2015-07-19

【週俳6月の俳句を読む】受容 猫髭

【週俳6月の俳句を読む】
受容

猫髭


末期長くあれかし新茶啜りをり  利普苑るな

わたくしのようなその日暮らしの老人は、今日の苦労だけで手一杯なので、明日は明日の風が吹くで済ませているから、「末期長くあれかし」と切り出されると、十四五センチほど後ずさってしまうが、「新茶啜りをり」と、それはさておき、落ち着くためにはお茶を一服、といった、まるで吊橋のど真ん中で悠然と野点をはじめたようなほっこり感の「新茶」を出されると、ではお相伴にお預かりいたしますと少し安堵する。「ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子」という、末期の目も普段の目と変わらないという受容の目をこの作者は持っているのではないかと思わせる一句である。

『死ぬ瞬間(On Death and Dying)』(1969年)を著わしたエリザベス・キューブラー=ロスは二百人の死にゆく患者との対話の中で五つの死の受容のプロセスがあることを、「否認」→「怒り」→「取引」→「抑鬱」→「受容」という五段階として記している。ホスピスにおけるターミナル・ケアもこのプロセスに添っておこなわれる。これは死に至る病でなくとも、不慮の事故や災害が起こった時も同じような心の動きをひとそれぞれのやり方で経ると云われる。絶望せずに、どのように生きることが最善なのかと希望を持つためには、良い悪いではなく、否定でも肯定でもなく、現状をありのままに見つめる「受容」という目が必要になる。しかし、「否認」から「受容」に至るまではひとそれぞれ。いつまでも「何でこんな目に遭うんだ」と怒り否定し続ける老人もいれば、良寛さまではないが「災難に逢ふ時節には、災難に逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」と現状を「受容」の目で見て、新しい出会いに感謝しながら生きる子どももいる。

勿論、これ以外のプロセスもあり、例えば、母は東北大震災と津波で被災し、これまで代々守って来たことが文字通り水泡に帰したことを認めるよりは「忘却」を選んだ。震災の記憶は一切封印され、逆行し過ぎて父と結婚していたことも忘れ、現在女学生に戻っている。傍から見れば認知症だが、それで本人が幸せならそれでいいという例外である。厭なことは忘れる能力が人にはある。認知症は、母の場合は自己防衛力と言える。若いと現実逃避と云われるが、逃げられるうちは逃げていいのである。

この作者の場合、「受容」に至るまでどのくらいかかったのかはわからないが、この句を読む限り、世界で一番幸せの目線が低い文藝である俳句の力もあったのではとわたくしには思われる。末期に新茶を楽しむというは妙法にて候。

麦秋や病院よりも白き墓

墓の色は生まれた場所によってことなる。昔から近隣の採掘場から切り出された石の色がその地元の墓の色となるからだという。東北は宮城県の稲井石や泥冠石、福島県の鍋黒石や黒御影の浮金石などの産地が有名で黒い墓が多い。関東は神奈川県の小松石や山梨の山崎石を産し、灰色の墓が多い。それ以外は花崗岩に恵まれたため白御影石が多く、日本人の墓の色に対するイメージのほとんどは白である。

しかし、この句の「白き墓」というのは、十句の中に置くと、日本の花崗岩の墓だけではなく、西洋の白い十字架の墓も想起する。ミネアポリスだったか、飛行機の乗り継ぎの時間が長いので外へ出て見たら小高い丘の緑が一面真っ白な十字架で埋められていたのを思い出した。作者はキリスト教信者なのか、教会の墓地が見える病院にいるのか。この「白」が清潔の「白」を旨とする病院の「白」よりも「墓」の方が白く見えたということを、白い死のイメージへの憧憬として読めるが、季語は「麦秋」なので、風が渡ると一面素晴らしく黄熟した穂が波のようになびく麦畑を背景に読む方が、気持がいい風を感じる。

虚子は『新歳時記』で「むぎあき」と読ませているが、小津映画で育ったわたくしは「ばくしゅう」と読む。映画『麦秋』のラストシーンの「紀子、いまごろどうしてるんでしょう」という母親の言葉のあとで流れる麦秋の光景が目に浮かぶが、「白き墓」という西洋的な墓のイメージとあいまって不思議な明るさがある。

