2014-04-20

色悪 江戸のピカレスク 古井戸秀夫

色悪
江戸のピカレスク

古井戸秀夫


『法然』(2000年2月・浄土宗報明照会)より転載

江戸の歌舞伎に、色悪(いろあく)と称される男たちがいる。おなじピカレスクでも、ニヒルで妖しい雰囲気を持っている。殺人も残忍に、ゆっくりとなぶり殺しにするような冷たさがある。透き通るような白い肌の美男で、自由に女を手玉に取り、いらなくなったら簡単に捨ててしまう。それゆえ色悪と呼ばれた。「四谷怪談」の主人公民谷伊右衛門も、色悪と呼ばれる男の一人であった。

伊右衛門は、赤穂の浪士でもあった。しかし、義士ではなく、その対極に立つ不義士であった。伊右衛門は、お岩という女に惚れ、結納金の帯代欲しさに御金蔵に忍び入り、御用金を盗み出す。お岩との仲は、「親の許さぬ転び合い」という私通であった。それゆえに、それ相応の金が欲しかったのであろう。伊右衛門は、大胆にも御金蔵破りの御法度を犯すことになる。この無鉄砲な行動力が、女を惹き付ける。やがてお岩は、伊右衛門の子を身ごもることになった。

色悪の男たちには、大胆なように見えて、その反面どこか間の抜けたところがある。それがかえって女たちには、かわいらしく見えて母性愛をくすぐる。このようなかわいらしさを、江戸の言葉で「愛敬」といった。伊右衛門にも、そのような愛敬があった。盗み出した御用金には、一両一両お家の刻印が打ってある。お岩の父四谷左門は帯代の金の封を切手、そのことを知ってしまう。悪人とはいえ、娘の恋人を告発するに忍びない。かといって、こんな男に娘を与えるわけにはいかない。迷っているうちに、江戸城松の廊下での刃傷事件が勃発して、お家は断絶、左門一家も伊右衛門も浪々の身となった。

ある夏の昼下がり、浅草観音の境内で、しつこく復縁を迫る伊右衛門に、左門は刻印の事実を告げる。面罵された伊右衛門は、舅殺しを決意する。浅草の観音裏の馬道にある浅草神社。その「お冨士さま」の小さな境内で、夜の闇にまぎれて伊右衛門は、四谷左門を騙し討ちにして殺す。しかも死体の身元が知れぬようにと、顔の皮を刀の先で切ろうとする。その残忍なところが色悪の真骨頂であった。

偶然にも殺しの現場に行き会わせたお岩がうろたえて自害しようとするのに対して、伊右衛門は、お前が死んだら、舅の敵は誰が討つと諭して、敵討ちの助太刀を餌にしてお岩との復縁を果たすことになった。そのとき妹お袖とともに泣き崩れるお岩の横で、伊右衛門は赤い舌をべろっと出して、夜の闇のなかに、にっこり笑う。

このようにして手に入れたお岩をも、伊右衛門は殺害することになる。隣家の伊藤の孫娘が、民谷伊右衛門に惚れて、恋の病におちいった。伊藤喜兵衛は孫の姿を見るに忍びなく、お岩という女房さえいなければと考えるようになった。

伊藤の家には南蛮渡来の毒薬が伝えられていた。それを飲むと面体が崩れ悪女の相好になる。そのような恐ろしい毒薬をお岩に飲ませ、伊右衛門を金と色で孫娘のものにしようと考え、それを実行に移す。髪の毛が大量に抜けて禿げあがり、顔面が糜爛した女房の顔を見て、伊右衛門は決意する。お岩をなぶるようにいたぶって、ついには死へと追いやることになる。

伊右衛門は、お岩にいう。あたらしい女が出来た。その女の櫛を買ってやる金が欲しいといって、赤ん坊のために釣ってある蚊帳を持っていこうとする。しがみ付いて止めようとするお岩。それを力ずくで奪うと、お岩の爪が剝がれて、指の先から血がしたたり落ちた。

伊右衛門は、傷ついたお岩に追い討ちをかける。宅悦というあんまの坊主を脅して、お岩と密通させ、追い出そうとした。そのような酷い仕打ちのなかでお岩は死んでゆくことになる。

伊右衛門は、事件を隠蔽するため、仲間の小平を惨殺して、お岩とともに一枚の戸板に釘付けにした。その戸板を、間男の男女を成敗したように見せて、面影橋から神田川へと流す。その夜、二人の死霊に取り付かれた伊右衛門は、花嫁のお梅と舅喜兵衛を誤って切り殺してしまう。

人殺しとなった伊右衛門は、深川に隠れ住み、そこで、さらにお梅の母と腰元を殺し、そのあとでお岩と小平を釘付けにした戸板に出会う。思わず引き上げるとお岩の死霊、裏返すと小平の死霊、ちょうど四十九日の夜にあたる、隠亡堀と呼ばれる妖しげな場所で見た伊右衛門の悪夢であった。

本所蛇山の庵室に隠れ住む伊右衛門は、夢で美しいお岩と再会し、目が覚めると恐ろしいお岩の死霊に苛まれた。そして雪の降る、ちょうど討ち入りの夜に、死んでいく。首が飛んでも動いてみせる、これが伊右衛門の最期のセリフになった。


