2017-05-07

【俳苑叢刊を読む】 第15回 栗林一石路『行路』 春の花屋になって 山田露結

【俳苑叢刊を読む】
第15回 栗林一石路『行路』

春の花屋になって

山田露結


春の花屋も遮断機に堰かれ犇(ひし)とゐる
遮断機はね上ると春の雲もあらず人崩る
春の人屑へがくりと遮断機が鰓(あぎと)をあけた
(踏切春景)

栗林一石路句集「行路」冒頭の「踏切春景」と題された三連作です。
一句目はこの文脈通りに読めば「花屋も」→「犇とゐる」なのですから花屋ばかりが踏切の前でかたまっているわけです。配達途中ならみな春の花を両手いっぱいに抱えているはずです。きっと花屋の集団の隣にはパン屋の集団が、そのまた隣には酒屋の集団が、その後ろには魚屋の集団が、そのまた後ろには八百屋の集団が「犇」といるかもしれません。え?違うって?作者はそうは言ってないって?大勢の中に混じって一人だけ、「花屋も」いるということだろうって?いや~、でも、花屋の集団が「犇」といると解釈した方が楽しいでしょう?可愛いでしょう?シュールでしょう?こんな素敵な景色を遮断機の反対側から僕は眺めてみたい。

二句目。電車が通過し遮断機が上がった途端に花屋が、パン屋が、酒屋が、魚屋が、八百屋が、どどっと踏切内になだれ込む。

三句目は二句目と時間的にやや前後しますが、そのことがかえって花屋、パン屋、酒屋、魚屋、八百屋の集団がぐちゃぐちゃに入り混じって「犇」といた人の塊が文字通り「人屑」となって移動していく感じを演出しています。遮断機の擬人化も楽しい。まるで三コマ漫画のような、なんともコミカルな春の景色ではないでしょうか。

今回、週刊俳句からの依頼を受けて僕は栗林一石路という俳人の句をはじめて読みました。彼の経歴についてもまったく知らなかったのでとりあえずネットで調べてみると1894年長野県生まれ、プロレタリア俳句を提唱しその運動の中心的存在であった、とのことです。1941年にはいわゆる新興俳句弾圧事件で検挙、投獄されています。

シャツ雑草にぶっかけておく

ネット上で見つけた彼の代表句のひとつですがこの句は知っています。どこで目にしたのか記憶はありませんが、たしかに知っています。ああ、この句の作者が栗林一石路なんですね。

さて、しかし、プロレタリア俳句っていったいどんな俳句なのでしょう。

これが勞働者の胸か骨が息づいてゐる(「昭和十二年夏、機械工山田正吉君死す」と前書き)
いくつ機械を組立てた骨の手が伸びてゐるばかり
もう吸ふ血がない死顔をはなれてゆく蚊
(勞働者の死)

これらの句にはまるで映画のスクリーンを見ているかのようにこの時代の労働者の有様が生々しく描かれています。こうした句の無骨な雰囲気はもしかしたら定型俳句では表現しきれなかったかもしれません。プロレタリアであることと一石路が自由律を選んだことには必然的な関係性があったのかもしれません。

まあ、でも、プロレタリアという言葉はまことに前時代的な感じがするのですが、どうなんでしょう。現代でも使われるんですかねぇ、この言葉は。プロレタリア俳句というのはプロレタリア文学の系譜なんでしょうか。よくわかりません。しかし、そのようにカテゴライズされると僕なんかはどうしてもある種の色メガネをかけて句を鑑賞してしまうのですが。

月光は顔をまた顔を照しだして兵隊
船にゆられつつ敵近くなる星座を青く
黙つて夕日に影二人何を敵前上陸の前
おどろに砲弾の炸裂の赤きくらい山肌
緑星二つそこに生き死にの兵たちをおもふ(註、緑星は上陸成功の信號)
(敵前上陸)

戦地詠です。一石路には戦争に関連する句が多くあるのですが、どれも情景描写がやや報告的な感じがします(良い意味でも悪い意味でも)。俳句でいういわゆる「客観写生」からも遠いようです。戦争という特殊な状況を前にして、はたして俳句の言葉が俳句の言葉として機能するのかどうか、あるいは機能させることが出来るのかどうか、というのは興味深いところではありますが、こうした報告的な詠まれ方は彼がジャーナリストであったことと無関係ではないかもしれません。

ふるさとの水はうましのみたしと病みたまふ母は
これや水筒にふるさとの水みたし来むに母よ
故里は夏山病む母の水ゆたかにと念(おも)
病む母へゐなかの水取りに汽車の片隅にゐる(「怱惶として汽車に乗る」と前書き)
母に代りて米磨ぎし頃のこの月にてくらき
(水取り)

灯取虫ばかり母はひとりで死んでゐる
糸屑なんどもこんなに始末してあつて母は亡(な)
箸にかろきこれが母の骨かさかさと音する
芒や百合やふるさとに母の骨壺を置く
女衆の声々がみな母の知つてゐる奥の間の母の骨(「近所の人々集ふ」と前書き)
(母の骨)

この句集の中でたぶん一番多いのが病死した母親を詠んだ句です。これらの句からは作者の母親を慕う気持ちが、作者にとって母親がどれだけ特別な存在だったかがひしひしと伝わってきます。非常に直截的な印象を受けます。

そうなんです。この句集に収められた彼の俳句表現の多くがずいぶん直截的なんです。これはプロレタリアだからでしょうか、自由律だからでしょうか、僕にはわかりませんが、母を思う彼の句は、母を思う彼の姿以外には行き着くところがない感じがするんですよね。ゴールがそこにしか見えないというか。

はげしい感情を戦争へゆく君に笑つてゐる
紙旗をふられ愛情のおさへがたくゐる
たばこに火をつけ君とのみ何もいへぬ訣れぞ
(夢道出征)

お前のすべてが終つた瞬間を正しく指してゐる時計
死顔に化粧するその歯が笑つてゐるやうで
ひろびろ秋めく陽のいろがもうお前のゐない世界で
(けさ子の死)

戦地へ赴く友人を見送る際に詠まれたであろう「夢道出征」、そして病死した妹を詠んだ「けさ子の死」とそれぞれ題された連作から引きましたが、これらの句も作者の思いばかりが強調されて読みの幅がかなり限定されている感じがします。

これは、彼の句が、僕が普段親しんでいる俳句作品とはずいぶん違う趣旨で作られているからじゃないかなぁと思ったりするんですよね(こういうのを社会性俳句って言うんでしょうか)。

思想が氷結したやうな月夜のビルヂングが直角
(幻想)

無機質な近代的ビルディングを前に彼は思想の氷結(ちょっとカッコいい表現です)を憂いているのでしょうか(どうなんでしょう)。平和ボケ世代ど真ん中の僕にはあまりピンとこない感傷ですが、いや、しかし、今後世の中の情勢がどんどん不安定になって行って、貧困やら戦争やらといったムードが日に日に身に迫ってくるようなことにでもなれば、もしかしたら再びプロレタリア俳句なるものを詠む人が増えるなんてことになるのかもしれません。いやぁ、そんな憂鬱な世の中にならないことを切に願っていますよ。だって、時代に俳句を詠まされるなんて僕はまっぴらゴメンですから。

大砲が巨きな口をあけて俺に向いてゐる初刷
(一九三七年)

ええ、もしそんなことになれば、僕は真っ先に春の花屋になって遮断機の前で「犇」と決め込むしかありません。





※引用句の旧字体は一部、新字体にあらためました。


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