猫の待つわが家遠しや薔薇香る
「薔薇香る」で病室に活けられた花瓶の見舞の薔薇が香り、『失われた時を求めて』のように、その香りから、自分が入院するまで暮らしていた我が家の庭に咲いていた薔薇の香りがたちのぼる。「猫の待つわが家」というのは、そこなら安心して末期を送れるような家ということだろう。この十句には家族は父と猫(飼っている動物も家族の一員である)しか出て来ないので「猫(だけ)が待つわが家」と読むと侘しいが「猫の待つわが家」なので、そこには猫の世話をする人も一緒に暮らしているわけで、人は家族という看取る人の間で生き死にするから人間なので、病院の医者や看護士もその意味では人間ではなく、他人という人である。それが「遠し」ということだろう。眠るなら薔薇の花に囲まれて、目覚めるならば親愛なる人間のそばでは、「白雪姫」も「眠れる森の美女」もそうである。

病床の夏暁パッヘルベルのカノン

「パッヘルベルのカノン」というのはクラシックにうとくても、聞けば「ああ、あれか」とわかる有名な曲で、ドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベルがバロック時代中頃の1680年頃作曲した「三つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」というのが正式名称である。印象的なメロディが繰り返し、第一ヴァイオリンから第二、第三と、順々に二小節づつ渡されて行って、それが延々続いても飽きないという不思議な循環曲で、「世界一の一発屋」と言われるほど、そこら中で流れまくっているメロディといえる。多分結婚式とかホテルや喫茶店のBGMなどで流れていたのだろうと思っていたら、たまたま見たTVドラマでも劇中のホテルのパーティーで流れていたので恐れ入った。

「夏暁のパッヘルベルのカノン」とは言い得て妙で、YouTubeで検索したら、小鳥の声をバックにした朝日の背景画の三時間バージョンまであった。ちなみにクルト・レーデル&ミュンヘン・プロアルテ管弦楽団の”Canon in D”を繰り返し聴いてみたら、何度聴いても聴き飽きなかった。BGMのために生まれたような邪魔にならないメロディで、絶対音感の持ち主は雨垂れを聞いても音符になるので五月蠅いと雨戸を閉めるほどだが、バロック音楽だけは音符にならないからBGMとしても聴き流せると言っていた。この「カノン」などまさしくそうだろう。

「病床」で作者は聴いているが、ふと、岸本尚毅の『高浜虚子 俳句の力』の冒頭を思い出した。

もしもホスピスの施設に入ることになったら、何をもって枕頭の慰めとするでしょうか。私の場合、思い浮かぶのは、モーツアルトと虚子です。ホスピスでベートーベンを聞かされても無用の強心剤のようで迷惑です。バッハやブルックナーの神学的厳粛さも、異教徒のわたくしには鬱陶しい。諦めのような透明感と安らかさを湛えたモーツアルトこそが死にゆく魂のためのモルヒネにふさわしい。虚子の俳句もそうです。

確かにベートーベンだと心臓麻痺をおこしそうだなということはわかるし、モーツアルトが癒しの音楽だというのもわかる気はするし、人が恋しいときにはショパンが聴きたくなる気持もわからないではない。しかし、ホスピスに虚子の句というのは、よくわからない。

大寒や見舞に行けば死んでをり
 虚子

って、ブラッ句・ジョー句ではないか。勘弁してください。

行きつけの阿佐ヶ谷の喫茶店のクラッシック専門の常連に「パッヘルベルのカノン」のようなホスピスで聴くようなバロックは他にあるのか聞くと、モーツアルトの「ヴェスペレ(晩課)”Vesperae solennes de confessore” K. 339」第5曲「ラウダーテ・ドミヌム(主をほめ讃えよ)”Laudate Dominum”」(K.339)を教えてくれた。何でもモーツアルトがカトリック教会の晩の典礼のために作曲を依頼されたのだが、モーツアルトはこの神父とそりが合わなくて乗り気じゃなかったけど、この五曲目の聖書の詩編117を歌うソプラノの独唱だけが飛び抜けて綺麗なのだと言う。あれこれ次は何聴こうとLPをあさりちゃんしているときにこれ聴くと、ああこれで一日が終わったと、必ずそう思って満足してしまうんですと言っていた。YouTubeで検索すると、Edith Mathis, Cecilia Bartol, Nicoletta Panni, Barbara Bonney, Maria Stadeなど、いろいろなソプラノ歌手が歌っていたが、みな素晴らしく、確かに一日の終りに飲む一杯のモカ・マタリと同じように、寝る前に聴く一曲なのかもしれない。一生ではなく、一日を終えるための音楽というところがいい。

