【週俳2月5月の俳句を読む】
乗り切ろう
鴇田智哉
贈答のハムの転がる冬構 工藤 吹
転がる、といわれて古い家の畳を思う。いや、家を古いと想像したのは、贈答のハム、という言葉のせいかもしれない。
何十年も昔からコマーシャルとかでハムは、贈答品のイメージをまとってきたから。
まわりの暗さが、これからの冬の暮らしを予感させる。
箸乾く餅の貧しく付きしまま 工藤 吹
貧しく、という見方は少し寂しいが、私も見たことのある景が立ちどころに再生された。これもまた、昔からの景。
橋と日と鴉を残し春の川 阪西敦子
川、はもとより流れるものだが、心と目はときに、その流れにつられる。そしてふと戻るとき、橋と日と鴉、があったのだ。
残し、という一語の面白さ。
パンらしきものも映れり春の川 阪西敦子
自動車が顔に見えるとか、いろいろあるけれど、目からのものの把握は、何らかの物に飛びつくという性質があろう。ここでは、パン、に飛びつきかけた。
ぼんやりしていたのだろう。パンの語感が長閑。
姿なす春の泥からヌートリア 福田若之
いきなり、姿なす、といわれることで当然読者としては、何が? となる。で、ヌートリアだ。
ヌートリアはネズミの仲間。私も動物園でだったか、聞き覚えのある名だ。近年は日本で分布域を広げる外来種の一つだそうだ。水辺に暮らすので、春の泥、から来ることもあろう。
この句は、泥だけがあるような、手品のような描き方である。
ヌート、の語感がいいのだ。
春の夢か電子レンジのさざなみも 福田若之
くれぐれもこんな、さざなみ、に頭と体をやられぬよう。
しやぼん玉割れてあくびの涙ほど 山口優夢
理屈と非理屈が半々ぐらいで作用している。そこに人間の寂しさがある。
死者自身訃報読みたしポピー咲く 山口優夢
ポピーの群れの、あの浮き出たような色彩は、この世の別の位相を思わせる。
自身の訃報を読みたい、という強い思いの残像のようで。
夜が手を見せて戦場から電話 山口優夢
たとえば夜になると、窓に手が映る。そうした読者の記憶の欠片が、夜が手を見せて、という言葉により一般化される。
手、はこの世界のいたるところにある。
電話での通話の状態、そのまわりにも。
プチトマト潰れてゐるや孔雀吼ゆ 山田耕司
孔雀、のいる極彩色の場に、匂いや音声が加わって強烈。
プチ、がもたらすレジャーらしさ、園らしさに、可愛らしさがある。
寝そべりてカンガルーたる五月かな 山田耕司
カンガルー、が人みたいでぎょっとすることがある。あまりに人のようで嫌になることもある。あの妙な感じを知っていると、この句に味わいは一段と深まる。
カンガルーたる、のふてぶてしさ。
■阪西敦子 あとの音 10句 ≫読む
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