『今井杏太郎全句集』を読む会
杏太郎の切れと助詞―上五の処理を中心にして
生駒大祐
今回は今井杏太郎の上五の終わりの処理を中心に統計的な分析および考察を行いました。
(凡例:麥稈帽子:麥、通草葛:通、海鳴り星:星、海の岬:岬、風の吹くころ:風、五百句(高浜虚子):五 と略記)
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「主要品詞の使用率」のグラフは、上五の最後に置かれた品詞が何かを調べた結果です。上位3位の品詞はいずれの句集も同じでしたので、上位だった助詞、名詞、動詞のみをグラフ化しています。基本的に助詞が圧倒的に多いのは杏太郎の全句集およびレファレンスである虚子の五百句も変わりませんが、杏太郎は時代が下るにつれ助詞・名詞の割合が僅かに減り、動詞が増えています。虚子と杏太郎を比べると、助詞は杏太郎が、名詞は虚子がそれぞれ10%弱多く、動詞は同程度でした。
上記の結果を受けて、最も出現率の高かった助詞の中で、いずれの助詞が最も頻繁に使われているかをグラフ化しました(各助詞の使用率(「の」を除く))。ここでは助詞の中での使用率をグラフ化しており、圧倒的に多い助詞である「の」はグラフから除外してあります。
杏太郎の全句集を通じて特筆すべきほど増減している助詞はありませんが、「や」が減少傾向であり、かつ虚子と比較すると大幅に(10%程度)少ないのがわかります。
最後に、格助詞の「の」の助詞の中での使用率を表にしています(「の」の使用率)。
「の」は虚子と杏太郎で大きく使用率が異なり、20%程度杏太郎が多くなっています。
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僕が予想していたのは「上五の『や』がかなり少ないのではないか」という結果で、これは予想通りでした(予想よりは少し多かったですが)。
杏太郎は「リズム」「調べ」というキーワードで俳句をしばしば語っており、一句の途中に強い切れを作るのは避けるだろうという印象があったためです。
上五を「や」で切る用法の杏太郎における例を下の段に挙げていますが、杏太郎らしい句かと言われればそういう気はしません。時代が下るにつれて「や」の使用率が減少傾向にあるのも、「杏太郎俳句」が完成されるにつれて上五で切る用法が自然となくなっていったといえるかもしれません。
次に予想していたのは「の」で上五と中七をつなぐ用法が多いのではないかという結果で、これも予想通りでした。
虚子と比べてもこの多用は明らかで、しかも時代を通して安定しています。以前田中裕明の「や」「かな」「けり」の数を分析したときに『先生から手紙』で「けり」が突如として増えたのを知ったことがあったのですが、それとは大きく違います。
「の」は様々な用法が取れると共に、音としてすこし粘度高めに次の音と接続するので、基本的に切れがかなり弱い。それが杏太郎の俳句のリズムとよく合っていたのではないかと思います。
ひとつ改めて発見したのが、「名詞による上五中七にかけての句跨り」がかなり多いという結果です。杏太郎は「五音の名詞+十二音」といったタイプの句はかなり少ないので、「主要品詞の使用率」の名詞の中に例として挙げたような名詞による句跨りの句が含まれることになります。
最初はこの結果を
・ 音数の多い名詞を用いることによる俳句の要素節約
を試みているためではないかと思いました。
それもあるとは思うのですが、下記の発見と併せて考えると、ある仮設が生まれます。
その発見とは、「中七の中に軽い切れを作るリズム」の句がよく見られるということです。例えば「老人が呟き紅葉かつ散りぬ」(通草葛)のような句です。これに限らず、杏太郎は十七音は比較的厳密に守ることが多いのですが、意味上の句跨りはかなり多い。これはどういうことなのでしょうか。
僕の仮説はこうです。
・ 杏太郎に固有の俳句のリズムは五七五ではなく、八四五や九三五ではないか
すなわち、杏太郎はまず八や九の長めの音を呟き、そのあと少し息を続け、最後に定型の五音にまとめているのではないか、という仮説です。
そう考えると、上に書いた「名詞による句跨り」が多いのも納得できます。最初から上五を五音にしようと思っていないとしたら、これは句跨りではなく杏太郎にとっての定型なわけです。
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結論に書いてあるのは杏太郎はおそらく句を詠む上で呼吸を大事にし、かつその呼吸は一般的な俳人と異なるものだったのではないか、ということを言いたかったのですが、伝わらないかもしれません。
『今井杏太郎全句集』の中には散文・随想も収録されており、「リズム」「呼吸」「歌う」などのキーワードも見受けられるので、興味を持った方は是非購入して読んでみてください。
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