2016-04-24

自由律俳句を読む 134 「鉄塊」を読む〔20〕 畠 働猫

自由律俳句を読む 134
「鉄塊」を読む20

畠 働猫


以前この記事でも取り上げた天坂寝覚が句集を出しました。
『句集 新しい靴』(随句社)

いずれこの記事でも鑑賞したいと考えています。
句集の購入に関しては本人がTwitter上で告知していますので、ぜひ「天坂寝覚」で検索してみてください。



今回も「鉄塊」の句会に投句された作品を鑑賞する。
第二十一回(20142月)から。
文頭に記号がある部分は当時の句会での自評の再掲である。
記号の意味は「◎ 特選」「○ 並選」「● 逆選」「△ 評のみ」。



◎第二十一回(20142月)より

息の白さも我が部屋 馬場古戸暢
△「寒さ」のようなネガティブな要素も自らの一部とみなす。これが写生というものか。寒いのはいやですね。(働猫)

冬の句であるが、札幌は今日も寒い一日になった。
しかし北海道では暖房がつけっぱなしなので、部屋の中で息が白いという景はほとんどなかったりする。


おっぱい飲んで姪はゆっくり歩きはじめた 馬場古戸暢
△写生句であろう。着実な成長に顔をほころばせているのだろう。(働猫)

微笑ましい句である。かわいくてしかたがないのだろう。


原稿書き終わらぬ頭に隙間風 馬場古戸暢
△頭を冷やせという粋なはからいかもしれないが、冷えっぱなしだからよくないのかもしれない。もう寝てしまえばいいのでは。(働猫)

今まさに同様の状況である。
もしかすると古戸暢の「原稿」も週刊俳句だったのかもしれぬ。


冬の檸檬を齧って香気の結晶をみた 小笠原玉虫
◎これは美しい句だ。五感のすべてを刺激する。「冬」が寒さを感じる触覚、「齧って」が音と味を連想させて聴覚と味覚、「香気」が嗅覚、「みた」が視覚。おそらくは意識的に盛り込んだのであろう。句そのものはもっと整理ができそうであるが、上記のように五感を詠み込むことを目的としたのだと考えれば、これ以上削ることはできなかったのであろうと理解できる。だが、ここまで丁寧に描写しなくとも良かったかもしれない。推敲の余地はまだありそうだ。それにしてもこの一瞬の情景をよく切り取ったものである。(働猫)

すでに当時の句評で言い尽しているが、改めて見事な切り取りであると思う。
何といっても「香気の結晶」が優れた描写である。
リズムは正直もう少しなんとかならないかと思うが、それを補って余りある表現であると言えるだろう。


お前のいい匂いの秘密に触れて春待 小笠原玉虫
△ダウニーであろうか。私はレノアです。(働猫)

匂いで好きになることもあるので、ほんと重要機密であるね。
私はフリージアの匂いが好きで、類した香りをまとわれるとまずい。
働猫さんはよくいい匂いと言われますが、きちんと加齢臭に対策しているだけです。世の中年はみなそうあるべきである。


喉笛に喰いつく花の匂いの猫なり 小笠原玉虫
●バレ句ですね。異性を猫に例えるのはありがちな気がします。(働猫)

これはよくない。
玉虫のこの回の句はすべて匂いに関したものだったが、間接的に表現した「香気の結晶」が最もよかった。


生き物が全てひとえに見ゆる時 中筋祖啓
△「ひとえに」の意味がわからない。(働猫)

全てが同じに見えるという意味であったものか。
生まれたままの「原始の眼」によって生き物を眺めるとき、価値や利害を超えて「あるがまま」に並列に捉えることができる。そうした境地に至ったその「時」を詠んだ句であろうか。
しかしその境地に至れるものは少ない。
したがってこの句も意味不明のまま埋もれていく句であるかもしれない。


飛び込んでいく事が礼拝 中筋祖啓
△五体投地であろう。苦しゅうないぞよ。(働猫)

