2014-12-07

【2014角川俳句賞 落選展を読む】 0. 書かずにはいられなかった長すぎる前置き 依光陽子

【2014角川俳句賞 落選展を読む】
0. 書かずにはいられなかった長すぎる前置き

依光陽子
 

≫ 2014落選展


落選展作品鑑賞の依頼を引受けてから3週間も経ってしまった。

この間、私は不寛容と寛容の間を彷徨っていた。何故なら落選展の作品が、角川俳句賞落選作品834作品からの厳選26作品に思え、また同時に、落選した全作品の100分の3の縮図のように見えてしまったからだ。展覧ではなく展望、つまり俳句の未来も含まれていると捉えたのだ。

これが今年の落選展の有り様ならば、かつて絵画の世界において落選展からマネが登場し、アバンギャルドの誕生を経て本選を凌ぐに至ったようなそんな一石を、本家・角川『俳句』に投じることは出来たかということだ。


落選展はアンデパンダン方式である。

だからいい。応募すれば掲載される開かれた場だ。50句まとめて発表できる機会なんてそうそうないし、作品を一人歩きさせてこそ見えて来るものがある。誰かが「いいね」と言ってくれたら何ものにも替え難い励みになる。

だから問題だ。それは「何でもあり」の「俳句っぽい言葉のかたまり」が「俳句」として不特定多数の人に認知されてしまう点だ。

「五・七・五にすれば俳句」という勘違いは、俳句に携わっていない人共通の認識で、それに毛の生えた状態が「五・七・五に季語を入れればいい」というものだ。このルールを教えると皆よろこんで句を作る。悦に入って感想を求めてくる。日常生活であれば適当な作り笑いでもしてやり過ごせば、そのうち飽きるのだが、稀に暴走してしまうパターンが出て来る。それが「賞への応募」だ。

835という応募数は、もしかしたら角川賞取れちゃたりしてね、といった「あわよくば応募」が増えているということだろう。835篇全てが本気で賞を取りに行っているかといえば、答えは明白だ。

俳句賞の多くが(多少ばらつきはあるものの)、本来、選者の選句眼に依る客観的な視座での議論であるべき筈が、最も強力な主観に左右され、結局折り合いをつけるために減点法で受賞者が決まることなど、少なくとも20年前から変わっていないではないか。

であれば、より完璧な句を、ベストの並びで揃えるのは最低限なされるべきだ。あとは作者の息づかいや切実さ、迫力、挑戦、句のリアルが如何に伝わるかだが、兎にも角にも予選通過するための準備は万全を期すべきである。



落選展を一読した感想は、まず総じて雑だということ。

旧かなと新かなの混同と誤用。音便は選者側も見逃しがちだが、かな遣いが一句でも間違っていたら受賞作にはできまい。26篇のうち約3分の1の作品にかな遣いの間違いがあった。山田露結氏は揶揄し、堀下翔氏はあえて触れないという寛大な態度を示しているが、私は、何句か散見されるようならば50句と真摯に向き合う価値はないと思う。そんな作品に付き合っていたら、貴重な原石を見落としてしまう。

俳句は短い。一字で見違えるような佳句にもなり得るし、一字を意図的に仕掛けることもある。だから何度も検証し推敲を重ねる。作り手も読み手も一字たりともおろそかにしてはいけないのが俳句だ。文学には企みというものがある。

次に句柄の小ささ。俳句はもっと大きなものだ。実であれ虚であれ、時空間を瞬時に広げることが可能なのは短詩型の中では俳句が唯一だろう。その力を引き出すには、切れ、季題という二つの強力な武器を使わない手はないし、使いこなすための鍛錬が不可欠だ。

性急に内容に走り過ぎて技術がついてこない。本当は蝶の背に針を刺すような鋭さと正確さが求められるというのに。季題から入り込んでいないから俳句がグラグラだ。いくらでも取り替えがきくような季題を使うくらいなら、潔く無季俳句にすればいいのだ。

最後に平均化した個性。新しいものを産もうとする意欲や苦悩が感じとれないこと。俳句誌も句集も、年代、グループごとに好んで書く素材も切り取り方も、選ぶ句も似通っていて辟易するのだが、原因は俳句を読む前に書きはじめ、読まないままに書き続けていることにあると思う。

常套を抜け出すためには時代を越え枠を越え縦横に数多く幅広く読むしかない。どんな句が月並で、どんな句が傑出した句か。先人たちによってどんな挑戦が為されてきたか。それを踏まえた上で自分にしか書けない句を書く。覚悟のいる作業だ。

自分は俳句で何を書きたいのか。書こうとしているのか。自分にとって俳句とは何なのか。そして俳句にとって自分は何なのか。俳句とは何なのか。俳句に惚れ込んでいなければ、俳句にも惚れ込んでもらえないと思う。

50という数は、いろいろなものが透けて見えてしまう怖い数だと改めて感じた。



さて、以上述べた言葉はそのまま俳句作者である私にもそのまま返ってくる。

しかし受けて立つ覚悟はある。そして私は同志を求める。その上でこの落選展をたしかめていこうと思う。




 

2 コメント:

ハードエッジ さんのコメント...

  枯れ残るものや枯れたるものの中  ハードエッジ 2014.12.7

  枯草に虫の居所なかりけり  ハードエッジ 2014.12.7

  枯れ枯れて荒ぶる案山子ありにけり  ハードエッジ 2014.12.7

栗山麻衣 さんのコメント...

胸にぐいぐい迫ってくるご指摘ばかりで、すごく心動かされました。とても勉強になりました。もっともっと読み、自分自身が俳句とどう向き合っていきたいのか突き詰め、言葉を研いでいかなければならないのだと教えていただきました。どうもありがとうございました。