名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (25)
今井 聖
「街」119号より転載
蟾蜍長子家去る由もなし
中村草田男 『長子』(1936年)
なんだこりゃ。
ヒキガエルチョウシイエサルヨシモナシ
変な句ですよ、これは。
草田男三十五歳の時の作品。
下句の奥歯にもののはさまったような言い方が特に変だ。
この句、高校の教科書にも出ていたような。いや、草田男の教科書句は「校塔に鳩多き日や卒業す」だったかな。
とにかく、草田男の第一句集の題にもなった句だからこの句に対する本人の思い入れのほどがうかがわれる。
草田男の俳人としての出自とか、成果という論点は置いておいてここではこの一句のみに焦点を絞る。
蟾蜍をまず置いて、下句は、家父長制の確固とした「家」の長男が、その家を去る理由がない。ここにはこう書いてあるのであって、鑑賞の上の興味は、
一に、蟾蜍が上五に置かれた意味。
二に、なぜ、長男なのか。自分が長男だからか。長男というものはという概説なのか。
三に、家を出ないとか、家を出たくないとか、家に無理矢理押し込められると言わずに、なぜ、家を去る理由がないと感情を抑制したクールな言い方をするのか。
この三点が読み解く目的の全てだ。
第一の点について。
グロテスクな蟾蜍が因習的な「家」意識の象徴であるというような鑑賞が主流だ。あまりにもわかりやすい象徴。
しかし、一般性を持つことも啓蒙的草田男の特徴だからこの読みが間違っているとは言えない。
だからといって、この蟾蜍が唯一絶対のごとく嵌った「季語」であるとは思わない。下句が季節に関係の無い述懐である以上、季語は四季折々の事物、事象が当てはまる可能性が考えられる。
例えば夏季だけで見ても
卯の花腐し長子家去る由もなし
誘蛾燈長子家去る由もなし
蛍籠長子家去る由もなし
線香花火長子家去る由もなし
青葉木菟長子家去る由もなし
或いは蟾蜍と同趣のグロテスクな形態の生物などのように時期や外形や声に屈折感があるものなら、そこそこ代用が効くのではないか。もちろん異論はあろうが。
一度、季語がそこに当てはめられ、それが一句にとって有効なものであれば、他に有効なものがある可能性を論じること自体が作品に対して不遜なことになるという印象がある。
季語がその一句にとって取り替えのきかないものであるのが秀句の条件という先入観があるからだ。歳時記は死んだ言葉の陳列棚だと楸邨は言ったが、大方は陳列棚から見合うものを選んでくる。或いは季語の本意を主題にして上塗りをする。それで「成功」したものは、見合結婚をして幸せに暮らしているようなもの。その人に、別の人とでもうまくいったかも知れないと発案するようなものだ。言われた側は怒り出すに違いない。でも試しに入れ替えてみるくらいはいいではないか。季語が唯一絶対の神話は、そこから本意をテーマとする俳句論議が生じ、ひいては俳句の可能性を限定することに繫がる。
この季語伝説は改めた方がいい。
この句にとっての蟾蜍はそんなところだろう。
第二点目について。
長子は自分のことである。句集題にしたのも自分が長子としての宿命を負っていることの表明である。
草田男が実際に両親の長男であるかどうかはこの句や句集題に関係ない。長子は喩えである。家父長制の中での長男というものの苦しみや哀しみなどに限定するのは俗に過ぎる鑑賞。家を出たいなら出たいと書かれているはずだ。
つまり出る理由がないと言っているだけで出たいわけではないのだ。
第三点目について。
家を去る理由が無いと書くのは、宿命だからである。家とは俳句形式のことである。自分はまったく新しい「俳句」を生み出して世に提示する。俳句の概念を変える。
そういう意味での空前の改革者。それが「長子」としての自覚である。
この自覚は自己の能力への確信に基づいての天賦の「権利」などではない。自分の責務。「義務」と言ってもいい。
『長子』跋文に、自らこう書く。
責任上、私の俳句的立場だけを一應明らかにして置かうならば、私はこゝに於いても亦、「負ふべきもの」を全体から負ひ、「為すべきこと」を全体の中に為さうとする者であると言はざるを得ない。(中略)縦に、時間的・歴史的に働きつづけてきた「必然(ことはり)」、即ち俳句の伝統的特質を理解し責務として之を負ふ。「言はざるを得ない」。二重否定による強烈な肯定。「責務として之を負ふ」の「責務」これがこの句の背景だ。
この句には自解がある。
ほんとうは自分の俳句を自分で解説する「自解」など、作品と作者の距離という原理を放棄する論外の仕業。自分で自分の首を絞めるようなものだと僕は思うが、まあ、草田男のこの句に対する「自解」を参考までに見てみよう。