入門するとはこのようなものかもしれない。
祈りを捧げようとしたその瞬間から礼拝すなわち信仰は始まっているということなのだろう。


正解は一旦下に置き開ける 中筋祖啓
○「正解」を一旦置いておく意味かと思ったが、違うのだろう。これはおそらく寄木細工の秘密箱を詠んでいるのだろう。手に持った箱の開け方に悩み、あれこれと試みている様子が見える。しかし発想を転換して、一度箱を下に置かなければ、けっして開くことができないのだ。中身を手に入れるためには一度すべて手放す必要がある。実に老荘的な思想が詠み込まれているのである。(働猫)

この句も以前、祖啓句を紹介した際に取り上げた。
老荘、禅的な思想が祖啓の句の背景にあることは疑いない。
「秘密箱」とは、特殊な操作を経なければ開けることができない箱である。箱根がその生産地であるようだ。

余談であるが、今回の祖啓句は読み返していて楽しかった。
祖啓という天才を世の中に伝える役目を私も少しは担えているであろうか。


食っちゃった絶滅したはずの動物 十月水名
△本当のできごとであればおもしろい。すごくおもしろい。だからとりかけたのだが、本当にそんなことあるのか……と悩んだ。別に本当にあったことでしか句を作っていけないわけではないのだろうが、想像や言葉遊びとして作るならば、もっとおもしろくあるべきだろう。そして本当のことと考えるにはリアリティが無かった。(働猫)

後述の「マッコウクジラ」同様、自分の中では「好きでありながらとれない」問題句である。これを追究していくことが、自分にとっての「自由律俳句」の定義を明らかにすることとなるように思うが、今はまだそこに至らない。


ひらけごま春の雨春の光 十月水名
△希望の光を待つ様子が美しい。(働猫)

美しい句であると思う。


バス間違えてマッコウクジラが見える 十月水名
△一見、どこまで行っちゃったんだよ、とつっこみを入れるのが正しい鑑賞姿勢かと思うが、実際そんなことありうるのか?という疑問が浮かぶ。「絶滅したはずの動物」の句と同様に、今回自分はファンタジーを楽しむ余裕がないのかもしれない。また、この句には性的な象徴が隠されているのかもしれないとも思う。「クジラ=男根」的な。フロイト的な解釈ですが。そういえば、マッコウクジラは英語でスペルマホエールですね。おやおや。これはこれは。(働猫)

確かこの句がこの回の最高得点句であったように記憶している。
詩的な美しさと物語の冒頭のような広がりを持った句である。
しかし自分はこの句をとれなかった。
当時の句評においてもその理由の言語化を試みてはいるものの、上手くいかなかった。今回も論理的な説明はできそうにない。
ただ言えることは、自分はこの句を、詩としては評価しているものの句としては評価できないということだ。
そこで当然、では「俳句」とは何か。「自由律俳句」とはどういうものか、という定義が必要になってくる。
しかし自分の定義に則れば、この句は自由律俳句である。
それは間違いない。
つまりは、「自由律俳句」として自分の理想とする方向性ではないということか。
とするとそれは単なる好みの問題なのかとも思う。
しかしそれで片づけてしまいたくはないのだ。
この句については、誰かと議論を交わしたいと思う。
そうした意味でも価値のある句と言える。


仕事終わりの冬の星空立ち止まる帰る 風呂山洋三
○感動が足を止めたのだろう。句にしようか。だがやめた。明日も早いのだ。我々は霞を食って生きているわけではない。美しい星は腹を膨らませてはくれない。帰って眠ろう。明日も早いのだ。(働猫)

とても共感できる句である。
労働と文学の断絶。
その断絶そのものを詠んだメタ句であるとも言えるだろう。


深夜のバイクの遠ざかる音寝床の寒い 風呂山洋三
△眠れないまま寝床にいるのだろう。コトノブは大丈夫なのか。(働猫)

