2014-11-09

【八田木枯の一句】水は澄み鳥はまるごと翔んでをり 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
水は澄み鳥はまるごと翔んでをり

太田うさぎ


そんなふうに詠まれちまったら凡夫はこの先どうすりゃいいのサ、と歯噛みしたくなる句がある。その一つが、

水は澄み鳥はまるごと翔んでをり
  八田木枯 (鏡騒)

秋、それとなく見上げた空に鳥の姿を認めると思い出す。

つまりは鳥が飛んでいる、それだけしか言っていないのだ。まるごと翔んでいる。当たり前である。まるごと以外に飛び様があろうか。欠けながら飛ぶ鳥がいるとしたらそれは魑魅魍魎の類か、おおかたは眼科に診てもらった方がいいのである。

ところが、だ。何だろう、この鳥の実在性は。「まるごと」と詠まれることで、羽毛の下に肉と血とを漲らせた確たる一個としての質感が眼前に迫ってくるだけでなく、個体を越えた“鳥というもの“の本質が差し出されているように思えるのだ。

上空に鳥の羽ばたく一方、地を統べるのは澄みきった水だ。水は澄み/鳥は翔び、という対句法が静寂と運動のコントラストを際立たせて句の地平を限りなく広げていく。

芸、というと小手先のテクニックを弄するかのごとく聞こえるかもしれないが、敢えて芸達者な句だと言いたい。「まるごと」の把握は半可通には出来ない。大技を決めておきながらしれっと何にも言っていないような顔をしている。実際何も言っていないじゃないか。いや、そこが凄いところなんだ。と空に向かってため息をつく。どうにもニクいのである。


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