2015-04-26

俳枕 21 神戸と西東三鬼 広渡敬雄

俳枕 21
神戸と西東三鬼

広渡敬雄


神戸は、古くから海運が盛んで、西国街道が通じ、酒造業も名高い。幕末に開港した国際的な港湾都市で、阪神工業地帯の一翼を担う県庁所在地である。

山沿いには、開港当時の外国人居留地の名残で多くの異人館が残る。観光名所となり、後述の「三鬼館」のあった北野町山本通周辺は、昭和55年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

平成7年1月の阪神淡路大震災で市内全域が壊滅的な被害を受けたが、その後急速に復興を遂げた。

露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す  西東三鬼
練習船おのが港に霞みゐて     岡本圭岳
元日の出帆旗ある異国船      五十嵐播水
どちらから吹くも春風風見鶏    後藤比奈夫
地下室にワイン眠らせ夏館     山尾玉藻

〈ワシコフ〉の句は、第二句集『夜の桃』に収録。

自註で「ワシコフは私の隣人。氏の庭園は私の家の二階から丸見えである。商売は不明。年齢は五十六、七。赤ら顔の肥満した白系露人で細君に先立たれ独り暮らしである」と記す。

「この句には巧まざるユーモアがある。ワシコフという舌を噛みそうな固有名詞も効果的だ。三鬼のユーモアは、彼の無表情に胚胎する。だが、直叙的で、俳句的イロニックな把握はない」(山本健吉)。「ワシコフの奇矯な振る舞いを二階の窓から無表情で見下ろしている三鬼。この句はストレートに状況を述べており、それだから可笑しくも哀しい」(清水哲男)。 

神戸時代を描く小説『神戸・続神戸』には、戦中戦後の自身の周りの多様な民族の人達の泣き笑いの日を通して、港町神戸の持つ国際的な混沌とした現実が、妖しく浮かび上がる。

西東三鬼は、明治33(1900)年、代々漢学者の家系で小学校長や郡視学を歴任した父の実家岡山県津山市に生まれる。本名斎藤敬直。

六歳で父を、十八歳で母を亡くし、日本郵船勤務の長兄の庇護のもと、青山学院中学部を経て大正14(1925)年、日本歯科医学専門学校を卒業。

同年結婚して、長兄在勤のシンガポールで歯科診療所を開院し、ゴルフや中近東の友人との交遊を楽しむ等、自由な暮しを送っていたが、不況とチフス罹病で帰国。自営ののち就任した神田共立病院歯科部長時代(三十三歳頃)に俳句を始めた。新興俳句勃興期でもあり、寝食を忘れて句作に没頭した。

昭和10(1935)年には同人誌「扉」を創刊、平畑静塔の勧めで「京大俳句」にも加入し、戦争等をテーマにした無季俳句に傾注した。

同15年2月には、平畑、仁智栄坊等、5月には、三谷昭、石橋辰之助、渡辺白泉等が、治安維持法違反で検挙された(いわゆる「京大俳句事件」)。

その後、「天香」を創刊し、第一句集『旗』を上梓したが、8月31日に自身も検挙され、句作執筆禁止を条件に起訴猶予となる。

同17年、妻子を捨て東京を出奔。単身神戸に移り、当初はトーア・ホテル(中山手通二丁目)、その後空襲を避け、山本通四丁目の西洋館に移る。この館は空襲を受けず、戦後平畑静塔、橋本多佳子、山本健吉、永田耕衣等が訪ね、「三鬼館」と呼ばれた。

同22年、石田波郷、神田秀夫と「現代俳句協会」を創設。山口誓子の「天狼」創刊同人(編集長)として活躍し、同23年には第二句集『夜の桃』、同27年には、第三句集『今日』を刊行する等旺盛な創作活動に加え、「激流」を創刊し主宰となった。

同31年、「俳句」編集長就任のため上京。俳人協会設立にも参加したが、第四句集『変身』上梓後の同37年4月1日、胃癌にて逝去。享年六十二歳。死後『変身』は第二回俳人協会賞を受賞した。

同46年には、『西東三鬼全句集』が刊行され、平成13年、津山において西東三鬼賞が創設された。俳号の西東は本名の斎藤、三鬼は「サンキュー」を捻った。ユーモアとペーソスに溢れる俳人として、忌日は三鬼忌として定着している。

「伝統に抵抗するとともに、伝統に抵抗する自分にも抵抗する。時には自分の育てた後輩にも抵抗する」(山口誓子)。「いつの間にか濃密な幻想世界へ引き込む三鬼。俳句の世界からはみ出し、そのはみ出し様において日本の俳句をより広く、刺激的なものにした型破りな作家だった」(五木寛之)。「初期から特定の師につこうとせず、爾来何事も特定の師系に拘束されない俳人として貫徹した」(直弟子の三橋敏雄)。「日本のハードボイルド小説の濫觴(らんしょう)と言うべき名作『神戸・続神戸』、三鬼は俳壇という静かな池に闖入したやんちゃ坊主であり、池全体に新しい活力を与えた」(小林恭二)。

水枕ガバリと寒い海がある
昇降機しづかに雷の夜を昇る(治安維持法違反と曲解の句)
広島や卵食ふ時口ひらく
秋の暮大魚の骨を海が引く
枯蓮のうごく時きてみなうごく
暗く暑く大群集と花火待つ
白馬を少女瀆れて下りにけむ
算術の少年しのび泣けり夏
中年や遠くみのれる夜の桃
春を病み松の根つ子も見あきたり(絶句 三月七日)

十七文字の魔術師と言われ、自由奔放に見えるも、人間の悲しみを徐々に浮かび上がらせる俳句群。それ故に永遠に我々を魅了し、虜にするのではあるまいか。

2 comments:

匿名 さんのコメント...

>戦後平畑静塔、橋本美代子、山本健吉、永田耕衣等が訪ね、

橋本多佳子氏の誤りでは?

wh さんのコメント...

ご指摘ありがとうございます。訂正いたしました。