古戸暢の句かと思ったら洋三であった。
みんな不眠なのか。気の毒である。


煙草の切れた真夜中アクセル踏み込む 風呂山洋三
△ニコチン中毒は恐ろしい。地獄へのハイウェイにならなければいいが。(働猫)

とりあえず生きて帰って来れたようでよかった。


ご馳走様でした釣銭こそこそと拭う 地野獄美
△状況が想像しにくかったが、汚い店の汚い店主に手渡された釣銭なのだろうか。店主に気を使っている感じに卑屈さはよく出ている。味はよかったのだろうか。また来たいのか。なんとなくの予想だが、この句は今回多くとられそうな気がする。最近の傾向から。(働猫)

予想は当たらなかった。


雪も海もない国の長い話だ 地野獄美
○千夜一夜物語のシェエラザードの話であろうか。そう考えるとなんとも色っぽい。グンマー国やナラー国だと思うととたんに年寄りの繰り言に見えてくる。げんなりである。(働猫)

「長い話」をどうとるか。
肯定的にとるか否定的にとるかで読みも変わろう。
読者はそれぞれにその「国」を想定し補完すればいい。


みんな冷たい石になると教えた 地野獄美
△子供に教えているのだとしたら、なんと残酷なのだろうか。どういう教育方針なのか問い合わせがきてもおかしくない。(働猫)

墓石の前で話しているものと思う。
北欧やスコットランドの戦士の父子はこうであったのではないかと思った。
血腥い乱世の教育である。


孕み女睨む孕み女か 藤井雪兎
△どこで区切るかで印象が変わる。「孕み女」が「孕み女」を睨んでいるのか。それとも「孕み(孕んで)」、「女」を睨む「孕み女」なのか。前者ならば妊婦同士の軋轢であろう。大奥の風景かもしれない。後者ならば、妊婦がそうでない女を睨みつけている様子になる。なんだそれ。こわい。電車の中で席を譲らない女を睨んでいるのかな。いずれにしても「孕み女」という言い方に悪意を感じる。女性をもっと大切にしてほしい。と私は紳士なので思った。私は紳士なので。(働猫)

働猫さんまじ紳士である。



雪催ちょうどダンスが終わったところ 藤井雪兎
△シベリア寒気団のコサックダンスであろうか。(働猫)

「アナと雪の女王」が公開されたのはこの句会の翌月であったようだ。
私は未だに見ていないのだが、なんか雪の中でダンスするのだろう。ディズニーってそうだからな。(偏見)
だから今初めてこの句を見る人には「アナと」句に見えるかもしれない。
これはしかし「アナと」句ではない。


それぞれの約束の地へと出荷される座薬 藤井雪兎
△アナル句か。(働猫)

痔瘻の手術を経験した身としては新鮮な気持ちで読める句である。
これまで否定的に評してきた「病・薬」句であるはずなのだが、「座薬」に関しては、少し趣が異なるようだ。
発熱にせよ、痔にせよ、当事者にとっては深刻な状況であるとしても、座薬にはどうしてもユーモラスな印象が添えられる。アナルを「約束の地」と表現したのも見事なふざけ方(褒めている)である。



*     *     *



以下三句がこの回の私の投句。
月夜残る雪に懺悔 畠働猫
蓑虫は蓑虫のままてぶくろも見つからないまま 畠働猫
仮止めの幸福はやっぱり飛んで消えて満月 畠働猫
句については触れるほどでもないので近況など。
先日血尿が出て、誕生日に泌尿器科受診という鮮やかな中年振りを演じた。
検査では何も異常がなく、症状もその後ないので一安心である。
できかかっていた結石が自然と出た結果なのかもしれないが、今年は痔といいなんというか下の方で厄を受けているようである。
難儀なことだ。
中年のみなさまもお若い方もどうかご自愛ください。
また、九州および周辺の皆様の安全と一日も早く心に安寧が訪れますことを祈っています。


次回は、「鉄塊」を読む〔21〕。



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