2015-04-26

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(3) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (3)
今井 聖

 「街」97号より転載

摑まり泳ぐ男を信じ海怖れ 
山口誓子『和服』(1949)


なんだこりゃ。

ツカマリオヨグオトコヲシンジウミオソレ

「摑まり泳ぐ」で切る。主語は女。省略されている。

女が海を怖れながら男を信用して摑まって泳いでいるという内容。この句『自選自解山口誓子句集』(1969)に採録してあるくらいだから誓子にとって自信作であると思われる。自解は読んだそのまま。

「私は皮肉を云っているのだ。男を信じきっているが、男は海より怖いぞ、と云いたかったのだ。」

つまらない。なんだ、この「皮肉」。

断っておくが、僕は大の誓子ファン。それにかけては誰にも引けを取らない自信がある。鳥取の海辺で育ち十四歳で俳句の魅力に取り憑かれた僕は、誓子作品によって初めて俳句が同時代的なポエジーを持ち得ること知った。

誓子の句は情感を述べず読者を突き放す。どこまでもクールなのだ。

誓子の句が示す情の抑制と静謐は誓子自身の出自と幼年期を過した樺太の厳しい自然から来るものだ。それは僕が育った山陰の暗澹たる日本海の怒濤と重なる。

暗誦できる誓子句の数なら誓子門下の人には負けない。挑戦ならいつでも受けて立ちますゾ。

ではなぜそんなに憧れた誓子門に僕が入らず楸邨に師事したのかは、話が長くなるので、小著『ライク・ア・ローリングストーン 俳句少年漂流記』(2009年・岩波書店刊)をご笑覧いただくしかない。

二十歳のとき、一度だけナマの誓子を見たことがある。

昭和46年の大阪の句会、寺の大広間だった。受け付けのそばの末席から遥か彼方に誓子の姿を見た。顔が視認できる距離を遥かに超えていたが、そのときの発見は誓子が名乗るとき「セイシ」と語尾上がりの関西弁で名乗ったこと。僕は、誓子は精子と同じイントネーションだと思っていたので驚いたのだった。

僕の投句、「犬が行く夏野の広さ知らぬから」は誓子選の佳作に入った。うれしかったなあ。

写真で見た誓子は長い白髪の前髪をピンで止めていた。

眼鏡のよく似合う理知的な風貌はさぞかし女性にもてるだろうと思わせたが、こういう句を見るかぎり実際はその逆だったろう。橋本多佳子との親密さも有名だが果たして恋愛関係まで行ったのかどうか疑わしい。僕にはそう思える。

つまりこんな思考で女性を見ている人はもてないだろうし仮にもてても一歩踏み出せない。

同じ著書にはこんな句も出ている。

 浪にあとかたもなし女と泳ぎしが

自解「男と女が泳いだというのに、その痕跡はどこにもない」

ああ、つまらない。二句とも仲睦まじい恋人同士のじゃれあいに嫉妬する只のむっつりスケベのひがみにしか取れない。この句を作ったのが誓子四十代だからなおさらだ。

まだ若いのにこれじゃあ。

三鬼を見なさい、三鬼を。

 おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼
 女立たせてゆまるや赤き旱星

三鬼は誓子を神のごとく称え心酔したが、女性からは誓子の百倍はもてたことであろう。これは女性の扱いに手馴れた人の句である。

では、誓子のこの句に学べるところはないのか。
ある。

誓子が拓いた方法は、まず、花鳥諷詠の従来的な情緒から抜けること。そのためには切れ字、特に「かな」の不使用を実践した。「かな」が特に古い情緒と密接に結びついていると判断したからである。

「かな」を使わぬ代りにリズムを縦横に駆使した。五七五の定型律を外れてもそこに独自の韻律が生ずるように新しい「型」を考案したのである。

 今晩は今晩は秋の夜の漁村
 するすると岩をするすると地を蜥蜴
 鶫死して翅拡ぐるに任せたり
 露更けし星座ぎつしり死すべからず
 寒き故暗き故死ぬる海ならず
 とべば醜し白鷺の彳(ルビ・た)ちつづける

等々。

次にもっとも大切な内容(ポエジー)。

従来の花鳥諷詠が持ついわゆる神社仏閣老病死の抹香臭い俳句的情緒を排して誓子はまったく新しい「詩的角度」を提示した。しかも「写生」の本質を損なうことなく。

 泳ぎから歩行に移るその境
 かりかりと蟷螂蜂の皃ルビ・かほ)を食む
 高きより雪降り松に沿ひ下る
 鷹の羽を拾ひて持てば風集ふ

それまでの「俳諧ふう」はどこにもなく、しかも新興俳句系のモダニスト俳人たちがこぞって模倣した「自由詩(現代詩という言い方はおかしいと高橋睦郎さんが言っていたし僕もそう思う)ふう」ともまったく異なる。

誓子こそまさしく子規が開祖である「写生」の中興の祖と言っていい。中興っていうのはまだその後があるってことさ。「写生」と言う方法はまだ緒についたばかりと僕は信じている。

しかしながら古い情緒を抜けて誓子が示した多彩な「ポエジー」の中で、この男女関係への突っ込み方は明らかに失敗だった。誓子と同時代の男女関係だってシベリア愛の逃避行の杉本良吉と岡田嘉子。中也から小林秀雄に乗り換えた長谷川泰子。いろんな奔放な恋愛のかたちは既に在ったのにもかかわらずこれだ。やっぱりこれ帝国大学出の限界かなあ。

でもいいじゃないですか。新しいところに討って出ての失敗なんだから。

「もの」を写す「写生」という条件を踏まえた上でそれまでの俳句的情緒を超えてみせた誓子がこの句に於いては社会的通念に縛られた倫理観を露呈してしまった。

男女の関係を詠むことにかけて誓子は三鬼の後塵を拝したが、その他のあらゆる面で自由詩憧憬のモダニストであった三鬼の何百倍も俳句史に貢献しているのである。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。

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