2014-11-16

角川「俳句」2014年11月号「第60回角川俳句賞選考座談会」を読む 上田信治

角川「俳句」2014年11月号
「第60回角川俳句賞選考座談会」を読む

上田信治


例年通り「落選展」関連企画として、角川俳句賞について書こうとしているのですが、今年はどこから書いたものかと、かなり、相当、逡巡しています。

そこで、今回は、選考委員4人(池田澄子、高野ムツオ、正木ゆう子、小澤實)による選考座談会(角川「俳句」2014年11月号掲載)自体を読んでみて、その逡巡の理由について考えることにしました。



選考過程を確認しましょう。

今回、4人の選考委員のうち、3人の支持を集めた作品はなし。2人の◎を得た作品もなし。

最高得点は、それぞれ◎1○1を得た、平田倫子「木の家」(小澤◎池田○)と、柘植史子「エンドロール」(池田◎小澤○)でした。

一通りの検討の後、候補作は、以下の五作に絞り込まれます。

柘植史子「エンドロール」(池田◎小澤○)
平田倫子「木の家」(小澤◎池田○)
岡田由季「夜の色」(正木◎)
遠藤由樹子「生者らの」(高野◎)
平井岳人「手で作る銃」(高野○正木○)

さあ、この中から決めようとなって、各委員、1位から3位までを、この5句に投票してみた。

結果「手で作る銃」は1位に推す委員がいなかったので脱落(投票の結果だけを見れば、受賞の柘植さんと同点数を集めていたので、平井さん惜しかった)。

小澤さん◎の平田倫子「木の家」が、正木さんと高野さんの反対で脱落。

正木さん◎の岡田由季「夜の色」は、小澤さんの反対、高野さん◎の遠藤由樹子「生者らの」は、池田さんの反対があり不可。

「エンドロール」が、消去法に近い形で(と言っていいでしょう)受賞作となりました。



候補作中の各委員の推薦作を見てみましょう。

委員によって挙げる句数にばらつきがあるので、とりあえず、1委員10句前後、◎=4句、○=1句〜3句を引用します(委員が強く推している句を中心に)。

池田澄子さん推薦句

門灯を点けて出かける花ゆすら 柘植史子
蜜豆や話す前から笑ひをる
戦争と野菜がきらひ生身魂
エンドロール膝の外套照らし出す
三月や指笛に立つ犬の耳  平田倫子
野遊びの小さき靴を脱ぎたがる
どくだみやずどんと開く男傘
雪降り積む君の肩なるフードにも 川又憲次郎
学べよ俺雨のプールに飛び込みつ
虹消えて厨に戻る母子かな 岩上明美
魚抱きて磯巾着の静かなる 阪西敦子


ここには5人の作者が選ばれているのですが、池田さんの選んだ句が、互いにすごく似てるんですよね。特に、池田さんが挙げる柘植さん平田さんの句は、自分にはほとんど区別がつきません。

「頭上」(川又憲次郎)は「俺」と言ってるから男性だなと思いますけど、同作で他に推されているのは〈白南風にわれらしなやかなる体〉〈足裏の日焼見せ合ふ畳かな〉〈さへづるや超音波(エコー)に映し診る胎児〉といったところ。

「いにしへの舟」(岩上明子)からは〈ヒヤシンス見て居りし子の髪を編む〉〈永き日のホースに残る朝の水〉。

柘植、平田、川又、岩上の4人の方は、いずれも、人柄、暮らしぶり、家族、身体といったものを起点に共感へ持っていく、という詠みぶりです。

阪西さんの〈魚抱きて磯巾着の静かなる〉は、いかにもこの作家らしい句ですが、他に池田さんが挙げている句は〈桜咲く下を運ばれゆくピアノ〉〈遠足の集合したるにほひかな〉〈夜店見てほんとは少し遠く見て〉といったもの。

……どこか似てるんですよね、やっぱり。

小澤實さん推薦句

三月や指笛に立つ犬の耳 平田倫子
豆腐屋のゆつくり通る網戸かな
芋虫のおのれ押し出しつつ歩む
餅搗や男の子はけんかして育つ

エンドロール膝の外套照らし出す 柘植史子
冷蔵庫開けてプリンをおどろかす
葉桜の下の大きな水たまり
鹿の角木霊たまつて落ちにけり
 天地わたる
待春や水槽に石ひとつ足し 鶴岡加苗
フライパン支ふる手首夏来たる 高勢祥子


