2016-06-05

【みみず・ぶっくすBOOKS】第9回 ヴェラ・G・ショー『ヒラリー・クリントン俳句』 小津夜景

【みみずぶっくすBOOKS】第9回
ヴェラ・G・ショー『ヒラリー・クリントン俳句』

小津夜景


日本国には数多くの謎につつまれた「ホニャララの日」というのが存在するが、かの米国にも「ナショナル・ハイク・デー」という記念日があるようで、その日にあたる417日は「国民的俳句の日だから、みんなでこんなヒラリー俳句を書いたよ」なんて記事が出たりもする。


この種のシチュエーションに登場する「俳句」なる語は、異文化愛好を包括した形での「伝統大好き派」とも、小林一茶からビート・ジェネレーションまでを貫く「無頼に生きたい派」ともまた違い、ほとんどハラキリ同様の不条理ギャグ的ニュアンスを帯びていることが多い。「ヒラリーが大統領? 噓だろ? 興奮しすぎて思わず一句詠んじゃったぜ」みたいな。

こうした理由から、ヴェラ・G・ショー著『ヒラリー・クリントン俳句』の存在をはじめて知った時も「なにこれ? もしかしてジョン・ベルーシの『サムライ・シリーズ』くらいクレイジー? 読んでみたい!」と瞬時に心が躍った。まあ、クレイジーとまではいかなくても『さまぁ〜ずの悲しい俳句』程度にバカバカしかったら嬉しいな、とちょっと期待した訳だ。で、幸運にもその本が中古で手に入ったので、さっそく取り上げてみたい。


本文100頁。定価だとUS15ドル。

まず序文はざっとこんな調子。

《何かを言うための最良の方法が「ずばり一言」で表現することだというのはままあること。その点、俳句はとても短いけれど、長ったらしい記事や自伝なんかよりヒラリー・クリントンの本質を抽出して伝えることができます。》

《ここにある70を超える俳句は、ヒラリーの少女期から始まり、大統領候補となるところで終わります。この本があなたの政治的意見の決定に際し、ささやかな役に立つことを期待しつつ。》

著者のヴェラ・G・ショーはライター。この句集の執筆にあたっては「李白、杜甫、小林一茶、ロバート・フロスト、ウォラース・スティーヴン、カール・バーンスタインからインスピレーションを授かった」そうだ。が、そんなことより裏表紙の著者紹介が私には興味ぶかい。


《ヴェラ・G・ショー。アメリカで生まれだが、魂は日本庭園に存在する。昼は木を斬り、水を運び、夜は深淵なる俳句と単純きわまりない米国政治とのマリアージュを試みる毎日。清水地に群生するユリの花と同じくらい、さまざまな移ろう表情をもつ詩人。住まいはブルックリンの下町クリントンヒル。飼い猫は二匹。それぞれ民主主義(Democracy)と杜甫(Tu-Fu)という名前。》

上の内容、一文ずつ読む分には別段どうということもないのだが、全体として眺めると、うーん風狂なようで今ひとつ俗流というか、欲張ってアピールポイントを詰め込みすぎたプロフィールみたいでなんだか気恥ずかしい(ついでに書くと、クリントンヒルというのは古風な邸宅が軒をつらねる、ここに住むと女子力が一気にアップすること間違いなしの素敵エリアです)。とはいえ人にはいろんな舞台裏がある。ヴェラさんもある意味戦略的に自己のキャラクターの措定を試みたのかもしれない。

宇宙飛行士になりたかった少女ヒラリー

この本を一瞥して最初に受ける印象は、LMAO(爆笑)とか、Y(なぜ?)とか、LOLwww)とか、NAH(やだ)とか、YOLO(人生は一度きり)とか、TL;DR(長すぎるから読まなかったよ)とか、とにかくネット・スラングが多いこと。またスラングではないがPOTUS(大統領)やFLOTUS(大統領夫人)といった略語もたくさん登場する。その他ヒラリー本人の発言からの引用も相当あり、読むのにかなり苦労した。