聖五月額に楔打ち込まれ
逆縁の不孝よ父よ初蛍
夏蝶や水玉柄の脳画像


「末期」というタイトルと、この三句で、作者が脳腫瘍を患っており、父が子を看取る逆縁を嘆いていることから、母は既に亡く、親に先立つ不孝に心を痛めていると読める。「不幸」ではなく「不孝」である。「親孝行は子どものライフワーク」なのだ。わたくしは作者のことをほとんど知らないので、この「末期」十句だけで読むだけだが、「逆縁の不孝よ」で、「末期」という大変重いタイトルなのに、作者が自分の今を「不幸」とはとらえていないことが、この十句を静かな印象にしているのではないかと感じた。

一年で最も美しい季節を聖母マリアに捧げてロザリオの祈りをするカトリック教会の「聖五月」という季語は(プロテスタント教会に聖人崇拝はない)、イエス・キリストの磔刑を想起させる「楔打ち込まれ」を和らげているし、「逆縁」と「父」と「初螢」の、この句だけ闇夜だが、螢の光る儚い美しさ、「夏蝶」も螢と同じように飛ぶものであり、「水玉柄の脳画像」は、脳腫瘍の部分は死んで黒くなるとはいえ「水玉柄」という措辞は、フランク・シナトラが歌う”Polka Dots And Moonbeams”が流れそうな粋な見立てのようだ。内容が重い句ばかりなのに、しんとして明るいのは、自分の不幸ではなく父への不孝を案じる作者の優しさと、その優しさが選び取った季語のせいだろう。

かはほりや隣のベッドより寝息

海外では「夜の燕」とも呼ばれる蝙蝠が黄昏どきを大きな蛾のようにひらりひらりと飛んでいる。まだ寝るには早い時間なのに、隣の人はもう寝息を立てている。自分の息と重なるようで重ならない呼吸である。それを聴いている私は一体誰だろう、体を抜けだした魂なのか、とも思えてくる。たそがれとはそういう時間かもしれない。

「末期患者」という場合の末期(まっき)は医学的末期という意味であり、現在の医学では手の施しようがない状態を指す。末期(まつご)と言いながら、まだ病院に居られるということは治療の望みが絶たれたわけではないが、手術か投薬か様々な医療方法によって延命の可能性が高まるかどうかの判断が難しい状況ということかもしれない。医学的にはInformed Consentと云われ、医者が患者に医学的なTruth(真実)をTelling(説明)し、患者と何度も話し合い、患者が手術を拒否することも含めて、自分で選択できるようにお互いが納得するプロセスで、「医療的に正しい情報を伝えられた上での合意」とされているが、医者と患者だけではなく、患者の家族の判断にも配慮しなければならないので、精神的にも患者だけではなく家族の負担も一番強いられる段階である。

だが、作者は発句で「まっき」ではなく「まつご」と詠んでいる。わたくしは職業がヘルパーなので、脳腫瘍で「余命二週間」という文字通り末期(まつご)の患者の介護をしたこともあるが、脳画像は水玉どころか真っ黒で、投薬も既に停止され、右手がかろうじて動くだけの全介護状態だった。それでも、二週間どころか、一年以上過ぎても存命し、座ってiPADで遊べるようになり、今はアメリカで暮している。わたくしが病気の末期(まっき)と命の末期(まつご)は違うと思うのは、そういう体験から来ている。この場合の末期症状というのは脳腫瘍という発見時の腫瘍(T:tumor=腫瘍)のステージがT0~4のT4ということだった。脳幹出血で余命三時間と言われて、三年後の今は一人暮しをしている症例もある。

だが、作者は水玉柄の段階で「末期」と自覚している。ということは脳腫瘍はT4ではなく、別の部位の癌が、遠隔転移(M:metastasis=転移)してM1(転移あり)という水玉柄の脳画像ということになる。この場合の発見時の癌で生存率五年の難病指定は膵臓癌と肺癌の二つである。

