2022-06-19

鴇田智哉【週俳2月5月の俳句を読む】乗り切ろう

【週俳2月5月の俳句を読む】

乗り切ろう

鴇田智哉


贈答のハムの転がる冬構  工藤 吹

転がる、といわれて古い家の畳を思う。いや、家を古いと想像したのは、贈答のハム、という言葉のせいかもしれない。

何十年も昔からコマーシャルとかでハムは、贈答品のイメージをまとってきたから。
まわりの暗さが、これからの冬の暮らしを予感させる。


箸乾く餅の貧しく付きしまま  工藤 吹

貧しく、という見方は少し寂しいが、私も見たことのある景が立ちどころに再生された。これもまた、昔からの景。


橋と日と鴉を残し春の川  阪西敦子

川、はもとより流れるものだが、心と目はときに、その流れにつられる。そしてふと戻るとき、橋と日と鴉、があったのだ。

残し、という一語の面白さ。

パンらしきものも映れり春の川  阪西敦子

自動車が顔に見えるとか、いろいろあるけれど、目からのものの把握は、何らかの物に飛びつくという性質があろう。ここでは、パン、に飛びつきかけた。

ぼんやりしていたのだろう。パンの語感が長閑。


姿なす春の泥からヌートリア  福田若之

いきなり、姿なす、といわれることで当然読者としては、何が? となる。で、ヌートリアだ。

ヌートリアはネズミの仲間。私も動物園でだったか、聞き覚えのある名だ。近年は日本で分布域を広げる外来種の一つだそうだ。水辺に暮らすので、春の泥、から来ることもあろう。

この句は、泥だけがあるような、手品のような描き方である。

ヌート、の語感がいいのだ。


春の夢か電子レンジのさざなみも  福田若之

くれぐれもこんな、さざなみ、に頭と体をやられぬよう。


しやぼん玉割れてあくびの涙ほど  山口優夢

理屈と非理屈が半々ぐらいで作用している。そこに人間の寂しさがある。

死者自身訃報読みたしポピー咲く  山口優夢

ポピーの群れの、あの浮き出たような色彩は、この世の別の位相を思わせる。

自身の訃報を読みたい、という強い思いの残像のようで。

夜が手を見せて戦場から電話  山口優夢

たとえば夜になると、窓に手が映る。そうした読者の記憶の欠片が、夜が手を見せて、という言葉により一般化される。

手、はこの世界のいたるところにある。

電話での通話の状態、そのまわりにも。


プチトマト潰れてゐるや孔雀吼ゆ  山田耕司

孔雀、のいる極彩色の場に、匂いや音声が加わって強烈。

プチ、がもたらすレジャーらしさ、園らしさに、可愛らしさがある。

寝そべりてカンガルーたる五月かな  山田耕司

カンガルー、が人みたいでぎょっとすることがある。あまりに人のようで嫌になることもある。あの妙な感じを知っていると、この句に味わいは一段と深まる。

カンガルーたる、のふてぶてしさ。

五月かな、と堂々と爽やかに乗り切ろう。


第772号 2022年2月6日
工藤 吹 大炬燵 10句 ≫読む

第773号 2022年2月13日

阪西敦子 あとの音 10句 ≫読む  

第784号 2022年5月1日

福田若之 面白 10句 ≫読む

第785号 2022年5月8日

山口優夢 戦場から電話 10句 ≫読む

第788号 2022年5月29日

山田耕司 桐生が岡動物園にて 10句 ≫読む

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