太字部分は、句のシチュエーションを示す詞書。

なにはともあれ、ネット辞書を頼りにどうにか読み終えた感想を述べると、残念ながら私には面白さが分からなかった。それでも「ピンとこないのは語学力のせいかも」と思い直し、この本を読んだ他の人の感想をネットで調べてみたところ、これがまた「ここまで悪く書かれる本はそうそう見ない」というくらい「つまらない」のオンパレード。曰く《ファンキーでもキュートでもない》《これを俳句というのは俳句に対する侮辱》《私がこの本から学んだのは、ヒラリーはパンツスーツが好きだということ。以上》《この本の目的がわからない。退屈だった》《言葉、意味、リズム、どれをとってもみすぼらしい》《表向きはユーモアの皮をかぶっているがユーモアも詩も欠如している》《下品なのはいただけないが、くすりとできる部分もあり、まあヴァカンスの夕飯後にぱらぱらめくる分にはいいかなって感じ》《タチが悪いだけでなく努力の痕跡も感じられない本》とこんな調子なのだ。


エミー・ライスの挿絵は柔らかく愛らしく上品。
日本生まれ、ニューヨーク育ちのイラストレーターだそう。

ここまで貶されているのを知ってしまったら、かえってきちんと紹介したい気分になる。たとえ俳句として本当にイマイチだったとしても「英語圏の読者に受け入れなれなかった作品」のサンプルにはなるのだし。ということで以下に数句、簡単な説明つきで翻訳してみた(今回は俳句らしく整えるのは無理だった)。

A Modest Proposal
The Lake District at 
twilight finds Bill asking Hill
to be his wife. Nah.

穏健なる提案
湖水地方の
夕暮れ、ビルがヒルにお願いする、
妻になってほしいと。「やだ」

A Modest Proposalはスウィフトが1927年に発表した『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』という、アイルランドの窮状に関する風刺文書の略称に由来する語で「貧民児童利用策私案」とも訳される。作者はこの語を、イギリス湖水地方でビルがヒラリーにプロポーズして固辞されたシチュエーションに重ねた。求婚の美しき瞬間を、政治用語&すでに尻に敷かれているビルの姿にひっかけてみせたのか。

Glass Ceiling Grievance
O, Oval Office!
My term yet? Let my hubby
Retire to his sax.

ガラスの天井の悲しみ
ああ、ホワイトハウス執務室!
私の任期はまだ? うちの旦那から
サックスを取り上げなきゃ。

日本語としても近年盛んに用いられる「ガラスの天井」は、女性の一定以上の昇進を阻害する見えない壁のこと。で、この句はサックスがセックスの喩になっている(もっと詳しく知りたい方は各自でググってください)。つまりビルの無類のサックス好きと、執務室におけるモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」とを掛け合わせている訳だ。

Im in. And Im in to Win.
Finally my turn!
Ill toss in 14 million.
No biggie. Im in!

「私は出る。勝つために出るのよ」
ついに私の番よ!
1400万ドルを突っ込むのだって
気にしない。出馬するんだもの!

Im in. And Im in to Win.”は各国のメディアの表紙に踊ったヒラリー出馬時の台詞。1400万はヒラリーの集めた政治献金の額。話は逸れるが、このヒラリーの台詞、たいへん生命力に溢れていて、さらに韻律も素晴らしい。ああ、やっぱり大統領(候補)の周囲には優秀なシナリオライターがいるのね、と強く思わせられる。

She Announces Finally
Im running for prez!
Should I have kept those thirty
thousand ditched e-mails?

ヒラリーの通知…最終の。
私は大統領に出馬する!
三万通の破棄メールは
もしかして保存しておくべきだった?

Im running for prez (President) ! というのもメディアの見出しから引用したヒラリー自身の発言。句の内容はヒラリーのメール削除事件の話をそのまま伝えているだけ。これをどう読んだらハイク・ポエトリーにみえるのかは不明である。

大体こんな感じだ。かなり頭を抱えつつ、私なりに最もマシだと思われる句を選んだのだが、こうして見ると確かにどうにも芸のない本かもしれない。ほんと「政治×俳句×ユーモア」の三位一体化とはむつかしきものです。


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