成分表 72
動けない
上田信治
「里」2013年1月号より改稿転載
道ばたで、中学か高校の制服の男女が立ち話をしているのを、ときどき見かける。
買い物に出かけるとき家の近くで見た二人が、帰ってきたらすっかり暗くなった同じ場所にまだいたことがあった。
別の二人は、私鉄駅の高架下の壁のくぼみに、嵌りこむように座っていた。
彼らは、いつも「どうしてそんなところに」という場所にいた。道の端のわずかな段差の上や、塀の角のななめに切れた三角のスペースなどに立っていて、その様子は、塵芥が川の杭に引っかかっているようだった。
じっさいそこを離れたら、流されて、それぞれの家に帰るほかはない。そこは彼らの避難所だったのだろう。
彼らは皆、さびしすぎてそこから出られないのではないかと思った。
二人でいることには、一人と違うさびしさがある。ふれ合うことのない彼らだから、その甘いさびしさは、いつまででも持続する(がっつり抱きあって動けなくなっている二人もいたけれど)。
試みに、そういうことのもうない自分が一人で道ばたに立ちどまると、たちまち非常な「所在なさ」におそわれることになる。
「こんなことをしていていいのか」と、それこそ急流に一人取り残されたような気になる。けれど、その状態に耐えていると、やがてじわじわと薄い肯定的な感情がこみあげてきて、ずっとそうしていたいような、一歩も動きたくないような気持ちになる。
話がつながっているかどうか、すでによく分からないが、以前、とても変わった性的嗜好を持つ人の記事を読んだことがあった。その人は、一人でいわゆる「変態」的行為を終えたあと「これでいい」と強く思うのだそうだ。
それは、誰のせいでもない孤独やさびしさに対する「納得」なのだと思う。
その納得には悲しみと、ため息が漏れるようなかすかな幸福がふくまれるように思う。
さびしさには、くせになる味がある。
楽しみは一つ一つ食べて猿のように淋しい日 橋本夢道
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