小澤さんの推薦句も、池田さんの選句に、ベクトルが近い。

「プリン」「犬の耳」「フライパン」「水槽の石」などの素材、着想は、これらの作者の誰が詠んでもおかしくない、交換可能なものに見えますし、上掲以外でも〈春昼や夢見て鼻を鳴らす犬〉(天地わたる)、〈白芙蓉水を飲むとき目を閉ぢて〉(鶴岡加苗)〈春雨の一粒馴染む額かな〉〈髪強し春の砂丘を歩き来て〉(高勢祥子)といった句は、どの作者の候補作に現れてもおかしくない。

そんな感じ、しませんか? 

あるいは、俳句というのは、もともとそんなものでしょうか。

もちろん、細かく見ていけば「豆腐屋のゆつくり通る網戸かな」(平田)の趣味性や、「鹿の角木霊たまつて落ちにけり」(天地)の大仰さなどは、その人らしさかな、と思うのですが、〈合歓の花人通るたび起きる犬〉(岡田由季)〈フライパンじゆんと鳴らして洗ふも夏〉(川又憲次郎)という句もあって、やっぱり、どう見ても、みんな同じあたりで作ってるんだよなあと。

正木ゆう子さん推薦句

体型に合ふ藁塚を拵へる 岡田由季
湯たんぽに軸足置いて眠りをり
束にしてわづかの魔力雪柳
あたたかや畳の上の日曜日
書けば揺れて投票記載台冷た
 川又憲次郎
銭湯にひとり成人式前夜
風船に吹き込む息を固めけり
 平井岳人
畳まれしコートに遠き着信音
ビアガーデンがりがりと卓寄せ合へる
いつぱいに足指開き小熊立つ
 山下由理子
制服を着崩してゐる青嵐 西山ゆりこ


高野ムツオさん推薦句

脱皮して乾きかけなる春の空 遠藤由樹子
虫鳴くや幻の根を張るやうに
立つたまま眠り芒となりにけり
冬草の日向に誰も現れず
切山椒道のせばまる風の音
 平井岳人
初雀手に載せたくて見てをりぬ
空腹やつぶさに見ゆる六花
柳の芽ほどの涙が眦に
 内山かおる
魚となり蝶々となり弔へり 関根かな
手に載せて臍の緒の色空蝉は 松野苑子


岡田由季さん(正木◎)は、典型的な情景に、意外な言葉を挿入してナンセンスな味を加える。

遠藤由樹子さん(高野◎)は、大胆な措辞で俳句的イメージを虚のほうへ展開する。それぞれ、自分固有の「手」を示している部分が評価されている。

しかし、岡田さんは、小澤さんの反対(「新鮮さが足りない」「物足りない」)、遠藤さんは、池田さんの反対(「ちょっと歯痒い」「私の周囲でよく見る作り方」)があって、脱落します。

たしかに、委員推薦句以外を見ると、「夜の色」(岡田)には〈日替はりのメニュー一巡銀杏散る〉〈チューリップ早くも寝息立ててゐる〉〈春の夜の川の字に寝てみたきかな〉といった句があって「淡いかな?」「甘いかな?」「常識的かな?」と思わせる。

「生者らの」(遠藤)には〈夕空へ出払つてをり親燕〉〈初蝉や頑張りますと書く返事〉〈嘆きとか愛とか雪の雀とか〉といった句があって「意外と腰高な句が多い」「急いで作ったのかな?」という疑念を抱かせる。

似ているという話で言えば〈裏おもてつめたき葉書霙降る〉(遠藤)と〈あかときの切符つめたし半夏生〉(平田)、〈ペンションに掃除機の音冬珊瑚〉(岡田)と〈掃除機の口が音吸ふ風邪心地〉(柘植) というペアもありました。探せばもっともっとありそうです。

小澤さん◎の「木の家」(平田倫子)が、正木さん(「×の句が多い」)高野さん(「類想感がある」)の反対で早々に脱落したとあっては、柘植史子さんの受賞は、自然な流れだったとは思います。



印象論になってしまうのですが、今回の角川俳句賞、いつも以上に作品の同質性が高かった(近年の、たとえば相子智恵さん、望月周さん、山口優夢さん、あるいは榮猿丸さんが候補に挙がった年に比べると)。

