【句集を読む】
思うだけで口元がほころぶような
広渡敬雄『間取図』を読む
佐藤文香
句会場に到着するなりバナナを食べ始める広渡さんは、どちらかといえばアスリートタイプの人間で、その句会は責任選句(好きなだけ選ぶ)なのであるが、「たくさんいただきました」と言って普通の参加者より5句から10句多く選ぶ、というのはアスリートだからというより心の広さ深さか。心といえば、広渡さんは角川俳句賞受賞の電話がかかってきたとき、「同時受賞はどなたですか」と聞いたと言うから(広渡さんは昭和26年生まれで受賞当時すでに60歳を過ぎていた、きっと若い斬新な人とセットだろうと思ったという)、そんなところを私は本当に愛しく思う。
しかしそういう作者像なしに作品だけで判断するというのが私の主義ではあるし、多くの人はもちろんそういう情報なしに句集を読むだろう、でも広渡さんと思うだけで口元がほころぶようなことは、どうしても書かずにはいられない。
ここはひとつ広渡さんへの手紙として、何句か鑑賞してみたい。
石鹸に文字の手触り十二月
「文字の手触り」がいい。箱から出して間もない、一番泡立ちのいい時期である。牛乳石鹸であれば「COW」と書かれている。すぐに消えてしまうのであるが、その凹凸を手に感じる空気感が十二月だ。
父は母にやさしき夜の冷さうめん
父「は」なのだ。母「は」父にやさしくないのである。きっと母は拗ねているかなにかで、父が大きく歩み寄っている。それを見ている自分。「やさしき」と「冷さうめん」の〈やさ〉の音が、夏の夜を流れる。
地球儀の海に日の差す冬至かな
ガーゼ干すアロエの鉢や日短
撫でらるる犬を見る犬日永し
日の長さの句たち。冬至の日差しはどこまで差すか見どころで、地球儀の海、日付変更線やら国境やら地球儀自体の継ぎ目やらで案外ざわついたところへ届く日差しを見ながら、家の最寄りの海の太陽の加減を思う。
アロエのとげとげにうまく引っかかるようにしてガーゼを干しているのであろうか。アロエといえば小さいころ従兄弟の家のストーブで火傷をしたとき、おじさんが庭からちぎってきたアロエを塗ってくれたことがある。夕方はやくに暗くなってしまう寒い時期のガーゼとアロエとは、どこか民間治療を思わせる組み合わせだ。
撫でられている犬を見て、僕も撫でてほしいな、と犬が思っているかは知らないが、きっと作者は犬がそう思っているだろうと思いながら犬を見ている。この長閑さからすれば見ている方の犬も広渡さんに撫でてもらえるに違いない(そういえば広渡さんはいつも喜んでいる犬のようなかわいい人ですね)。犬の句では
煤逃げの犬嗅ぎ合うて別れけり
というのもあって、これはお互い大掃除を抜け出してきた(飼い主が抜け出してきたともいえる。飼い主は男性同士のような気がする)犬たちが、少し年を惜しむような格好で嗅ぎ合って、では、といったかんじで別れるという、こちらも犬同士の意思疎通が描かれている。
*
この句集らしさといえば、堅実で生き生きとした、
寒鰤の胴に朱書きの値札投ぐ
のような写生句や、あるいはタイトルにもなった
間取図に手書きの出窓夏の山
の発見の清々しさに見てとれようが、
初蟬や砥石に水を走らせて
さざんくわや鋏使はず封を切り
こういった繊細な感覚の取り合わせも見逃せない。初蟬の滑りだすような声と、砥石の表面をなめらかに走る水の気分の通い合い。山茶花の花びらの質感と、手で切れる封筒の湿度の共通。
湧水の手に温かし兎罠
冷たいと思っていた湧水が温かいこと、そこで思い出される兎のぬくもりと罠の冷たさ、この温度感覚の面白さ。
そして一番好きだったのはこの句。
あり余る有給休暇鳥の恋
風邪もひかず真面目に働いて有給休暇があり余っているだなんて(いかにも広渡さんらしくて)、それをこうも詠い上げ「鳥の恋」という祝福感に満ちた季語と合わせるだなんて、青空にぶら下がった薬玉が割れて色紙が死ぬほど降ってきそうじゃないですか。「あり余る」のAR音で持ち上げ、「有給休暇」のキューキュー音が響き、最後は「恋」のI音で口を引き上げて笑顔。わーい。
ほかに鳥好きとしては
春の鴨土手に上がつてゐることも
のどうでもよさなども気に入っています。
2016-07-10
【句集を読む】思うだけで口元がほころぶような 広渡敬雄『間取図』を読む 佐藤文香
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