2015-06-21

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(7) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (7)
今井 聖

 「街」101号より転載

芋の如肥えて血うすき汝かな 
杉田久女『杉田久女句集』(1951)


なんだこりゃ。 

イモノゴトコエテチウスキナンジカナ

大正九年。久女が三十一歳。「腎臓病」で入退院を繰り返していた頃の作品。自分を担当する看護婦(看護師)への憎悪である。
このときの句にはこんなのもある。

我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな
葡萄投げて我儘つのる病婦かな
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華

入院中、見舞いに訪れた夫宇内にその見舞いの葡萄を投げつけた逸話が残っている。

松本清張の短編「菊枕」や吉屋信子の「底の抜けた柄杓」などによって久女は精神疾患の患者としての定説を得てしまった。精神疾患であった事実はないというのが娘である石昌子さん(二〇〇七年没享年九五)の生涯の主張であった。

このことを久女の名誉回復への努力と取ると、それはちょっと違うというふうに思う。久女の病名の真実がどうあれ、精神疾患はれっきとした治癒可能な「病気」であり、現在も多くの患者が存在する。病気は不名誉ではない。

今は統合失調症と呼ばれる精神疾患は、以前は精神分裂病と呼ばれ遺伝するとさえ噂された。家族も家系も差別の対象になったのだった。原因や治療法が解明するまでは多くの病気が偏見の中に置かれたのと同様に。

統合失調症は今は一般的な多くの病気と同様に扱われているし我らもそのように認識すべきであって、久女の「名誉」とは関係ない。

彼女が精神分裂病でなかったとすれば病気の種類が誤解されただけの話である。絶対分裂病ではなかったと、余りそこばかり強調すると世の多くの患者たちはいたたまれない。

それは部落差別などと同じではないか。部落出身者ではないと強弁するところにことの本質はない。むしろその否定の中にある差別意識、そこが問題なのだ。

話が逸れたがこれらの句は「腎臓病」闘病の折の句として見ると極めて異質。抑制の効かないほどの感情の吐露、はっきり言えば、平常な精神状態とは思えない激しさが見て取れる。それは僕だけの感想ではないだろう。

これらの句から、僕は草田男の、

金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り

を連想する。草田男は長期にわたって精神の平衡を保つことに腐心した。学生時代からの治療体験もある。草田男はそれを隠そうとしない。神経症であるという事実が根底にあったからかも知れぬ。神経症と分裂病は昔からはっきり区別され、後者の方が根強い偏見の中に置かれたからだ。

では、感情抑制の効かぬこれらの久女作品から学ぶものはあるのか。
ある。

この句が作られた大正九年という年を考えて欲しい。

霜降れば霜を楯とす法の城    虚子
床几置く柴山丸くつつじかな   長谷川かな女
月下美人力かぎりに更けにけり  阿部みどり女
ぬくもりし助炭の上の置手紙   今井つる女

こんなんですよ、大正期の俳句認識は。情緒の諷詠と通俗的なドラマ。そして時代の倫理観。

この辺りから女流ならいわゆる厨房俳句、良妻賢母自己肯定俳句のオンパレードが始まる。

虚子を頂点とし俳壇上部構造を形成する帝大出の男(虚子は旧制高校中退だが旧制高校を出れば帝大は無試験だった。ゆえに世俗的価値観では帝大出と同等)がそれを求めたのだから元を正せば男のせいだ。

明治維新以来今日まで連綿と続くヒエラルヒーを維持するための「政治」が倫理観をも形成し、俳句もまたその倫理観に規定されたのだ。良妻賢母の目指すところはつまるところ「銃後の支え」であった。

そんな時期に久女は突然変異のように赤裸々な感情を詠んだ。

モダンを取り入れた三橋鷹女や哀しくも美しい「女」を演出した橋本多佳子。しかし良妻賢母俳句もモダンお転婆姐さんも身持ちの固い美しい寡婦もみんな男の目を意識した「女ぶり」だ。久女の代表句と呼ばれる、

花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ

にしても自己を縛する制約という暗喩が「紐いろいろ」にあるにせよ、視覚的には「ぬぐ」と「紐」で女を強調している。そういう意味では世俗性を纏った句だ。

それに比べてこの句はどうだ。

男への媚もなければ倫理も良妻賢母もへったくれもない。
 世俗の意識による抑制も何もかもかなぐり捨てた本音の憎悪丸出しの句だ。僕はここに久女のほんものの才気を感じる。

大正期にこんな句を作った久女というとんでもない才能について精神を病んでいたか否かの論議はむしろ存在を貶める感じがする。さまざまなジャンルの狂気とのはざまにある天才の例を久女にもまた見る。

異形なもの、突出したものこそが高みに立つことができる。
なんだこりゃこそ学びの宝庫。



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