一般に、こういった賞に対する不満でよく言われるのは「編集部の予選が」というものですが、池田さん小澤さんの推薦句の足が揃ってしまっている感じを見ると、一次予選だけの責任ではなさそうです。

おそらく応募作全体、編集部による一次予選、選考委員による最終選考、つまりこの賞のすべての段階が、一つのトレンドに収まっていた、ということではないでしょうか。

選考委員の先生方が、そういった同質性を「推進」する立ち位置かというと、4人の方が作家として書かれるものも、ふだんの発言もぜんぜん違うわけです。

しかし、今回、討議は応募作中の支配的傾向に、寄り沿うように進行している。

ここに、平成26年の俳句界が強いられている、あるいは俳句界自身が欲望している同質性が現れています。

そういうものには、ま、ちょっとさすがに疲れたというか、なんというか。そのへんが今回書きあぐねていた原因ですね、きっと。



同誌には「大特集 角川俳句賞の60年」と題する特集が掲載され、総論を、筑紫磐井さんが執筆しています。

磐井さんは、60回におよぶ角川俳句賞の、受賞作に見られる傾向を「1回〜11回 人生を背負った俳句」「12回〜27回 風土俳句の沸騰」「28回〜44回 風土から生活へ」「45回〜59回 平坦な生活詠」と命名していて、なるほど、角川俳句賞は、常に自身のトレンドとともにあったのだということが分かります。

そして過去60年、そのトレンドによる選考から「有力な新人が続々と見出された」かというと、必ずしもそうではない、ということも分かる。

小結社の主宰になっている人とかが多いですよね、角川受賞者。そんなに有名じゃない有力同人とか。いや、知ってましたけどね。

「作家の将来性なんか分からないんだから、われわれは完成度で選ぶしかない」という発言、過去の選考座談会で読んだことがあります。矢島渚男さんだったかな。

まあねえ。

それを言うんだったら、俳句を更新して未来へ受け渡していくという意味での「将来」性を、既存の物差しで測れるわけがない。自分たちは今の俳句でじゅうぶんなんだから、新人なんか必要ないんだ、ということを渚男さんは、言ってしまっている。

俳句には根っこのところに「座の文芸」という性格があります。垂直性以前に、顔が見える横の関係性が、創造の前提条件とされ原資とされる性格が。

ことに匿名の新人賞というような場では、座の「お仲間を選ぶ」という無意識が発動して、矢島さんはああいうことを言い、角川俳句賞はこういうことになっているのかもしれません。



自分のことを言うと、角川俳句賞、仲寒蝉さんの受賞の翌年から応募し始めているので、今年でちょうど10回目の応募でした(おお!)。

自分の中の最良のものと、俳句界の標準を「互いに測り合わせる」機会としてこのコンテストに参加してきました。

つまり、今の俳句よりも自分が新しければ、俳句は、自分を欲望せずにはいられないはずだという考えで。いや、そういうことだって、起こりうると思うんですよ。

鴇田智哉さんだって、関悦史さんだって、新人賞で登場してきたんですからね。



今年の選考座談会から、自分は、平成26年の俳句界が強いられている同質性を、次のようなものだと受け取りました。

◎内容がよく分かること。不明瞭でないこと。曖昧さがないこと。

◎「いいもの」「いいこと」「いい人であること」が書かれていること。

◎言い方が堅実で、隙がないこと。規範の踏み越えがないこと。

しかし、それは、もう新人の書くべきものではない。

だって、そういうのは、すでにじゅうぶん実現されていますからね。少なくとも、自分はそういうものを書く気はない。

選考委員の諸先生も、選ぶ立場としてはああいうふうでしたが、じつは読者として「そうじゃないもの」を切望していることは、今回の座談会の意気の上がらない雰囲気からよーく分かります。

というわけで、今回は、自分としても、選考委員のみなさんを欲情させるに至らず、たいへん残念でした。

今回掲載の候補作から

受付の私語をさまよふ熱帯魚 柘植史子
日光をさへぎりマンタ頭上過ぐ 川又憲次郎
噴水に見覚えのある街にをり 岡田由季
熊と熊抱き合へばよく眠れさう 遠藤由樹子
冬の雨トゥモローランド窓広く 平井岳人
割れるまで眺めて次のしやぼん玉 西山ゆりこ
窓拭くに出づる半身桐の花 高勢祥子
人去りし椅子みな青き二月かな 阪西敦子
春夕焼空瓶の口歌ふやう 松野苑子


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