2014-11-09

【週俳10月の俳句を読む】それぞれの武器 松本てふこ

【週俳10月の俳句を読む】
それぞれの武器

松本てふこ


久々にこのコーナーにお邪魔する。

蔦紅葉皿に平たくライス来て  塩見明子

作者と十年以上前に何回か超結社の句会で同席する機会があった。抑制のきいた表現と嫌みの無い取り合わせのセンスを武器に、句会で高得点を得ていた。その後、総合誌の選考で何回かその名前を目にしていたが、活字で作品をきちんと読んだのは久しぶりだった。彼女はすでに得ていた武器をより確固たるものにしていた。


ひとを待つすすきと自動販売機  越智友亮

子規の忌の座りて傘を股間へと

越智友亮の句が放つイノセントな輝きは多少の世間との軋轢を経ても失われるものではなかったようだ。「ひとを待つ」とベタな擬人化を用いて一句に仕立てたり、「股間」という言葉をけろりと使ったり。

諧謔のフィールドに真顔で切り込んでいく姿勢はやっぱり私淑するイケスミ流なのかな、と思ったりも。

『新撰21』の出版記念パーティーなどで学生時代の彼に会うと、俳句を存分に楽しんでいる姿が眩しくて眩しくて本当にうらやましくて羨望がねじれるあまり「はやく社会人になって仕事と俳句の両立に苦労しなよ……!!!!!!」と思ってしまっていたことをここに懺悔したく思う。ごめんなさい、お互い頑張ろう!(私はいま無職ですけど)


こおろぎを轢いた地下鉄同士の会話  福田若之

越智の句からは人間くささや人懐かしさを感じるが、彼とほぼ同世代の福田の句からは今回、親しげに読者をすり寄らせる感情から作品をなるべく遠ざけようという操作を強く感じた。

当季の句ではあるが全ての句はフィクションめいており(虎が歩道橋にはいないだろう、という景そのもののフィクション性ではなくて)彼の持ち味である(と私が思い込んでいた)形式の中で固有名詞と戯れる無邪気さも、口語体で切り込んでくるインパクトもなく、とにかくひどく注意深く「何も語ろうとしないように」「何も描こうとしないように」ずらされた言葉たちが彼の作品として並んでいた。


天高し行きと帰りは違う靴  二村典子

私事で恐縮だが、先日、この句のような旅をした。行きはパンプスを履いて、帰りはスニーカー。実に、かさばる。全く愉快ではない。途中で雨にも降られ、終始どんより気分であった。私の旅と対照的に、この句はとても愉快そうである。季語が天高しだからだろうか、何からも自由な気分が伝わる。中七下五は軽やかさのあまり靴を脱いで踊り出しそうな勢いがあって、可笑しい。


雨に森けぶりはじめし青鷹  大西朋

地に足を付けてものを見なければ抒情も不可能なのだ、という気持ちにさせられる十句であった。まず読解する、そして景を思い描いて、イメージを膨らませる。例えば爽波の句だったりすると、じっくり読まないで処理するように読んでいくとトランス状態のような気分を味わえて楽しい、という面もあるので一概には言えないが、一瞬のことを詠んでいるからといって早急に読んでは駄目なのだ。お前は俳句を読むプロセスを踏めているのか? と自らに問いかけながら読む、貴重な時間だった。


遺影用。写真。撮りつこ。する。花野。  佐山哲郎

死や痛みを近くに感じていればいるほど彼らにとって花野は美しいものである。その広さ、明るさ、生きているものを近くに感じられること、誰かと一緒にふざけられること、全てが彼らをなぐさめる。だからこそ、互いの死の予行演習として遺影を撮りあいもするのだろう。句点が彼らの笑い声のようにちりばめられている。


第389号 2014年10月5日
福田若之 紙粘土の港 10句 ≫読む
第390号 2014年10月12日

二村典子 違う靴 10句 ≫読む
第391号 2014年10月19日
佐山哲郎 こころ。から。くはへた。秋。の。茄子である。 10句 ≫読む
大西 朋 青鷹 10句 ≫読む
第392号 2014年10月26日
塩見明子 改札 10句 ≫読む
越智友亮 暗 10句 ≫読む

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