西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう
3. 太陰暦から来た男
牟礼 鯨
旅は大阪と決めていた。
路地裏なり悪所なりをたもとおるだけでよかった。ただ道連れができると大阪ではないところへも行く、大阪へ行っても行く町が変わる。
六月のとある土曜日の朝、私はSと一緒に東京を出て大阪へ赴いた。
中崎町の葉ね文庫に寄ったあと、東西線で西淀川区の御幣島駅へ。駅からコンクリートとタールの町を歩いて四分ほどでカマタ商店に着いた。おばあさんがやっている雑貨カフェだ。店内には尼崎文学だらけのにゃんしーと文学フリマ大阪の代表夫妻が待ち構えていた。ポエトリーモンスター泉由良もいると聞いていたけれど不在だった。話すことも特にないので、五人で無言のまま非懐紙をした。
その日は西区新町のドミトリーに泊まり、翌朝に大阪を立って昼頃に浜松駅で降りた。
南口広場にプリウスが停まっていて、その横にSが転職する先の社長が立っていた。老いた痩羊だった。あとで聞くと胃をほとんど摘出していた。無胃庵先生が運転するプリウスに乗せられうなぎ屋へ入った。
うな重の竹が三つ来た。関西風で硬かった。
私は社長に、Sに続いて自分も浜松へ移住すると言った。世間話のように、有季定型の結社に所属し俳句を作っていること、引っ越すときは原付で東京から甲州街道を進み長野県茅野市を経て国道百五十二号で青崩峠または兵越峠を越えて浜松に入る予定であることを話した。
自分が話していると思ったら急な眠気に襲われた。気付くと私が一語話すうちに社長は五分話していた。それに私が相槌を打つと十分以上京都訛りで話し続けてきた。情報のシャワー、蘊蓄のココナッツ。聞き疲れて眠りそうになりながら、アイデアマンで噴井のように話の尽きない痩せ型の生命体について考えた。詩あきんど主宰の二上貴夫先生もそうだ。彼らは過度に思考し話し続けることで脂肪をいつも燃焼させている。
そんな生命体の一個体が
「あなたは私に似ているかもしれませんね」と言った。
「そうでしょうか」と返しつつ、痩羊と鈍重な鯨とでは交めませんよ、と心のなかで思った。だが、どうやら二十代で二度転職をした私の根無草ぶりに、かつて風来坊をしていた社長自身の若かりし頃を重ね合わせたようだった。
「浜松に来て仕事はどうするのですか」
と社長が問うので
「今の勤務先には八月下旬に寿退社すると言ってあります。浜松の職業訓練校で大工の技術を身につけて工務店に勤めようかと考えています」と筋書き通りに答えた。
すると社長は
「よろしければ、うちへ来ませんか。新しい仕事は四季の移り変わりを紹介します。あなたのやってきた俳句とも大いに関係すると思います」と言った。
私は写真も貼っていない履歴書を差し出しながら「お願いします」と頭をさげた。
「そうすると」
と社長は履歴書を受け取りながら言った。
「句会は遠くなりますね」
それは考えていなかった。
あぢさゐはねぢれて青空のかもめ 鯨
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