此句全体の暗示しているものは「宿命の中の決意」に近いものである。家族制度とか、新憲法とか、そういう観念や事実と、此想念は勿論関係を持ち得ないとは断言しない。しかし、此想念は、それらが結びつく範囲よりもつと奥深い、人間的紅血の通った私のこころの奥処(おくど)において誕生した。案の定草田男は奥歯にもののはさまったような自作解説に終始している。一般の人々には不遜であるとして誤解を受けかねない自己の「長子」認識だからお茶を濁したのだ。
草田男の「宿命」は俳句の歴史の長子となる「避けられない」責務である。
つまり草田男は「やる権利と能力を有する」のではなく、「やらねばならぬ。他にやれる人は誰もいないから嫌でも仕方がない。やるしかない」のだ。
こんな小さな俗に根ざす小形式への殉教者。自分が死ぬことで世界の全員を救うキリスト。言葉を換えれば、「神」からの呪縛を解くことで新しい「人間」の出発を説いたニーチェその人。聖書の中のキリストと、反聖書の『ツァラツストラかく語りき』の両者が草田男に同居する。
草田男は初めて覚醒した「俳人」として新しい俳句を世に示す「義務」を負った。それが「由もなし」なのだ。
でもこんなこと自解では言えないでしょ。そのまま書くと単なる傲慢な自己肯定と誤解される。
世に威張る人はゴマンといる。俳句の世界でも「阿呆どもよ、教えてやろう」と睥睨して語りかける人は今でも多い。特に「新興俳句」系に多いな。
人の上に立つ権利ではなくて、導かねばならない義務を負っている。その認識が、ニーチェが憑依した草田男の「由もなし」だ。
少し話が飛ぶが、僕のシナリオの師、馬場さんが言っていたことがある。
谷崎潤一郎などの高名な文学者の小説を脚本化しようとするが、どのライターに頼んでもうまくいかない。映画化への段取りの期日が迫ってくる。プロデューサーから馬場さんのところに電話がかかってくる。
「みんな脚本化に失敗した。もうあなたしかいない。頼みます」と拝み倒される。
「頼まれて打ち合わせに向う夜の駅のホームに月が出てたりしてだな。大利根河原だよ。誰もやれないなら、俺が行かなきゃ仕方ないと思うんだな。平手造酒(ひらてみき)の心境だ」
平手造酒。
実在の人物であった。
幕末の仙台藩士あるいは紀州藩士(実際のところは不明)。腕の立つ剣客であった。(講談では千葉道場の俊英だったが酒乱のため破門になる)造酒は肺病病みでもあった。
流浪の末、下総の博徒の親分笹川繁蔵と知り合い用心棒となる。
天保五年(一八四四年)繁蔵一家と、対峙する飯岡助五郎一家との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した。享年は三十。全身に十一ヶ所の傷を受けていたと今も残る死体検視書にある。
講談や浪曲では「天保水滸伝」として語られている。
また、三波春夫の歌謡浪曲「大利根無情」もヒット。
中で歌われる、「止めて下さるな妙心殿。落ちぶれ果てても平手は武士じゃ。男の散りぎわだけは知って居り申す。行かねばならぬそこをどいて下され、行かねばならぬのだ。妙心殿」。
最後の「行かねばならぬのだ。妙心殿」は流行語にもなった。(平手造酒は食客をしていたとき釣をしていて知り合った尼の妙心に、出入りに駆けつけようとして止められる。その時の台詞)平手造酒は、やくざ映画の高倉健とは違う。
健さんは義理を背負って己を馬鹿と知りつつドスを片手に殴り込みにいく。一宿一飯の恩義や倫理にもとる相手への憤りがその動機。つまり健さんの場合は相手と同じレベルに自分を置いての善悪の比較の上に立っている。
やくざの用心棒の「センセイ」は違う。
かつて体制側(武士)の家に生まれ剣客として将来を嘱望されながら病と酒のためにそれを棒に振り、金をもらってやくざ風情の用心棒になり果てている。
その親分から、「センセイ、お願げえしやす」と促され腰を上げる。
大利根河原の出入りでは、繁蔵側は死者は造酒一人。
切り傷の多さから言っても、造酒は助五郎側を一手に引き受けての斬り死にと思われる。
俳句はやくざだ。
小説家でさえ、文弱、売文家と揶揄された時代の俳句である。俳句は俗の極み。俳人は行乞の世捨て人。
帝大を出た超エリートが俳句に志を立てる。余技ならいざしらず。
そこに自らを腐った男(草田男)と称した俳人の屈折と強烈な矜持があった。「長子」という旗印がいかなる思いを背負っていたかがうかがえる。
落ちぶれ果てても平手は武士じゃ。のところを、俳句のような小さな形式でも俺はその宿命を与えられたのだからやらねばならないと言い換えると平手造酒と同じ。
草田男は平手造酒だ。
なんだこりゃこそ学びの宝庫。
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