【八田木枯の一句】
月光が怕くて母へ逃げこみぬ
角谷昌子
月光が怕くて母へ逃げこみぬ 八田木枯
第二句集『於母影帖』(1995)より。
まだご存命のころ、作家論を書きたいと初めて申し出たところ、真っ先に木枯が挙げたのが、『於母影帖』だった。それほど特別な思い入れのある句集なのだ。
『於母影帖』には、フロイトの提唱したエディプスコンプレックス、近親相姦願望などがちりばめられている。だがそれを作者の欲求であると早合点してはならない。木枯は「母」をテーマにあらゆる句を作ることを自分に課した。決して個人的な母への思いを作品に籠めようとしたのではない。そして多様性を尽した『於母影帖』が完成された。それは、「ホトトギス」「天狼」時代に続き、木枯がいかにテーマによって己を揺さぶり、創作の泉を深く掘り起こすことのできる作家であったかという証でもある。
都会では、なかなか月の明るさの実感がないが、街燈の光が見えぬ田舎では、満月の下、山の稜線が確かな輪郭を現し、この世ならざる不思議な気配を醸し出す。月光に照らされて浮かび上がる自分の影は驚くほど濃い。窓から射す月光により、部屋の畳目がくっきりと分かるほどだ。月光によって出現するのは、どこか危うい異空間のようでもある。
掲句〈月光が怕くて母へ逃げこみぬ〉の月光は日本人の伝統的な美意識から外れ、怯えの対象となっている。ルナティックという語は、狂気や精神の異常を意味するが、それに近い感覚もあろうか。夜の闇に深く沈むべきものさえ、月にあぶり出されて目の前につい本性を現しそうだ。原初的な闇への恐怖がいつの間にか光に転化し、作者は幼子のように月光を怖れて、庇護してくれる母親の懐に走り込む。もしかしたら母胎という闇そのものに回帰しようとしているのかもしれない。
母の胎内こそ真の闇であり、その闇にこそ護られ、安堵できるというのが、木枯俳句の基調となっている。母胎の闇で命を得れば、時充ちて必然的にこの世に産み落とされる。現世では光を浴びて全身をさらけ出してしまう。その光を、木枯は極力懼れる。
木枯は第一句集『汗馬楽鈔』で光と翳、生と死を対比させた。さらに『於母影帖』では、この命題に普遍性を与えるべく「母」のヴァリエーションによって執拗に詠み込んだのではなかろうか。木枯は、光が晴れ、闇が褻、のようにはっきり区別することよりも、光と闇が表裏として、すぐ入れ替わる恐ろしさや不可思議を見抜いた。その上で、危うさを畏怖し、かつ魅了されていたのだ。闇と光に執着する木枯俳句は、次の第三句集『あらくれし日月の鈔』では、さらに反近代の思想を明確にして、独自の句境を拓いてゆく。
2014-08-17
【八田木枯の一句】月光が怕くて母へ逃げこみぬ 角谷昌子
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