【週俳6月の俳句を読む】
乾いていたのはだれか
柴田千晶
春の夜に乾く無人のバスの中 原田浩佑
バスの中で乾いているのはだれか?
ふつうに考えたら「私」なのだろう。乗客は私ひとりで、私自身がバスの中で乾いている、と感じている。
だけど無人の、と言っているのだからバスにはだれも乗っていないのだ。運転手も乗客も。
だとしたらバスの内部が乾いているのか? 春の夜に空っぽのバスが乾いている。
だが乾いていると感じているのは、いったいだれなのか?
などと、この句を巡ってぐるぐる考えてしまった。
バスの中で乾いているのが「私」だとしたら、私はもう人ではないのだろう。無人の、と言っているのだから。
この世の人ではなくなってしまった私がバスの中で乾いている。永遠にバスから降りることができずに――。
春の夜を煌煌と明かりのついた無人のバスが渡ってゆく。
いや、バスは動いていないのだろうな。一日の仕事を終えて車庫に入っているか、あるいはもう廃車となってどこかに捨てられているのか。
たとえば螢が飛んでいそうな沢の辺りとか。
螢火よ何かが足りぬ炒飯よ 同
けっして不味くはないけれど、美味しいとも言えない。美味しいと言うには、あとひと味何かが足りない。でもその何かがわからない。この満ち足りない感じ、よくわかる。
螢火よ、というのが異様でいい。炒飯を食べている人もこの世に生きている感じがしない。
原田浩佑の句はどれも少し変だ。
お手本をなぞると猫が濡れている 同
指いまだ箒の夢をみていたり 同
少し変なところに惹かれるのだが、でも何かが足りない気がする。「無人の」はほんとうに無人なのか? と、ぐるぐる考えさせたりせず、いっそもっと変になればいいのにと思う。
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第372号 2014年6月8日
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■原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
第373号 2014年6月15日
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第374号 2014年6月22日
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