2015-08-16

【週俳7月の俳句を読む】俳人の目とその共有   中西亮太

【週俳7月の俳句を読む】
俳人の目とその共有

中西亮太




高浜虚子が「客観写生」を謳って以来、それがある種、俳句を象徴する言葉となった。以来、俳人はその目に映るさまざまな景を各々の感性をもって俳句に描き続けている。われわれは俳人の目を通して詠まれた句の解釈し、そこに描かれる物語を鑑賞するのである。

俳句を鑑賞する際に、作者が見ている景を完全に共有することは困難が伴う。しかし、詠み出された句を通してその景に思いを馳せるとき、われわれは「俳人の目」をまさに共有する存在となろうとするのである。

シャワー浴ぶまなうらに日の沈まざる 安里琉太

作者は「まなうら」を見ている。と言っても、目を閉じながら思いを巡らせているのは外の景色である。「沈まざる」から、一日の疲れをとるシャワーを浴びているときの句だと読める。自身は一日の終わりを迎えようとしているのに、夏の太陽はまだ一日を続けている。

狭く暗い「スクリーン」としてのまなうらに投影された太陽は、まなうらのイメージに対比されることで生き生きと描かれ、夏らしさがうまく表現される。「夏」という季節からいやがおうでも逃れられない「運命」を思い知らされるようだ。

割腹のあとのうつろも夕焼くる 竹岡一郎

ここで描かれるのは割腹した人の視点である。登場人物は割腹の果てに視界がぼやけ始める。そのような状況にも関わらず、自然は無情にも動き続けている。ここでの「夕焼」は自然を象徴すると同時に、命を象徴するのではないだろうか。夕焼けの美しい景色を最後に、彼は命を落とすのである。

絶命を控える命の脆さと取り合わせられた夕焼けの力強さは、読み手に対して圧倒的な景を連想させてくれる。

台詞つかへて背後に海のあるごとし 青本柚紀

台詞がつかえるという出来事から、広大な海へと展開されていく。半ば強引に海へと想像を操作されるわれわれ読者は、「うまく乗せられた」のである。失敗(=台詞がつかえる)という「小さな出来事」を広大で穏やかな「海」へと転換する効果は絶大だ。この失敗を「小さな出来事」と言える所以は、まさに「海」にあると言えるだろう。

「海のあるごとし」をどう解釈するかという点で、上述では「広大で穏やかな海」とした。一方で、「荒々しく岩を打ち付ける海」と解釈した場合、「台詞つかへて」のイメージは変わる。決まりきらない詠み方が、読み手に対して解釈の余地を与えている一句である。

邂逅の窓汚れゐるごとく夏雲 生駒大祐

この句において、窓は「邂逅の窓」として描かれる。「邂逅」とは、「偶然の出会い」を意味する。ふと窓を見ると、人びとはたくさんの(広義での)邂逅を成している。窓越しに外を見る作者はこのさまざまな邂逅を第三者的に見ているのだろう。

「出会い」は相互認識において生じる。AとBが「出会う」ためには、互いにAとBの存在を意識している必要がある。一方的な認識は「(誰々を)見た」に過ぎない。第三者的に見る作者は邂逅は成し得ていないのである。そこに描かれる視線は孤独に満ちている。

しかし、ふと気が付けば夏雲が窓越しにこちらを「見ている」ではないか。その視線を感じ取った途端に作者は邂逅を体験する。「汚れゐるごとく」という若干の皮肉と照れともとれる表現が、この句の味わいを深くしてくれるのだ。


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