【週俳10月の俳句を読む】
独断を描く
大塚 凱
蔦紅葉皿に平たくライス来て 塩見明子
個人的な話でお恥ずかしい限りだが、今年になって漸く学生服を脱いだ私に、先日はじめて中村屋のカレーを食べる機会が訪れた。最も驚いたのは、ライスが雪の厚さで皿に盛られていることであった。普段口にする、半ば丼飯のようなカレーとは一線を画している。掲句、「ライス来て」の表現はやや強引と言えなくもないが、どのような店で、どのような食事をしているのかが目に浮かぶのである。「蔦紅葉」がその風景の想起を支えている、たおやかな一句である。
この句が「描く」ことによって成り立っている一方で、次の句は作者が対象を「捉える」ことに面白さがある。
雁や竹垣すこしづつ緩び 大西 朋
東北地方の農村風景を思うだろうか。自ら訪れたことがないので恐縮だが、このような竹垣はあるような気がする。「竹垣」が「すこしづつ緩」ぶという感覚の鋭さ、その時間的スケールの広がりが、「雁」の空間的スケールと共鳴している。と同時に、雁の変わらぬ営みと、滅びゆく竹垣の対比も鮮やかである。
そして、「捉える」ということはつまり「独断」とも言い換えられる。それが魅力的か否かが、即ち一句の生死を意味する。
啄木鳥、の。自傷行為。を。疑はず。 佐山哲郎
木をつつく。啄木鳥の習性を「自傷行為」と捉えたのは面白い独断である。ここに描かれている啄木鳥は盲目的、あるいは狂信的ですらあるのだ。そして、句読点を多用した文体も、非常に興味深い。五・七・五のリズムを踏まえながらも句読点を用いて四・一・六・一・五の破調を半ば強引に導入することで、啄木鳥の有り様を音韻からも表現している。この連作については、次週、詳しく取り上げたい。
ひとを待つすすきと自動販売機 越智友亮
同連作のうち、〈いわしぐも駅から次の駅が見ゆ〉〈暗渠いづれおほきなかはや秋のくれ〉〈彼岸花みんなが傘を差すので差す〉にも惹かれた。いずれも、抒情的な匂いの季語と現代性を取り合わせた魅力がある。
掲句は「すすき」が「ひとを待つ」だけではやや曖昧なドグマになるところを、「自動販売機」が「ひとを待つ」という逆転の発想と接着させたところで一句になっている。それは「すすき」のへりに「自動販売機」が立っている人気のない県道沿い、のような風景をめいめいに想起させてくれるからである。それこそ、彼らの待人は風のようにやって来るのであろう。
そして、ときに「独断」は独断的に構成された情景として「描写」される。
原子力空母をコスモスが覆ふ 福田若之
「紙粘土の港」は10句を通し、俳句の文脈でシュルレアリスムを実践する試みが感じられる。中でも掲句はその試みが最も成功している。「原子力空母」という我々の日常生活から遠く危うい存在が、「コスモス」により幻想性へと昇華された。そして、その二物が「覆ふ」という動詞で斡旋されることにより、読者は超現実としての景を描くことができるのである。その点で、この句は10句の連作中で最も絵画的・色彩的だ。それはなによりも、句の言葉に過度な負荷がかかっていない、平易な表現で構成されていることに支えられている。表現手法としてのシュルレアリスムが難解な傾向にあるとするならば、句の言葉自体は一層平易でなければ共感を得るのは困難な宿命にあるのではないか。
第389号 2014年10月5日
■福田若之 紙粘土の港 10句 ≫読む
第390号 2014年10月12日
■二村典子 違う靴 10句 ≫読む
第391号 2014年10月19日
■佐山哲郎 こころ。から。くはへた。秋。の。茄子である。 10句 ≫読む
■大西 朋 青鷹 10句 ≫読む
第392号 2014年10月26日
■塩見明子 改札 10句 ≫読む
■越智友亮 暗 10句 ≫読む
2014-11-09
【週俳10月の俳句を読む】独断を描く 大塚凱
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