【八田木枯の一句】
白地着て雲に紛ふも夜さりかな
西原天気
日常生活で和服を着ることが少なくなりなした。となれば、その手の知識が共有される土壌もなくなります。私はこの手のことに悲しいいほどに無知で、さすがに夏の和装がすべて浴衣、とまでは思いませんが、「うすもの」その他、それぞれの着物の区別はあまりつきません。だから、次のような句を読んで、正しく像が結べているのかどうか、少々心許ないのですが、それはそれとして。
白地着て雲に紛ふも夜さりかな 八田木枯
白地・白絣を雲に見間違う。というと、白地の「白」で雲につながるようでいて、それは夜のこと。夜の雲はけっして白くはありません。
白地もまた夜目にはそれほど白くはなく、それでも白地とわかる白。
玄妙な明暗のぐあい。
(いまどきは夜も照明で明るすぎることが多い。都会ばかりではない。田園の夜も昔ほど暗くない。してみると、この句の景もまた、現実では失われつつある景といえるかもしれません)
動きの点でも、昼の〔白地:雲〕とは違う。白地が軽くたゆたうのではなく、一定の質量をもって、そこに在る感じです。
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たまには、技巧上の具体についても少し触れましょう。問題となるのは「も」でしょうか。
句作一般に「も」は注意を要する助詞です。流派によって違いはあるようですが、「も」は失敗を招くことが多い。「××も」とは、「××」以外も含意することになり、焦点がぼやけがちになります。句の対象は「××」なのか、「××」以外の何かなのか、はっきりせい、ということになる。
(初学・初心の句作には「も」が多く登場するようです。含意・ほのめかしを技巧と勘違いするせいでしょう)
この句の「も」はどうでしょうか。
ひとつには、他に「夜さり」につながるものが思い浮かばない。言い換えれば、〔白地着て雲に紛ふ〕以外のことを呼び寄せない。
もうひとつには(こちらのほうが重要)、「も」のこの箇所、この音が、やわらかに一拍、リズムを受け止めるかたちになっている。
この句の「も」は、とてもいいのではないでしょうか。
(教条主義的に「も」はなんでもダメというわけでなないのですね)
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しろぢきて くもにまごーも よさりかな
「紛ふ」は、「まがう」などと「が」がとんがる読み方をしてはなりません。「まごー」。
声に出してみるとよくわかりますが、木枯句は「音」が魅力です。
掲句もそうですが、やわらかく流れるようなリズムと響きがあります。かといって美文調の流麗ではない。ちょっと身を引いたような余裕がある。句のもつ声は、つねに、大きすぎない。
これはリアルの木枯さんの口調・語り口ともつながります。私は幸運にも肉声を聞く機会がありました。三重のお生まれで、柔和な関西弁。
(東国で関西弁の代表格のように思われがちの大阪弁=声がでかく、まくしたてるような早口というイメージ?とはまったく違います)
着物も暮らしの中で粋に着こなしておられましたので、この句は、視覚・聴覚両面で「リアル木枯」に直接つながるような句、言い換えれば、そこに「木枯らしさんが居る」ような句です。
2014-07-27
【八田木枯の一句】白地着て雲に紛ふも夜さりかな 西原天気
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