「四谷怪談」は、いまから一七五年前(編註・執筆時)、文政八年(一八二五)七月、江戸中村座の盆狂言として初演された。「東海道四谷怪談」というのが、そのときの正式な題名であった。お岩に扮した人気役者三代目尾上菊五郎が江戸を離れて大坂へ行く、そのお名残の狂言だったので「東海道」と名づけた。伊右衛門には、菊五郎のお名残のご祝儀に、ライバルの名優七代目市川団十郎が出演して共演した。

七代目団十郎は色悪の名手で、ことに菊五郎との共演でその魅力を発揮した。二人とも立役の座頭で役どころが共通するが、一座のときには菊五郎が善人で、団十郎が悪に廻る。女形もできる菊五郎が女になったときが、団十郎の色悪の魅力が一番よく現れるときであった。「累(かさね)」の与右衛門とともに、この伊右衛門が現在でも繰り返し上演される団十郎の色悪の当たり役となった。

面白いのは、初演のとき、モデルとされた田宮家からクレームが付いた。歌舞伎の方では「民谷」としたから大丈夫だろうと思ったのだろうが、「四谷怪談」が大当たりとなって、ついに田宮家も黙っているわけにはいかなくなったのであろう。急遽、番付の文字を「押谷仁右衛門」に彫りなおして対応することになった。

幕府の方も見過ごすことができなくなって、四谷の名主に命じて、「於岩稲荷来由書上」という調査書を提出させた。ちょうど日本で最初の国勢調査が江戸で行われた直後だったので、その追加のかたちで調査が命じられたのである。それに拠ると、モデルとなったのは、幕府の御家人で御先手組(おてさきぐみ)の田宮伊右衛門ということになっている。娘の岩は疱瘡のために片目がつぶれ、醜い顔の女であった。跡継ぎがいないため入り婿にはいった伊右衛門が博打で借金をつくり、そのために岩が番町に下女奉公にいくことになった。岩の留守をさいわいに伊右衛門は新しい女房を家にいれ、それが知れて岩が鬼女のようになって発狂し、行方不明となった。そののち伊右衛門一家全員が急死するなど奇怪なことが起こった。これが貞享四年(一六八七)のことだという。

それから二十八年後、旧田宮の住居に、おなじく御先手組の山浦甚平という人が入ると奇怪なことがいろいろと起こったため、日蓮宗の妙行寺に頼んで勧進したのが「於岩稲荷」である。報告書の最後には、お岩狂走後、近々百五十回忌を迎えるので、お岩に戒名を贈ったとある。それが「四谷怪談」初演の直後、まだ初日から一月たらずの文政八年八月のことだという。

幕府に提出された調書とはいえ、内容は眉唾もので、そのまま信じることはできない。ただ、お岩稲荷は現在四谷に残っているし、妙行寺にはお岩の墓もある。「四谷怪談」上演時には、そこに御参りをするのが慣例になっている。そればかりか四谷のお岩稲荷の横には田宮神社まであって、田宮家の当主が神主をつとめている。そのような伝承の原型が、この報告書でつくられたことは間違いがなかろう。


色悪としての伊右衛門の人物造形には、実説と伝えられるモデルよりも、むしろ江戸の歌舞伎で上演されてきた、さまざまな色悪の人物が影響をあたえているとみたほうがよい。江戸で色悪が最初に流行するのは明和年間(一七六四~七一)で、団十郎の祖父にあたる五代目団十郎と初代の中村仲蔵(なかぞう)、その二人が色悪として鳴らした。

五代目は、まだ前名の松本幸四郎を名乗っていたが、それまでの公家悪(くげあく)と呼ばれた役柄から新しい色悪をつくった。幸四郎は「王子」と呼ばれる髪型で登場する若き皇族に扮した。みずから天皇として即位して、美しい姫君を無理やりに妃にしようとする。この当時の幸四郎の似顔絵をみると、まるで河童のように異様で、痩せて目だけ鋭く描かれている。その激しい恋ごころの表出が色悪の原型になった。

一方、仲蔵の色悪は「忠臣蔵」の定九郎の新演出に結実する。殿様拝領の黒羽二重(くろはぶたえ)の紋付を着て、頭から水を被って、花道を駆け出る。老人を殺害して五十両を奪うが、鉄砲の流れ弾に当たって死ぬ。どこにも女は出てこないのだが、死んでいく姿に色気があって、色悪の領域を押し広げることになった。

仲蔵を崇拝した五代目松本幸四郎の時代になると、定九郎は、死ぬときに赤い血反吐を吐くようになり、その血が真っ白に塗った男の足に落ちて赤い印を残す演出となる。この五代目幸四郎が、伊右衛門を初演した七代目団十郎の育ての親になる。伊右衛門が、月代(さかやき)は黒く伸びた「むしり」の鬘に、白塗りの顔、黒羽二重で出てくるのは、定九郎の色悪の延長線上にあることを物語っている。

団十郎は、父と尊敬する幸四郎が若き日に演じた『謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)』の大島団七をもとにして伊右衛門を演じた。大島団七も、父親を殺して女を手に入れ、敵を討ってやるという口実で同棲をする。その女をなぶり殺しにする悪人であった。

( 了 )

於岩稲荷。地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅(四谷三丁目交差点)から外苑東通りを信濃町方面へ、道の左側を歩くと、ほどなく四谷警察署。過ぎてローソンの角を左折。細い道を行き、すぐに右折。(撮影 2014年4月 以下同)

田宮神社。於岩稲荷の斜向かいにある。
左奥が於岩神社。右手前が田宮神社。周囲は住宅街。

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