静かな世界とわたくしは読んできたが、もし、そうであるなら、これは全世界から音が消えた無音の静けさの世界である。

病窓より航路と線路朝ぐもり

病院の窓からは船と電車が見える。船も汽車も航路と線路という定められた目的地と帰還地を持つ。行く場所も帰る場所もなく病室にいる身には、行き来する船も汽車も、行く場所、帰る場所がある確かさを持つ。船も汽車も下りれば、人はどこへ行くかは自由だが、自由を奪われた身には、見ることで心を遊ばせるしかない。「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりにも遠し」(萩原朔太郎)、せめては新しきパジャマ着て、きままなる空想の旅にいでてみん、と窓外の航路と線路に心を漂わせる。だが、海にも山にも黄泉平坂はある。『古事記』には、黄泉(よも)つ国に伊耶那岐の命が死んだ伊耶那美の命に会いに行く話がある。作者には窓から見える船も汽車も此岸と彼岸を行き来しているように見えたのかもしれない。そのとき、病室は「出雲の国の伊賦夜坂(いふやさか)といふ」ことになる。

下五の季語「朝ぐもり」。「朝曇り、昼旱り」の諺にもとづく、熱さが特にきびしくなる朝は却ってどんよりと曇ることがあるという季語である。歳時記では次に「日盛り」が来る。静かだが、暑い一日が始まろうとしている。

目鼻消し泣きたき日あり雲の峰

挙句である。「目鼻寄せ泣きたき日」だと感情を解き放って思い切り泣く狂言の姿になるが、「目鼻消し」だと能の小面のしぐさになる。うつむいた小面の哀しみを見るようだが、「雲の峰」という「朝ぐもり」から力強く青天に育ちゆく入道雲は生命の躍動を感じさせる。


最後に、俳号が「利普苑るな」なので、りふえん・るな? ドイツ人と結婚したひとなのかと後記を見ると、広島生まれで大阪在住の日本人らしい。「りーふぇん」と読むそうな。読めっかよ、森鷗外じゃあるまいし、茉莉(マリ)、不律(フリッツ)、杏奴(アンヌ)、類(ルイ)のドイツかぶれとも思うが、りーふぇんで思い当るドイツ人の女性が一人いた。

レニ・リーフェンシュタール。ベルリン・オリンピック映画『民族の祭典』の監督である。わたくしにはオリンピック映画ではこれと市川 崑の『東京オリンピック』(平均台のチャフラスカとマラソンのアベベのよだれは忘れられない)が映画として傑出していると感じた。また、アフリカはスーダンのNUBA族を十年間に亘って撮り続けた写真集『ヌバ』の写真家であり、1973年に出されたその写真集の迫力は衝撃以外の何物でもなかった。七十一歳でスキューバダイビングの免許を取得して水中写真集” CORAL GARDENS”” WONDERS UNDER WATER”を出し、百歳を越えて映画『原色の海』を撮るという凄い天才だが、終生、海外ではナチスに協力したと批判され、映画製作は妨害され続けた。彼女のことを欧米で話題にした時も余り良い顔はされなかった。ヒトラーの凄まじい演説で知られる映画『意志の勝利』は、未だにドイツ国内では放映禁止である。彼女が池袋パルコで「ヌバ」の写真展のために1980年だったか来日したときは、わたくしも講演を聞きに行った。講演会後の彼女に対する質問は、ナチに協力したことをどう思うかといった馬鹿な質問ばかりだった。政治という権謀術策の世界と、映画や写真の美の世界は全く別世界の話である。わたくしは彼女がオリンピックのアスリートたちを美しいと感じたから美しく撮ったように、ヌバ族を美しいと感じたから撮ったまでだと思っていた。レニは今でもわたくしには美に入れ揚げた美の殉教者である。

利普苑るなさんがレニのファンであるなら、昔からのレニのファンとしては嬉しい限りである。



第424号 2015年6月7日
利普苑るな 末 期 10句 ≫読む
第426号2015年6月21日
喪字男 秘密兵器 10句 ≫読む
第427号 2015年6月28日
福田若之 何か書かれて 15句 ≫読む

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