2017-06-18

成分表 73 欲求 上田信治

成分表 73
欲求 

上田信治


元日、NHKで、ある人のエベレスト登頂が失敗したという番組をやっていた。

その人は凍傷で指を失うかもしれないそうで気の毒なことだが、登山とか冒険とかいう行為には、よく分からないところがある。

昔、兵法者が剣の技倆を競って斬り合っていたということもよく分からない。「バガボンド」という漫画は宮本武蔵が主人公で、斬り合いを素晴らしい人間同士の出会いであるかのように描いていたけれど、ひじょうに無理があると感じた。

なぜ、人並み優れた人たちが、そういうことに生命を賭けたりするのか。

むかし、出版社に勤めて電車の中吊り広告などを作っていたころ、毎週毎月の雑誌の記事から見て、人間の三大欲求は「食欲・性欲・見下げ欲」であると思った(通常、三つめは睡眠欲であるとされるけれど、そういう記事はあまりない)。

人は人を「見下げたい」という自然の欲求を持っている。

あらゆる女性誌、男性誌の記事、仕事、恋愛、表現等、人の営み全般において、優位性の確認のための行為は極めて多い。そういう、オスの性器比べ同然の活動は……と書いて、そこまで言ったら登山も武芸も矮小化しすぎかと思った(それこそ自分の「見下げ欲」の発露というものだ)。

人は、百人いたら、百通りのスペックを持っている。

冬山は、たまたま肉体と意志に優れて生まれついた人が、あり余る能力の発揮の歓びのために、登るのだろうし、ある人にとっては、さらに生きるか死ぬかの登山でもなければ、能力を発揮している気がしないのかもしれない。

そして、百万人に一人というような能力と自負を持つ人は、彼にふさわしいだけの敬意と達成感を得るために、ほとんど失敗必至のような挑戦を必要とするのかもしれない。

それは、芸術家にも時々ある、英雄的で辛い人生だ。そういえば、どのジャンルにも、非常に優秀でやたら不機嫌というタイプがいる。

肉体や精神の能力は、年齢とともに失われていく。その時、私たちオスは、かりそめの優位性にしがみつくのではなく、自分の能力とか境地をただ楽しむというふうになれないものか。というか、初めからそうできないのか。

ところで、その登山家はとても有名なのだけれど、やたら失敗をする人でもあるらしい。そして、武蔵に敗れた者たちも、たしかに圧倒的な存在というものを見て死んでいったのかもしれない。

美を見るということは、負けて恍惚として死ぬような、ナルシズムとかマゾヒズムとつながったことなのかもしれない。

ともかく人間の欲求は、三つで片づくものではない、ということだった。

乙女さびして釜すアルパカな長恨歌 加藤郁乎
枯山のあかるき瑟は並び鼓く 高山れおな  
      添え字「枯(ラ)山」「鼓(ひ)」

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