2016-04-24

【八田木枯の一句】荷風忌の極彩色の覘かな 角谷昌子

【八田木枯の一句】
荷風忌の極彩色の覘(のぞき)かな

角谷昌子


荷風忌の極彩色の覘(のぞき)かな  八田木枯

第六句集『鏡騒』(2010年)より。

小説家永井荷風の忌日は、昭和34年4月30日。代表作の『あめりか物語』(1908)、『ふらんす物語』(1909)は、出版されてすぐ発禁扱いになった。1910年には、森鷗外や上田敏の推薦を受けて、慶応大学教授に就任するが、芸妓との交情が続く。この経験を綴ったのが、『断腸亭日乗』だ。浅草の歓楽街である玉ノ井を舞台にした『墨東奇譚』が、1937には朝日新聞に連載されている。

私生活は特異で、自ら奇人ぶりを自覚して住居を「偏奇館」と呼んだ。忌日は「偏奇館忌」とも言う。荷風には下町情緒が似合うので、忌日の句は墨東の雰囲気の漂うものが多い。

木枯の掲句にも、下町の祭の風情がある。

「覘」とは、覘機関(のぞきからくり)のこと。物語を構成する数枚の絵を箱の中に入れ、順番に変えていって、箱の外から眼鏡を通してのぞかせる。近松門左衛門の世話物『冥途の飛脚』に、この「覘機関」の記述がある。「極彩色の覘」とは、中の絵画がおどろおどろしい色に塗られていることだろう。きっと血塗られた情話などに違いない。箱の中を「覘」くという行為も、どこか俗かつ淫靡で荷風の境涯と響き合う。

実は、木枯の師山口誓子に、昭和8年作の〈祭あはれ覘きの眼鏡曇るさへ〉がある。「見世物の人々」という一連の作品の中の句だ。この句を木枯は愛誦していたので、もしかしたら、誓子作品の祭の雰囲気を思いながら、掲句を作ったのではないだろうか。誓子の群作は、少年のような好奇心に満ちている。誓子には、気難しく近寄りがたいイメージがあるが、木枯にとって、決してそうではなかった。誓子が療養中、木枯たち若者の海辺のテント張りを身近で見守っているような、親しい存在なのだ。そんな師を懐かしみながら、木枯は下町の祭を思い浮かべて荷風の面影と結びつけたのかもしれない。



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