといえる。「老人の日」について、杏太郎は次のとおり言っている。

☆「老人の日」
「戦後、やたらと、〝なになにの日〟というのが出来て、未だになんのことやら判らずにいる。特に、老人の日などという呼称は、全く御免蒙りたい」
(「自句自解五十句」、三七一頁)
*ちなみに、『全句集』には「老人の日」の句は一句しかない。

第二のポイントは、老人という存在が、「存在感」というものをめぐって、別のものとのあいだに相互作用を起こすことにある。

☆《老人が被つて麥稈帽子かな》について
「帽子というものは、手に持っているだけではなんの役にも立たない。被ることによってはじめて帽子としての存在感が確立する。この麥稈帽子も、老人が被ったその瞬間、きらきらとした麥稈帽子になったのである。そしてまたそこに老人の安堵が見られる」
(「自句自解五十句」、三七一頁)

同様のことは、《老人に会うて涼しくなりにけり》、《老人が使つて風の団扇かな》、《老人のまはりに増ゆる木の実かな》、《老人が通るよ葱の匂ふなり》、《老人の家にともるは冬の灯か》、《老人の影を思へば日の盛り》、《老人にともりて長き夜のあかり》といった句についても言えるだろう。

逆に、《でで蟲を見て老人の泣きにけり》、《蒟蒻を掘るは老人なりしかな》といった句においては、物によって、老人の「存在感」が確立されるように読める。

それなら、老人同士が出会ったらどうなるのか。《老人と老人のゐる寒さかな》という句は、まさしくこの問いに応える。「老人」と「老人」の相互作用によって、「老人」たちの「存在感」がこのうえなく確立される。

☆老人の「存在感」
「老人を、俳句に詠むことは、全く、作者の好みによるのではあるが、老人を、「お年寄」などと呼ばれては、どうしようもなく落ちつかないのである。
 老人は、老人でいいのである。
 これからも、生きている限り、「老人」を詠み続けることになるが、それは、老人とは人間の生きざまの果てに、かがやいているもの、と考えているからである」
(「俳話抄」、三四二頁)

個体として識別可能な無数の「老人」たちが、任意のものと出会うことで、おのずから互いの「存在感」が確立する。杏太郎俳句の「老人」たちのありようの独自性は、じつにこの点に存している。

杏太郎俳句における「老人」たちのこうした特質を、一言にまとめるなら、「偶然に出会う」ということではないか。

☆偶然に出会う
「さらに、グラナダでは、まさに予期しないことが起った。先の「アンダルシアの虹」の映画の中で、鍛冶屋職人の役を演じていた「ペペ」なる老人に、サクロモンテの酒場で、偶然に出会うことが出来たのである。
 ジプシーの長老的な立場にある「ペペ」のかきならすギターの切々とした旋律と嗄れたような唄声によって、私達は、束の間の恍惚の世界にめぐり合う幸運を得たのであった」(「老人の名はペペ―思い出の旅」、二六二頁)

【補足】杏太郎たちがペペと偶然に出会ったように、杏太郎の「老人」たちは、それぞれ、「麥稈帽子」や「団扇」や「木の実」や「葱」や「でで蟲」あるいは別のもうひとりの「老人」といった思わぬものたちと、そのつど、何の約束もなしに、つまり、偶然に出会っているように感じられる。

偶然とはどういうことか。たとえば、「老人」は、「麥稈帽子」がなかったとしても、それなりに「老人」でいることができる。「麥稈帽子」にしたって、「老人」がいなかったとしても、やはりそれなりには「麥稈帽子」だということができる。だからこそ、それらの出会いは本当の意味での出会いだといえる。つまり、ばったり出くわすということ。

 「老人」と出会うことは「麥稈帽子」ということのうちにあらかじめ折り込まれてなどいないし、「麥稈帽子」と出会うことは「老人」ということのうちにあらかじめ折り込まれてなどいない。だからこそ、その「老人」や「麥稈帽子」は具体性を帯びることになる。

互いに折り込まれていないからこそ、出会いはそれぞれの存在感を具体的なものとして際立たせる(まさに俳句的な「取り合わせ」だ)。ある「老人」が「麥稈帽子」を被っているときに、また別の「老人」はどこかで「団扇」を使ったかもしれない。だとしたら、なぜ「麥稈帽子」を被ったのはこの「老人」で、あの「老人」ではないのか。

たしかに、「麥稈帽子」はその「老人」の愛用の品だったのかもしれない。しかし、だとしたらなぜ、その「老人」はその「麥稈帽子」を愛用していたのだろうか。

出来事は偶然に委ねられている。このことは、杏太郎と「老人」たちとのあいだにも同時に成り立つ。なぜ杏太郎がそのとき出会ったのは「麥稈帽子」を被ったこの「老人」で、「団扇」を使ったかもしれないあの「老人」ではないのか、あるいは、なぜ別の場所で別の「麥稈帽子」を被ったかもしれない別の「老人」ではないのか、と問うことができる。

おそらくまだ問いを殖やすこともできるが、いずれにせよ、出来事はやはり偶然に委ねられている。そして、偶然の出会いに身を委ねるとき、杏太郎自身もまた、その年齢や、あるいは性別といったことを越えて、いくらか「老人」めいてくることになる。

杏太郎俳句において、「老人」たちは、別の何かと偶然に出会う、あるいは、偶然に出会いなおす。「存在感」が確立するのは、物が「老人」にあらかじめ折りこまれてはおらず、「老人」たちもまたその物にあらかじめ折りこまれてはいないからだ。

したがって、出会いは偶然の出来事として捉えられるのでなければならない。そうでなければ、二者の触れあいは何事でもなくなってしまうからだ。

「老人」たちは、「生きざまの果て」すなわち存在(生)と非存在(死)との波打ち際にたゆたいながら、他者の「存在感」の確立に立ち会う。また、それと同時に、「老人」たち自身の「人間の生きざまの果てに、かがやいている」と言われるような「存在感」も確立される。

作者が「老人」たちと交感するという事態も、杏太郎の俳句においては、「偶然に出会う」ということの延長線上に考えられる。

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